しげしの道 B.化け物屋敷の住人達

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 5. なぜ、古新聞が、あった?  ぼくが高校生、もう貧しさを意識しなくなった頃のこと。  年末、5人家族、総出で、大掃除。  父が、手作りの『 焼却缶 』を試すため、古新聞を燃やそうとした。  が、母が、止めに入った。  『 やはり 』と、顔を見合わす子どもたち。  何でも、捨てない・燃やさない、が母の方針。  それで、常に、古新聞・ポリ袋・紙袋・包装紙等々が、家に、山積み。  それでなくても、恐ろしく狭い家なのだが。   が、こうした場面では、父は、母に絶対に逆らえない。  あの『 ラジオ事件 』の、二の舞になりかねないから。    そこで、ぼくが、割って入った。  「 ケチケチすることないよ、新聞は、毎日来るんだから。   燃やしでもしないと、もう、置き場所がなくなるよ。 」  と、強引に、古新聞一束を、焼却缶に、たたきこんだ。  姉と兄も、その場にいたが、ぼくを止めなかった。  母は、黙って、家に入ってしまった。  母が、なぜ、古新聞を大事にするのか。  その理由を、子どもたちは、数年前に、聞かされていた。  父が療養中だった頃、学校に、古新聞を持っていくことがよくあった。  美術や書道の授業の際、机が汚れないよう、古新聞を敷くために。  ぼくが小学校の時は、古新聞を忘れた者は、廊下に立たされたりした。  「 明日、古新聞がいるよ 」  そう、ぼくが言うと、母は、必ず、翌朝までに、用意してくれた。  「 お金がなくて、ウチでは、新聞は、とってなかったよね。   だったら、なんで、ウチに、古新聞があったんね?」  と、母は、子どもたちに、問うたことがあった。  ぼくは、そんなこと、考えたこともなかった。  古新聞など、どこからでも、わいて出そうな、気がしてたので。    が、古新聞が必要な時、母は、  「 すいませんが、古新聞をわけていただけませんか 」  そう、頭を下げて、近所を、回っていたのだ。  「 確かに、日本は、豊かな国になった。  でもまだ、新聞をとれず、古新聞がない家が、あるはず。  まだ、頭を下げて回っている母親が、いるに違いない。  それを思うと、わたしは、古新聞を燃やす気になれない 」  そう、母は、子どもたちに、語ったのだった。  『 それを、わかっていて、オマエは、なぜ古新聞を燃やした? 』  そう、聞きたくなるかも、しれない。  『 もう、過去のことは忘れ、気楽に生きてほしい !』  そんな気持ちが、ぼくの胸に、こみ上げてきたのだ。   もう、さほど、お金には、困っていない。  すべての苦労は、もう、過去のことなのだ。  なぜ、いつまでも、引きずって生きるのか 。  過去の苦労は、過去だけで、たくさんではないのか?  もちろん、古新聞を燃やしても、何も変わりは、しない。  そうすることで、過去の苦労と決別できるわけでは、ない。  それは、確かに、そうなのだが ……  長年保存した、湿気のためだろうか?  古新聞は、なかなか、燃えなかった。  いつまでも、いつまでも、薄黒い煙を出し続けた。    ( 6. 「 美しい人 」も禁句 ? に続く)  
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