父親はATM

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父親はATM

―――私はお父さんが嫌いだ。 ―――家庭のことに無関心でいつも不愛想。 ―――そんなお父さんをどうやって好きになれって言うの? 「行ってきます・・・」 父の朝は家族で一番早い。 朝早くに起きて一人で食パンをかじり誰にも見送られることなく家を出ていく。  そんなルーティンがいつの日からか記憶にすら残っていないが、しょぼくれた背中に嫌悪感ばかり募らせていた。 ―――・・・まるで他人が家にいるみたい。 父のドアを閉める時の音で目覚めることがよくあった。 目覚めてしまった夏未(ナツミ)はリビングへと下りていく。 「あのATM、今月の分これだけしかないとか役に立たないわね。 金を稼ぐしか能がないんだから、もっとたくさん稼いでくればいいのに。 全く・・・」 母が通帳を見ながら呪詛のような言葉を呟いていた。 母が父のことをATM呼ばわりしているのは、もうとっくに愛情がないからだということを知っている。  母が父の陰口を言っているのを聞いて育ったため、夏未も嫌うようになった。 もっとも現実に父は家庭に興味がなく、近くて遠い存在だ。 「あ、おはよう夏未。 今日も早いのね」 「・・・うん。 お父さんが家を出ていく音で起きた」 「まぁ! 帰ってきたらATMに言わないと。 娘の睡眠妨害をするのは止めてって」 「・・・」 父が出ていった玄関を見据える。 父の朝が早いという習慣を意識した日から『いってらっしゃい』の一言が気恥ずかしく、母も弟も声をかけないため夏未も言わなくなってしまった。 ―――まぁ、言う気はそもそもないんだけどね。 そんな習慣は一日の大半が終わり、夜になっても変わらない。 「ただいま・・・」 父が帰ってきても誰も挨拶を口にしなかった。 帰りの遅い父の夕食が用意されているわけもなく、父はどこからか買ってきた半額の総菜やカップ麺を袋から取り出し一人黙ったまま支度をする。 「ッ・・・」 その時父と目が合い夏未は慌てて目をそらした。  ―――平日は仕事でほとんど家にいないし、休日もいつの間にか家からいなくなっている。 ―――それなのに無言で私や弟を見ているって、どういう神経をしているの? 気を遣っているのかもしれないが、それが嫌だった。 ―――話したいことがあるのなら話せばいい。 ―――言いたいことがあるのなら言えばいいのに。 父は一人手を合わせると食事を始める。 そのしょぼくれた背中に何だか無性にやるせない気持ちになった。 「いただきます・・・」 今から家族仲よく、なんてできるはずがない。 広がった溝を埋めることができるとは思えないし、埋めようとも思わない。 ―――私の記憶の中で、お父さんに遊んでもらったことなんて思い出せない程にない。 ―――・・・和気あいあいとした家族なんて、作り話でしかないんだよ。 実際友達に聞いた時もそうだった。 そういった夢のような家庭などなかなか存在しないのだ。 だけどどうして気が付かなかったのだろう。  子供だった夏未と弟は帰る家があるのは当たり前で、食べるものにも寝る場所にも不自由したことはなかった。 それが当たり前の日常だった。  当たり前の日常が当たり前にあるのは、誰かがそれを支えてくれているからである。 そして、母が手に職を持ってない以上、それを支えているのはATMと蔑まれている父であるという現実。  大分年月が経ちある日のことだった。 夏未が高校に進学し、新しい環境にようやく慣れてきたという頃、父は夕食を済ませると珍しく家族に向かって宣言した。 「単身赴任が決まったから行ってくる」 あまりに突然過ぎる決定の報告。 家族はそれにポカーンとしていたが、やはり最初に口火を切ったのは母だった。 「そう。 アンタがいなくなって精々するわ。 ねぇ、二人共?」 「「・・・」」 夏未と弟は何も答えなかった。 ―――もう最近はずっとお父さんと口を利いていないから。 寧ろ家の中では腫れもののような扱いに変わっていた。 いや以前から腫れもののように扱っていたのは変わらないだろう。 当然誰もそれに反対することはなかった。 「明日には出ていくから」 そう言うと父は片付けて自分の部屋へと戻っていった。 ―――・・・お父さん、出ていっちゃうんだ。 ―――あれ、でもおかしくない? ―――転勤が決まったんじゃなくて、単身赴任が決まったって言ったよね。 ―――・・・それってつまり、一人で行くということだ。 ―――家族は誰一人として連れていくつもりがないということ。 ―――・・・やっぱり私たちは、お父さんに見捨てられていたんだ。 夏未も学校生活が忙しく余裕がなかった。 だから父がそう宣言をした時“ふーん”くらいにしか思わなかった。 家の心地がよくなって開放感が増すだろうくらいにしか思っていなかった。 思えば期間も聞かなかったし、どこへ行ったのかも知らなかった。 父は一人で準備をし一人で遠くへと行ってしまったのだ。
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