実のお母さんに僕は……

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実のお母さんに僕は……

 ──雨音探偵事務所。  僕の母、雨音(あまおと)さゆりが運営する探偵事務所で、母さんが所長を務めている。  もともとは父母で共に探偵事務所を経営していたが、とある事件が原因で意見が食い違い、結果として離婚……僕は、母親に引き取られる事になった。ちなみに、その過程については今も教えてもらっていない。  母さんは、美人探偵とメディアで取り上げられるほど美人で、スタイルも抜群。僕と歩いていても親子とは思われなくて、姉弟だと思われる事が多い。しかも、どんな事件でも必ず解決してしまう名探偵として名を馳せている。  しかし──外からは完璧キャリアウーマンで名探偵ともてはやされている母さんだが、仕事以外の事となると、ポンコツだ。  その結果、僕こと雨音恵一(あまおとけいいち)は、まだ高校生にも関わらず、事務所の掃除や家事のほぼ全般、それに加えて事務までこなしている。同じく探偵として働きながら家事と事務をこなしていた父さんの苦労を想うと、同情してしまった。離婚する気持ちも少しわかる気がした。  中学の時は、さっさと父さんと再婚してくれ、とも思っていた。僕は父さんの事も好きだったし、二人はお似合いだと思っていたからだ。  でも、最近は── 「けーちゃんっ! いつも事務所の事任せっきりでごめんねっ。今日は母さんが料理作るから!」  母さんが浮気調査から帰ってくるや否や、事務所で掃除をしていた僕の背中に抱き着いてきた。背中に、母さんの柔らかいものの感触がスーツ越しで伝わってきて、思わずドキッとする。  一日中外にいたのに、母さんのウェーブがかった茶髪からは、ふんわりと甘い香りが漂っていた。 「ああ、もう。暑いよ。それに、母さんに任せたら、またインスタントラーメンでしょ? いいよ、僕が何か作るから。もう準備もしてあるし」  母さんを振りほどいて、鬱陶しそうな視線を作って彼女を睨んだ。  母さんは「あははっ、バレた?」と舌を出して、僕から離れた。目で彼女の動きを追っていると、彼女はその足でスーツの上着を脱ぎ、ハンガーに掛けていた。ようやくハンガーにかけてくれるようになったか、と安心しつつ(うるさく言わないとそこらへんに脱ぎ捨てるのだ)、母さんの香りが離れていく事にどこか寂しく感じてしまう自分がいた。  僕はそのまま事務所の奥に行き、給湯室に設置したカセットコンロに火をつけた。この事務所は半分居住スペースと化しているので、僕がコンロを持ち込んだのだ。母さんはほっとくとインスタントかコンビニのものしか食べないから、僕がこうして料理を作ってあげないと食生活が崩壊してしまうのである。 「それにしても、そんなに熱心に事務所の事ばっかり手伝ってないで、カノジョくらい作りなさいよ。学校でモテるって聞いてたけど、その割に全然浮いた話がないから、母さん心配だわ」  母さんは僕の後についてきて、給湯室の冷蔵庫からビールを取り出した。ビールを飲むという事は、今日の仕事は終わりらしい。 「……要らないよ、別に。好きな子なんていないし。この前もクラスの子に告られたけど、断ったよ。だから、暫くはここのお手伝いさ」  僕はフライパンに油を引きながら答えた。  後半は本当の事だ。でも、前半は……嘘だ。自分にも吐いている嘘。自己欺瞞だというのに、もう僕自身気付いている。 「そうなの~? もしカノジョでも作ってくれたら、母さんも遠慮なく再婚できるのになぁ」  母さんは笑いながらプルタブを開けて、ぐびっと缶ビールを口に含んだ。母さんの口からビールが溢れて、白くて綺麗な首筋を水滴が伝っていた。 「何言ってんだか。僕がいなくなったら、母さんこの事務所ぐっちゃぐちゃにするでしょ」  僕はハンカチを取って、彼女に渡した。  そう……母さんには、僕がついていなくちゃいけない。こんな無防備な母親を、放っておくわけにはいけない。  いや、違う──  僕が、母さんから離れてはいけないのだ。 「なーによー。そうなったらアルバイトくらい雇うわよ。それに、この前も依頼先の社長からデートに誘われたんだからね!」  母さんはハンカチを受け取ってビールを拭うと、べっと舌を出して、事務所に戻っていった。  給湯室に、うっすらと母さんの香水の残り香が舞っていて……それが消えてから、僕は予め用意していた野菜をフライパンにぶち込んだ。 「彼女なんて、作れるわけないでしょ」  誰もいなくなった給湯室で、そう独り言ちた。 「もし、僕が彼女作ったら……母さんはそうやって、すぐ再婚しようとするじゃん」  苛々ともどかしさと、何とも言えない気持ちを押し殺して、ただ野菜を炒める。  そう……今の僕は、彼女に再婚して欲しくなかったのだ。  でも、この気持ちは誰にも言えない。言ってはならない。母さんがどんな難事件でも解決してしまう名探偵であっても、絶対に悟られるわけにはいかないのである。  僕の中でこの気持ちが消化できるまで、或いは別の感情に姿を変えるまで、一生僕の中で封じ込めないといけない。まるで完全犯罪の様に、最後まで隠し通さなければならないのである。  ──だって僕らは……血のつながった、親子なのだから。  (了)
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