痛い夜

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「あー、もうムカつく! バーで知り合った男といい感じになったからって、迂闊に付き合うものじゃないわね。名前も住所も勤務先も全部口からデマカセ。会社や奥さんにバラしたくても、あいつが何者だったのか今となっては突き止めようがないんだから、結局泣き寝入りするしかない。それって酷くない?」  ホテルを出た私は、収まらない怒りを吐き出すべく目に付いたカフェバーに入ってバーテンダー相手に愚痴を零していた。 「酷い話だね。でも、よく妻子持ちだってわかったよね?」 「ああ、それは本当にラッキーだったの。たまたま彼に電話がかかってきて、『ごめん、仕事の電話だから出ないと』って言って中座したのよ。で、私も後から席を立ってトイレに向かったら、廊下の隅で彼が電話してるのが聞こえたの。『もちもち~、ミイちゃ~ん? パパでちゅよ~』って」  アハハと笑うバーテンダーに、私も釣られて笑ってしまった。こんな話、ネタにしかならない。 「で、呆気に取られてるうちにその電話が終わったら、彼が誰かに話しかけられたのよ。『あれ? アンドウさん、久しぶりですね』って。相手が誰だったかは観葉植物で見えなかったんだけど、あいつは普通に『こんなところで会うなんて奇遇ですね』って返して。アンドウって誰?って感じよね」 「偽名ってことは、最初から騙すつもりで近づいたってことだよねぇ」 「しかも『名古屋に引越されたんですよね? もうだいぶ慣れましたか? 奥さんとお嬢さん、お元気ですか?』『はい、おかげさまで』って会話が聞こえたら、もう私、不倫相手にされてたの決定じゃんね?」  忍者のように壁に貼りついて盗み聞きしていた私は、かなり怪しく見えただろうけれど、トイレに入っていった数人の客はみんな見て見ぬフリをしてくれたっけ。
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