②日常

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~ * ~  ここの会社の良いところは、社内食堂があるところだ。  五百円でランチが食べられるのは本当にありがたい。  ちなみに本日は和食の鯖の味噌煮をれなは選んだ。  ざわざわと人が多いこの場所は、男漁りには持ってこいの場所で、けれど狩野の件があってからチャラついてそうな人を探すようにしている。  しかしこんなところで探さずとも、勝手に集まる穴場があるのだ。  れなは食事をさっさと済ませ、その場所へと移動する。  会社の一階、その奥にある自販機を超えてその先にあるドアに手を掛ける。そのまま押せば、風が吹き込みれなは目を細めた。 「おー、月城ちゃん来たぞー」  しゃがれた声と煙たい空気が出迎える――――ここは唯一の喫煙所だ。  ヘビースモーカーのれなが新人の時から通っている場所で、ここに来る連中とは顔なじみである。 「八代(やしろ)のおっちゃん、今日も老けてんねー」 「うっせいや。お前さんだっていつかこんなるんだよ」  グレーのつなぎを来ている八代は掃除のおじさんだ。その隣のふくよかな人は田島(たじま)で、豪快に笑う。 「八代さん、月城ちゃんに構われて嬉しいくせにー」 「お前さんがちゃん付けで呼ぶなって言ってんだろうが。部署は違っても同じ社員だろがい」 「はいはい、八代さんだけが、月城ちゃんって呼びたいんでしょー?」  田島の言葉に「そうだそうだ」とざっと八人くらいの男性陣が頷いた。それに真っ赤になって否定するところが八代の可愛いところである。 「そういえば、公形(きみがた)さん」  彼らの仲間入りするべく、適当な隙間に入り込んで煙草を咥えた。 「公形さんの吸ってるやつ、値上げしましたよね?」 「あー、それな。マジショックだっての」  ワックスで片側の前髪を後ろに撫で付けている男が首をゴキと鳴らし、紫煙を吐いた。 「だから今日は別のにしてみたんだけど、俺にはちと甘いんだよ」 「一回濃いの吸ったら戻せませんよねー」  れなは自身愛用の煙草、女性好みのパッケージを公形に向けて振った。 「これ、吸ってみます?」 「余計甘いわ」  大きく手を払う仕草に、「ですよね」と笑って答えた。  実は次はこの男と寝るのも有りかなと思っている。しかしどこか自意識過剰を持っているような一面があるため、セフレを好かれているという形に勘違いされたら大事故に関わるのでまだ様子見である。 「てかよぉ、月城ちゃん以外にべっぴんさん煙草吸いに来ねぇなー」 「来ないですねぇ」  八代にのんびり答える田島は煙で輪っかを作った。  腹の大きさからしてトドみたいだが、その器用さはイルカの方か。 「なんであたしがいんのに他のべっぴん探すわけですか」 「たまには他のべっぴんさんも見たいやろがい」 「美人も三日みたら飽きるとかそんな言葉あっただろ確か」と八代がけだるげに紫煙を吐くと、それに同意したのは公形だ。 「月城さんは美人だけど錠を破る楽しみっつーのがねぇよな」 「錠を破る?」  れなは怪訝な顔をするが、周りは同意するように笑った。 「男なんて知りません。高嶺の花とはちげぇけど、そうだな。簡単に足を広げるよりも、バリケードしている子の足を開きたいってことだよ」  まるでどこかの外国人が商品の説明をしているように、煙草を指で挟みながら手を広げて言った言葉に、れなは「あっそ」と溜息のように吐き捨てる。 「公形さーん。それセクハラですよー」 「えぇ、こんなんでセクハラなのかよ」 「ダメダメ。いまの時代はね、ちょっと肩を叩いただけでもセクハラですから」 「でも月城さんは気にしねぇだろ」  のんびり言う田島に、妙に自信満々に言う公形を見て、れなは髪の毛が乱れない程度に頭を掻いて煙草を咥えたまま言った。 「つぼみの女より咲き誇った女の方が見てて楽しいっしょ。なんならここ全員いっぺんに相手になりますけど?」  そのセリフに「ひゅ~」と、バカみたいな口笛と喝采を浴びる。 「んじゃあ、これから半休もらってこねぇとだな!」 「月城さんは細いから腰持つの怖いんだけど」 「奥さんには飲みに行きますってLINEしとかねーと」 「ぶは! すっげぇテンプレじゃん!」  それらを聞きながら「はいはいセクハラセクハラ」と一気に煙草を吸って灰にする。そして中央の細長い灰皿に押しつけて手を振った。 「んじゃ、誰が一番にあたしの処女奪うのか争奪戦しといてくださーい」  そのまままたドアを開け、喫煙所を後にする。ドッとまた笑う声が聞こえたが楽しそうで何よりだ。 (少子高齢社会の心配はあれど、性的行為は今までと変わらず平和なままってか)  可愛い女の子として見て欲しいとは全く思わないが、あそこまでいじれるのは平和ボケの証拠だなと笑ってしまう。  れなは公形とはやっぱり寝るのは危なそうだなと改めて思った。  そのまま一度オフィスに戻り、化粧ポーチと消臭スプレーを持って出る。  パウダールームがあるトイレに行けば、今度は女性社員の花園だ――――なんて。  鏡を見ながら塗りたくるファンデーション。床はその粉で汚れ、「あのクソ上司がさ」なんて愚痴を吐いている。  煙草の男性陣も紫煙と共に愚痴を吐くし、下ネタなんて連発だ。しかし女性陣のこの化粧と香水が混じっている空間で、同僚部下上司をなじる姿は少々怖いものがある。  やはりまとまると強いのは女の方かと思うのは、自分自身も女だからだろうか。  れなは同性の友達はほとんどいない。群れること自体は嫌いじゃ無いが、あの女性特有の集団行動は嫌いだからだ。  でもこちらから拒絶せずとも、高校時代から男遊びをしていた為、『彼氏に別れを切り出されたら、れなのせい』というよく分からない暗黙のルールが作られ、周りからは嫌われていた。  別に誰かの彼氏を寝取った覚えはないけれど、勝手に離れてくれるのならば好都合だと放っておいた。 「あ、失礼しますー」  喫煙所よりも声を高くして隙間に入る。  男にではなく女に猫を被るとは、難しい世界だなといつも思う。  れなは元々薄化粧のため、簡単にファンデーションを塗り直し、周りに迷惑が掛からないよう端に移動してから消臭スプレーを自分に振りかけた。  煙草の匂いを嫌がる人もいるため、一応エチケットとして匂いを消している。 (うっし)  午後は眠気との戦いだ。  いっちょ気合いを入れてパウダールームを後にし、自分のデスクに座ってからふとスマホがないことに気がついた。 「あれ?」  ポケットとデスクに置いてある書類の下など、辺りを探ってみるも見つからない。  もしかしたらパウダールームに置いてきたのかもしれないと、れなが立ち上がると、控えめな声で名前を呼ばれた。 「あの、月城さん」 「え、あ、えーっと」  振り返ると黒髪を顎で切り揃え、丸い眼鏡を掛けている女性社員がいた。  彼女が新入社員のとき、少しだけ話をしたことがある。 「橋本さんっ」 「はいっ、橋本です!」  拳を叩けば、嬉しそうに言った。そこは忘れていたのかと怒る場面ではと思うが、彼女の性格を考えるとそんなこと言えないだろうし、それどころか考えもしないかもしれない。  彼女、橋本美愛(はしもとみあい)は、れなの五歳下のキラキラネームの子である。入ってきたばかりの時、れなに『お茶汲みってどうしたらいいですか?』と不安げに質問され、そんなもの必要ないと爆笑したのは良い思い出だ。 「どうしました? なんかありました?」 「あ、あの、これって、月城さんのスマホ、ですよね?」  差し出されたのは黒いスマホで、ストラップもなく、ただラメのついたプラスチックカバーをしているだけである。探していたものそのものだ。 「あ! そう! これあたしの! 丁度探してたんですよね~!」  正真正銘それはれなのスマホで、受け取りながら拝むようにしてお礼を言った。 「ありがとう~! 助かりました~!」 「いえいえっ、無事お届け出来て良かったです」  両拳を握りながら喜ぶその頬は少し赤い。もしかしたら緊張でもしていたのだろうか。  そういえば橋本も他の女性社員と一緒にいるところをあまり見たことがない。 (人付き合いとか苦手そうだもんねー)  しかしふと左手の握り拳に銀色のものを見つけ、れなは驚きで「えっ!?」と声を上げた。 「橋本さんって結婚してたんだ!?」 「えっ、えっ!」  突然のことに驚いたのだろう。よく分からないと焦る様子を見せてから、言葉の意味を理解したようで左手を隠すようにした。 「えと、はい! 結婚、してますっ・・・・・・・」 「へぇー!」  れなは素直に感心の声を吐く。  彼女はまだ23歳の筈だ。その若さで、いや、その性格で結婚をするなんて、何がどうあってそうなったのだろうか。  橋本にこそ、人は見た目じゃ無いという言葉を言って欲しい。 「すごいですねぇ」  れなは今は隠れてしまった銀色の指輪を見るように見つめ、呟いた。 「あたし、この歳になっても結婚とか無理そ」 「え?」  不思議そうに首を傾げた橋本を見てハッとしたれなは、「いやいや、なに言ってんだろ」と笑った。 「すみません、その若さで結婚されて素敵だなって思って・・・・・・あ、スマホ本当にありがとうございました」 「あ、いえ」 「そしたら午後も仕事、ちゃっちゃと片付けますかね!」 「はい! えと、そしたら失礼しますっ」  ぺこりと頭を下げて橋本は小走りで自分のデスクに戻っていく。  こちらの方が年上かつ先輩だからといえど、あんな良い子は絶滅危惧種なのではないだろうか。 (そんな子が結婚してんのかー)  流石に子供はいなさそうだが、やることはやっているだろう。  喫煙所の野郎の言葉を借りると、あのバリケードを破ったのはどんな男なのか、すごく気になる。 (なんか、大自然が似合う健やかな男の想像しか出来ない)  二人で将来は畑を持ってのんびり過ごしてくれていたらいいなと、勝手に二人の幸せを願いたくなる自分はバカだろう、きっと。  れなは席に座り、両肘を置きながらスマホをタップする。  パスコードを入れて、アドレス帳を開けば、ズラリと並ぶ男の名前。  きっとこの中には橋本の旦那のような人間はいないだろう。いたらきっと橋本をゲット出来ていない。 (んじゃ、あたしは誰で遊ぼうかな)  スクロールし、適当に名前の羅列を見ていく。その中には高校時代のセフレもいた。  男遊びを始めてから誰の番号も消していないが、そんな昔のことまで覚えておらず、名前と顔が一致しない人ばかりだ。  もうこのまま友達百人出来るかな、みたいにこのスマホを男の番号で一杯にしてしまいたい。  しかしそうしたところでどうせ使える男なんていないだろう。  適当に遊んで、久しぶりに遊んで、気が向いたら遊んで――――そこまで気が合う相手ならいいけれど、大抵一回寝て終わりか、浩斗のようにつきまとうような状態になる。  そこで彼のことを思い出し、今日も家に来てるんだろうなと顔を歪めて溜息をついた。  そろそろ、うちに来るのをやめて欲しい。 「でも、ま、いっか」  れなはスマホのアドレス帳を閉じることはせず、そのまま脇のボタンを押して画面を暗くする。  久しぶりに他の人と寝る為に一所懸命、顔を思い出すのもバカらしい。だからと言って別の人を探すのたるい。  出会い系は使わない。今の時代、見た目や情報なんていくらでも嘘を書ける。待ち合わせの場所に行って、何度驚かされたことか。  それ系はもう高校時代でおさらばした。  ならば今は勝手に傍にいる犬と遊ぶのが楽だ。 (オムライスとか作らせようかな)  意外と料理が上手い浩斗に食材を買って渡すことを考えながら、オフィスの壁に掛かっている時計の秒針が仕事の時間を告げたのを見届け、中途半端のままにしていた書類に手を伸ばした。
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