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③そしてゴングが鳴り響く
「ご、ごめんなさいっ、なんか、あの、気になっちゃって!」
何度目か分からない謝罪を聞きながら、れなは何度目か分からない「別にいいってば」と笑って返した。
「お茶くらい全然。むしろ私なんかとお茶してくれてありがとうございますって感じです」
「いえ! それはこちらのセリフでしてっ、それとあのっ、敬語、じゃなくて、いいんですよ」
橋本は必死に話すその手には、フリードリンクで淹れたアイスティーが握られている。すでに氷は溶けているのではと思えるほどに握られているそれを見て、少し落ち着かせるようにれなは「そしたら橋本さんにはラフで話させてもらうね」と、アイスコーヒーを少し長めに喉に流し込む。
すると橋本も同じようにアイスティーを流し込んだ。
「んで? 橋本さんにお茶誘ってもらえたのすっごく嬉しいけど、何が気になったの?」
「あ、えと・・・・・・すごく失礼なことになってしまうかもしれないのですが」
彼女は眼鏡を上げて、こちらと目を合わせて言う。
その目は決して同情とか、そういうものが含んでいるのではなく、彼女らしい優しさが混じった視線だ。
「月城さん、結婚は難しそうと呟かれた時、すごく寂しそうな顔をされてたので・・・・・・」
「あー、あれか」
れなは頬を掻き、苦笑いする。
確かに自分らしくない発言をしたと思う。自虐的な言葉は使っても人前でそんなことを口にすることは少ない。なぜなら相手を困らせてしまうだけだからだ。
天真爛漫自由自在。自分はそんな人間なのに、突然マイナス発言されたら萎えるだけである。
「ごめんねー。ほら、あたしって28歳なのに結婚出来ない性格してるからさー」
れなは少し話題をずらすように質問をした。
「橋本さんはどうやって結婚したの?前から付き合っていた人なの?」
「あ、いえ、全然。高校からの知り合いで、友達・・・・・・と言えるほど話したこともなかったです。でも大学が一緒で、告白していただいて、それからそのまま結婚になりました」
「へー! なんかあれ? 高校の時からあっちは橋本さんのこと気になってたみたいな感じなの?」
「えーと、いや、えーと」
恥ずかしそうに頬を染め、アイスティーを飲むような仕草をしながら「はい」と頷く。
「私、ポヤポヤというか、ぼやーっとしているので、そんなこと全く気付かず、結婚もあれやこれやで進みました」
「・・・・・・もしかして結構強引だな?」
「んー。まぁ、そうですね」
紳士な夫を想像していたが、もしかしたら思い立ったら即行動! という人なのかもしれない。
彼女はそれに流れ流され、現在進行形で流されている状態か。
「嫌じゃ無いの? なんかそういうのって男友達とか作るだけでも嫉妬しそー」
「うーん。私、友達いないですから」
へへ、と笑う彼女は不満そうでも、恥ずかしそうでもない。
今の自分に満足している――――のかもしれない。
れなは橋本がそんな芯のある性格をしているとは意外で、けれどそれを言わずに会話を続けた。
「でも男と話すことくらいあるんじゃない?」
「仕事ではありますが、学生時代はほぼないですよ」
「・・・・・・学生時代っつーことは、高校生の時も?」
「はい。私は隅っこで本を読んだりしているだけでしたから」
「ほーほー」
頷きながら脚を組み、まさかと思い、もうそのまま直球で聞いてみた。
「橋本さんさ、今の旦那さん以外と付き合ったことってある?」
「いえ、ないです」
にっこり微笑んだ彼女に、れなの思考は場外ホームランである。
芯があるだけに、良い音を響かせてボールを打ち返された。
「まっじかぁ・・・・・・」
れなは肘をついた手で額に触れる。
「それってあれ? ほんとドストレートでごめんねなんだけどさ、男女の経験も初めてだったりしたの?」
「えっ、えっと・・・・・・はい」
一瞬驚きはしたものの、橋本は見事に頷いた。
恥ずかしそうにアイスティーを飲む彼女だが、こちらは酒を呑みたい気分になってしまった。
「お前は天使かっ!」
「えぇ!」
再び驚いた様子の橋本に、れなは我慢出来ずに言葉を並べる。
「あたしゃ高校時代っつったら男遊びまっさかりだっての! 右見りゃ男、左見りゃ男だったわ! 純情も純潔も前世に置いてきたってもんよ」
「前世は何だったんですか?」
「・・・・・・んー、厳しい仏教徒とか? ほら、性欲厳禁みたいな」
「なるほど」
理解したとばかりに頷く橋本。なにかがずれている彼女に、れなは遠い目をする。これはきっと男性に何か誘われても気付かなさそうだ。
れなは紫煙を吐くように小さく息を吐いてアイスコーヒーを流し込めば、「月城さんは」と今度は橋本が訊ねた。
「男遊びをされていたということですが、男性のお友達が沢山いるのですか?」
「んあー、男友達というよりも単なるセフレセフレ。あっちでヤってはいおしまい。こっちでヤってはいおしまいって感じ」
「なるほど、セフレですか・・・・・・」
悩ましげな声に、引かれるかなと一瞬れなは思ったものの、彼女は全くそんなことはなく「すごいですね!」と笑顔の花を満開にさせた。
「それだけ月城さんには魅力があるんでしょうね! こう、今までちょこっとお話させていただいただけでは分かりませんでしたが、こうやって今お話させていただいて、すごく気さくな方で、お話しやすいですし!」
「う、うーん、そうかな・・・・・・男は大抵身体目当てだからさ、性格なんて二の次っていうか・・・・・・」
「ではきっと性格良し! 身体も良し! なのでしょう!」
「・・・・・・・・・・・・」
この子は強い。最強に強い。
今まで出逢ったことのないタイプの女子に、少し戸惑いつつも、不思議と嫌ではなかった。
きっと人によってはウザいとされる性格なのかもしれないけれど、こちらだって常に女子には嫌われてきた性格だ。
もしかしたら弾かれもの同士、丁度いいのかもしれない――――なんて言ったら、彼女に申し訳ないか。
「今までどれくらいの方と遊ばれたのですか?」
「んー、まぁ出会い頭にノリでヤる時もあるけど・・・・・・」
言いながらスマホを掴んで、彼らの連絡先がある画面を開いて渡した。
「大抵電話番号聞くから、それくらいとは寝たかな」
「失礼します」と言ってから橋本はスマホを取り、「わっ! いっぱい!」と感嘆の声を上げた。
「すごいですね月城さん! 友達100人出来るかなってやつですね!?」
「あっはは、それあたしも思ってる」
ニッと笑ってから、「あー、でもさ」とすぐに自虐的な笑みに変わった。
「そのアドレス帳が100人になっても、それ以上になったとしても、あたしはきっと満足出来ないんだろうね」
そう言ってからハッとしたれなは、手をぶんぶん振って改めて笑った。
「あっはは、まぁた似合わないこと言っちゃった。なんかあたし、橋本さんと一緒にいると乙女になっちゃうのかも」
「・・・・・・元々月城さんは乙女だと思いますよ?」
あはははと笑っていたれなが、口元の笑顔だけ残したまま固まった。
予想外の言葉、というよりも、自分に最も似合わない言葉のそれに、思考回路がショートしたのかもしれない。
「月城さんは、どうして彼らと遊ぶのですか?」
「え、えー? そんなの大した理由もないよ」
動くことも上手く出来ず、れなは言った。
「ただ暇でさ、気持ちいいこと出来たらいっかなって。暇つぶしにくらいしか思ってない」
「ひとりは苦手な方です?」
「・・・・・・そんなこと、ないと思うけど」
ひとりが苦手だなんて考えたこともない。
誰かと寝て、たまにひとりで寝て、また他の誰かと寝て、あっち行ったりこっち行ったりして、遊んでいるだけ。
それにひとりが苦手だから、なんて理由をくっつけたことがなかった。
「よく男遊びをする方は、寂しいからっていうフレーズを耳にします。月城さんはどうですか?」
「別に寂しくない」
即座に出た言葉。
けれど自分で分かるほどに、どこか頑なに譲らない子供のような声をしていた。
だがそれを聞いた橋本は「それなら良かったです」と優しく微笑む。
「結婚したいと思う男性が、このスマホにいるかは分かりませんが・・・・・・」
スマホをれなに渡しながら言った。
「きっと月城さんが見つけたり、見つけてくれたりする方が、どこかにいらっしゃると思いますよ」
「・・・・・・そうかなぁ」
受け取ったスマホの画面は暗い。
この画面が光る時は大抵身体の要求で、それ以上もそれ以下もない。
「あたし、綺麗事って苦手でさ」
そう口にしたとき、なぜだか苛立っている自分がいることに気付いた。
けれどそれは決して彼女に対してではなく、自分自身に対してだ。
「今更、あたしなんかが王道なハッピーエンドなんて迎えたいなんて思ってないから」
橋本の純粋な言葉に揺れ動いた心に、今すぐ釘を打ち付けたい。
「別に一生このままでも構わないしっ・・・・・・」
「わぁーっ!」
「えっ、はっ!?」
突然声を上げた橋本に、れなは飛ぶように身体を曲げ、瞬きをして彼女を見た。
視線の先には「やっちゃったぁ」と泣きそうな顔をした橋本がいる。
「私いま絶対月城さんのこと傷つけましたよね!? よくお前はストレートに物事を言い過ぎて人を傷つけるって、えっと、旦那に怒られたことがあるんですーっ!」
「へ、へぇ」
「ごめんなさい。私なんかが踏み込んでいい話なんかじゃなかったですよね!」
「いや、別に」
橋本の突然のそれに驚きはしたものの、いつもの調子に戻ることが出来たれなはホッと心の中で安堵する。
きっとあのままの雰囲気だったら意味も無く彼女のことも傷つけていただろう。
(なんかこの子、ほんとすげぇな)
れなは苦笑し、深呼吸をしてから橋本に言った。
「別に橋本さんはあたしを傷つけようとして言ったわけじゃないし、良かれと思って言ったわけでもない。ただ単純に、思ったことを言ったんでしょ? 結果それで傷ついたとしても、こうやって謝れるなら大丈夫だし、あー、別にあたしは傷ついてないんだけどっ」
ようするに! と続ける。
「セフレとか作って遊んでるあたしのこと、普通に認めてくれて、嬉しかった。あたし、もっと橋本さんと話してみたいなー」
最終的にどこか相手に返事を求めている言い方になってしまい、自分で自分が恥ずかしくなる。
仕方が無いだろう、女友達なんて作ったことがないのだから。
しかし橋本は感動するように両手を組み、「はい!」と嬉しそうに頷いた。
「是非! あのっ、宜しければっ、お友達にさせてください!」
「あは! そこはお友達になりませんかでいいじゃん」
二人は笑い、そしてまるで兄弟の盃を交わすみたいに、アイスティーとアイスコーヒーのコップをぶつけ合った。
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