①夜明け

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①夜明け

 マンションの五階。  ドアを開ければ短い廊下があって、途中にトイレと浴室。そしてその先にリビングにキッチンがある。  広いようでそれほどでもないそこの壁に扉がひとつ。そこが寝室だ。  リビングの半分くらいの部屋にはクローゼット、その隣に姿見が立てかけてある。  薄ピンク色のラグが敷いてあり、小さなテーブルの前には同じように小さなテレビが置かれていた。  どちらかといえば、リビングよりもこの小さな部屋だけで生活しているみたいだ。まさにここはアパートの一部屋しかないそれそのもののように見える。  そんな部屋の床に散らばる衣服。女性用のパジャマに、ワイシャツと少しラメの入った黒いワイシャツ。下着も適当に放り捨てられていて、それを拾うように辿っていけば大きめなベッドが。  茶色い羽毛布団は邪魔だとばかりにベッドの足先に追いやられ、タオルケットの山が静かに上下に動いている。 「ん・・・・・・」  もぞりと動いたのは手前側の女性――――月城れな、だった。  れなは寝起きの歪めた顔で肘をベッドにつきながら頭を上げる。ベッドヘッドの斜め向こうにあるカーテンの閉まった窓に視線を向けて、茶髪の長い髪の毛をガシガシと掻く。そして裸のまま床に足をつけ、カーテンを人差し指一本で少しだけ開ける。  外は暗いが、向こう側が少しだけ赤く染まっていて、朝日がもうすぐで昇るところだった。  けだるげに首を動かし、ペタペタとベッドに戻る。けれどもう一度横になるのではなく、自分が掛けていたタオルケットをバスタオルのように胸上で巻き、テーブルの上に置いてある煙草と灰皿を持って、窓を開ける。  カーテンの磁石は外さず、窓も静かに再び閉める。  小さなベランダには安い丸椅子が二つ。片方はクッションがついているもので、もう片方は鉄で出来ているような、よく居酒屋で椅子が足りなくなったら出てきそうなものだ。  れなはクッションの方に座り、鉄の方には灰皿を置く。  勿論、片方の椅子がその作りの理由は燃えないようにだ。これでも一応火事には気をつけようと思っている。  とっくの昔に脱毛した、白い肌の足を組んで煙草のパッケージを開けた。  隙間に入れたライターから取って、一本紫色のラメのラインが入ったその煙草を取って咥えた。  ジュッと音を立ててライターが煙草を燃やす。適当なところで火を止めて息を吸って――紫煙を吐く。  少しだけ吹いている風がれなの髪の毛をなびかせ、むき出しの肩を少しだけ冷やす。だがれなはこれくらいの冷たさが好きだ。  真っ直ぐ見つめた先にはゆっくりと朝日が昇っていき、まぶしさで目を細める。  その間も呼吸のひとつとして煙を吐き出した。そのゆらめく紫煙はまるで朝日が雲を纏わせているような、羽衣を纏っているようにも見えた。  無言のまま朝日が昇るのを見つめていれば、ガラと窓が開く。 「毎回言ってんじゃん。俺も起こしてって」  背後からどこか不満げな声がしたかと思えば、そのまま後ろから抱きしめられた。  相手もタオルケットを持って来たようで、こちらを包み込むようにする。冷えた肩が彼の体温を教えてくれる。 「また見てんの、朝日」  不満げだったのとは打って変わって、いつも通りの声で問われ、れなは「うん」と頷いた。 「あたし、昨日と今日の狭間が好きなんだよね」  人差し指と中指で煙草を取り、フーと紫煙を吐いた。汚いそれの筈なのに煌めきを帯びれば綺麗に見えるのはどこか嫌みったらしい。 「時間的にいえばさ、二十四時になればもう今日なわけだけど、ぶっちゃけただの夜じゃん。日付が変わった感覚なんてないわけよ」 「でもさ」と続ける声は、高校生の頃から隠れて吸っている煙草のヤニで汚染されたせいと、昨晩の行為のせいで、若干ハスキーボイスだ。  だがれなは元々声は高い方ではないため、普段と変わらないと言う人もいるだろう。 「朝日はそんな曖昧な時間とは違って、朝が来たんだって分かるわけ。そしたら今日が来たんだって気になるじゃん?」 「ま、確かに?」  タオルケットの下から腕が伸び、煙草を抜き取られる。 「俺も朝日を見ると仕事が終わったーって分かるから好きー」  後ろからこちらの髪の毛を揺らしながら汚れた吐息が通っていく。 「あんたはほぼ二部中心の仕事じゃん」 「あれ、そうだっけ?」  わざとらしく相手は言い、れなから離れる。一度温かいと思ってしまったせいで、先ほどよりも空気が冷たく感じられた。  奪われた煙草に愛着は無いため、新しい煙草を咥える。するとジュッとライターの火が差し出された。  それを当たり前のように、けれど内心ありがたく頂戴する。 「さすがなことで」 「当たり前だろ」  タオルケットで身体を包み込みながらベランダの手すりに寄りかかり笑った。 「これでも一応ホストですから」  朝日に金髪が輝く。寝癖のついたそれに、どこか人なつっこい笑顔。スーツを着ていればそれなりになるけれど、れなは片側だけ唇を上げ、「はっ」とバカにするように笑った。 「売れないホストですけどね」 「二部では人気者だから」 「あっそ」 「マジだから! れなは二部に来たことねぇから知らないだけで」 「はいはい。別にあたしはあんたが人気だろうが人気じゃなかろうがどうでもいいから」  煙草を指で挟んで取り、その手をシッシと動かした。 「あーあ、ほんっとれなはクールですね」 「浩斗はうっさい」  にっこり微笑んで言ってやれば、大峰浩斗(おおみねひろと)は笑いながら肩を揺らし、短くなった煙草を思い切り吸ってから灰皿に擦りつける。そしてこちらのまだ長い煙草も奪い取り、灰皿行きにした。 「ちょっと」 「ほら、もっかい寝よ」 「ここで二度寝したら次起きるの眠いからイヤ」 「えー・・・・・・じゃあ」  浩斗は口角を上げて人差し指一本を差し出し、れなの胸の谷間から顎まで欲を含んだそれでなぞった。 「もっかい勝負する?」 「・・・・・・・・・・・・」  大分昇った朝日の前に立つ浩斗の顔は影になっているが、その瞳が挑発するように輝いていることだけは分かる。  れなは溜息をついて、「その方が楽かな」と呟いてから、顎を持ち上げるようにする人差し指を掴み、舌を這わせた。 「いいよ。掛かって来なよクソガキ」 「うっせぇもうすぐ三十路が」 「・・・・・・あんたの全部絞り尽くしてやんよ」  ヒクリと頬を引きつらせながら口に含んだ指を思い切り噛んでやった。
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