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卓也、クロに呪われる
その日は空をひっくり返したような土砂降りだった。新発田卓也が自分のアパートに着くと、どこかでニャーニャ―子猫の鳴く声がする。
声はすれども姿は見えず、卓也はしばらく猫のか細い鳴き声を頼りに辺りを探し回った。
すると、卓也のアパートの床下に、泥まみれの黒猫がいるのを発見した。猫は、卓也に向かって必死に助けを求めている。
卓也は優しく黒猫を抱き抱え、自分のアパートまで運んだ。
お湯に浸して、泥を落としてやる。ハンドソープで丁寧に洗ってドライヤーで乾かしてやると、猫はビロードのようにつやつやとした黒い毛をしていた。肉球はグレーだ。猫はオスである。
猫は腹をすかしているらしく、まだ鳴き続けている。卓也は雨の中、近くのホームセンターまで走って子猫用のキャットフードを買いに行き、猫に与えた。猫は腹を満たすと満足げに喉をゴロゴロ鳴らした。
「まいったなあ。このアパート、ペット禁止なんだよな~」
卓也は迷ったが、結局この黒猫を飼うことにした。もうすぐ冬だ。雨も冷たい。もし卓也がこの猫を外に追い出したら、寒さと飢えで確実に死んでしまう。優しさだけが取り柄の卓也には、そんなことはできなかった。
その日、猫は卓也と一緒の布団で寝た。猫には、『クロ』と命名した。
次の日、卓也はクロに餌を与え、ラッシュアワーを避けて朝早く家を出た。彼はいつもこの時間帯に出勤する。見知らぬ他人と体を密着させるのが、何よりも苦痛なのだ。卓也の会社はIT企業でフレックス制だから、早く出社して早く退社できる。もちろん、仕事が終われば、の話だが。
卓也が誰もいないオフィスで仕事をしていると、九時五分前に陣内美咲が出社してきた。
「おはよう」
「……おはようございます」
美咲は面倒くさそうに卓也に挨拶をした。彼女は総務部で、社内一の美人である。まだ二十歳だが、社長の愛人だというもっぱらの噂だ。彼女はモデルのように美しかったが、性格はきつく、優しさの欠片もなかった。彼女の父親も別の会社の社長である。
一方の卓也はシステム・エンジニアだったが、営業が下手なため、なかなか仕事をもらってくることができなかった。年は美咲の一回り上の三十歳。彼女から見れば立派なおじさんだろう。
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