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「──仕事じゃないのか」
言えば彼はあははと笑う。
「外回りの営業なので、営業先に行くと出かけてきました」
どうしてそんなことまでして──。
「実は先日の店に何度か行ったんですけど、全然お会いできなくて。お店のかたにも聞きましたけど、いらっしゃるのは不定期だと聞いて、こちらに来てしまいました。あの日、あなたとの会話が楽しすぎて」
会話だけ? その後のことはいいのか。
「どうしてももう一度話をしたくて、あの、もしよければまたお店で会いませんか」
そんな約束をしたいがためにわざわざ──。
「──そちらに時間に余裕があるなら、今でも構わないが」
「お仕事中じゃ?」
「あなた以上に時間の融通が利く仕事だ」
追い返してしまえばいいのに──私はどうぞと中にいざなっていた、彼はいそいそと靴を脱ぎ上がってくる。
やはり本が好きなのだろう、見知っているはずのリビングを改めて笑顔で眺めている。
「コーヒーを淹れよう」
先日は冷え切ってから飲んだコーヒーは、今日は温かいまま飲めるだろう。
彼はありがとうと言って本を一冊手に取る。
「あの──お名前を聞いてもいいですか」
控えめに聞いてきた、関係を持った女の名前など聞かないほうがいいのに──しかも目の前の棚に私の著作がある、もし事実を盾に脅されるようなことがあったら……ほんの数秒逡巡したが、私は名乗っていた。
「高階、瞳」
「ヒトミさんかぁ」
嬉しそうに微笑んでから、はたと表情が止まった。
「……タカシナ……」
目の前の棚を見上げまさにその本を見つけた、しばらく見つめた後今度は背後にある私の机を見て、次にその視線は私を捉える。
「──え……高階サツキ、さん……ですか?」
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