霹靂のち段ボール

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「別れよう」  彼女がパンツを履きながら言った。青天の霹靂とは言い得て妙だと、思わず関心をしてしまった。ベッドで寝転ぶ俺に、落ちてきたのはまさに稲妻だった。セックス後の晴れやかな気持ちでいたのに、まさかだった。  突然の死刑宣告にショックを受けたのか、思い出が刹那に出てきたのにも驚いた。  彼女とは合コンで出会い、すぐに好きと言われ、冗談だと思いはぐらかし、それでも好きと言われ、段々と好きになり、彼女の告白を終には受け入れ、付き合い始めた。  結婚というゴールは見えていなかったが、順風満帆だった。  映画や漫画の趣味も合い、体の相性もよかった。俺の部屋に転がり込んできたのも不思議と嫌じゃなかった。一人でしか眠れないと思っていたのに、隣に彼女がいても朝まで眠れた。ペットボトルの飲み物を少し残す癖も、薄いドアを通して聞こえるトイレの音も平気だった。 「どこか嫌いになったの?」  自分の生活や癖を考えて言った。彼女にしてみれば、ペットボトルの飲み物を残さないことや、薄いドアを通して聞こえるトイレの音が嫌だったのかもしれない。 「全然。嫌なことなんてなかった」  その過去形に、傷ついた。  時計の長針と短針が1に照準を合わせ迫っているのが見えて、怖かった。時間が止まった方が、世界にとってベストなんじゃないかと思うくらいだった。額の汗からも二酸化炭素を減らす努力が必要だと言われている気がして、それを止めるには別れない方がいいと提案すべきだと、意識の奥で意味不明な考えが発生していた。 「新しい家も見つけたんだ」 「なるほど」  納得していないのに、俺は返事をした。  他の言葉が出なかった。冷静になろうと水を飲み、トイレに行き、理由を聞こうと戻ったときには、もう彼女は寝息を立てていた。  翌朝から荷物をまとめていった彼女を見て、別れ話は冗談じゃなかったんだと、焦った。コーヒーをすすっても美味しくなかったし、彼女がどうしよう、捨てようかなと、服を並べているのをただソファに座って眺めていた。 「どうして別れようと? 俺は別れたくないんだけど」  ここまで15分掛かった。 「あー、ごめんね」と服を畳みながら彼女は応えた。「急に好きじゃなくなったの。私もびっくりした。一週間前ね、家に帰ってきて、ごはん食べて、セックスして、満足したら、終わってたの」  俺が寝ている間に運び込んだのか、壁には薄っぺらにされた段ボールが立てかけられていた。 「満足したら、終わった?」 「そう。分かるでしょ?」  小さく首を振ったが、彼女は見ていなかった。  正直、意味が分からないし、信じられなかった。唯一、理解できるのは、この別れ方が彼女に似合っているということだった。決して俺ではなく。  俺は君の人生のキーポイントでもなければ、脇役でもない。笑っちゃうくらい、いつか殺された虫けらなんだね。 「ねえ、違うからね。そんなに落ち込まないで。愛してたよ。ちゃんと。今も大切な人には変わりないんだから」  心のうちを全部分かっているのか、彼女は俺をきちんと見て言った。  そうだよ。いつもだ。だから君にはかなわない。大切なものは逃さない。 「ごめんね、私、こんなで」  今度は首を大きく振った。 「いいよ」  付き合い始めた頃から、彼女を受け止めるのに慣れてしまっていた。そして、それが心地よかった。悲しかったが、辛くはなかった。  きっと俺は、君がどこかの街で誰かと一緒に歩いていて、ベビーカーを押している姿を見かけたときに、初めて失ったことを認識して、泣くんだろうな。 「あーあ」  せめてもの嫌味を吐いてみた。そして、重い腰を上げて、段ボールを組み立てていった。
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