葬送の不知火

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 昭和十六年九月七日。その日が僕の命日になるはずだった。  両手両足を縛られ夜の海へ放り出された僕の体は、重力に従いまっすぐに沈んでいった。どこまでもどこまでも、ただ海の底へ向かって。  真っ暗な闇と重みを増す水圧に挟まれた肉体は、歪んだ古板のように(きし)みをあげ内臓をひしゃげていく。  なにも見えない。夜の闇でも、こんなに暗かったことはあるだろうか。僕は電球の切れかかった、頼りない街灯が照らす薄暗い路地を思い出していた。あの向こうには、何があるのだろう。行き止まりか、果てのない常闇か。  目を閉じたが、視界は何一つ変わらなかった。まるで黒い絵の具で、まぶたの裏を一面に塗りつぶしてしまったようだ。  気を失う前に、ふと、白い少女の顔を見た気がした。   ◇  気がついたら、僕は浜辺に流れ着いていた。夢でも見ているのだろうか?  眠るようにもう一度意識を失い、次に目が覚めるといつの間にか知らない民家の居間に寝かせられていた。縁側から外を見上げると、物干し竿に僕の濡れた学生服が干されて揺れている。布団の下の体には肌着以外は身につけていない。誰かが僕を助け、濡れた服を脱がしてくれたのだろう。 「気ぃついたか、兄ちゃん?」  起き上がった僕が声のほうを見ると、日焼けした気難しそうな老人と人の良さそうな老婆が座って茶を飲んでいた。僕は頭を下げた。 「助けていただきありがとうございます」 「ぬしさん、話し方からすっとここん辺りのもんやなかやろう。なしてあなんとこに倒れとったんや?」 「……」  僕は答えなかった。
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