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だけど美しく魅惑的なものこそ、早々に壊れてしまうものだ。
「おい! 君たちそこで何をしてるんだ。ここは夜間立入禁止だぞ!」
向こうの防波堤の方から怒鳴り声が聞こえた。最後の一本に入ろうとしていた俺たちは、突然の妨害に眉をひそめてそろって声の主の方を見た。
遠くの方にわずかに黒い点が二つ確認できた。花火の消えた宵闇ではよく見えないが、確かにこちらに向かって走っているのがわかる。聞き取った内容からして巡回の警察官だろう。
「あれ、ここ立入禁止なの」
「わからん。でもなんかヤバそうだな……。双、走るぞ」
持ち物であるリュックだけを背負って花火セットは砂浜に置き去りにし、俺と今日華は警察官たちが来たのと反対側に走り始めた。
「止まりなさい! 君たち、止まれ!」
罵声が後ろから追いかけてきた。俺はもう無我夢中で走りにくい砂浜の横にある階段を登って、コンクリートの道に出た。そしてすぐそこにパーキングエリアがあったので、そのまま車の群れの中に身をかがめて潜り込む。今日華は俺の後からピッタリとついてきていた。二人して黒い軽自動車の横で息を潜める。
「どうする。何か逃げたら余計面倒なことになる気がするんだけど」
「あー、でもまあ、逃げ切れたらお咎めなしだぞ」
そりゃそうだが、そんな舐めたことを言っていいのだろうか。ここは素直に謝ったほうが得策な気がする。俺がひとりで顎に手を当て思案している内に、黒い車のドアをダメ元でガチャガチャしていた今日華は、「あっ」と小さな声を上げた。振り向くと、なんと車の前のドアに鍵がかかっていなかったようで、いとも簡単に開いてしまったらしい。
「ここに隠れよう」
今日華は短くそれだけ言って、丁度胴の幅ぐらいの隙間から体を滑り込ませた。そして運転席に座って見えないようにかがみ込む。
「双も早く」
俺は躊躇していた。人様の車だし、個人的にはコソコソ逃げるより平謝りをする方法のほうがよかった。それでも人間という動物はおかしなもので、警察官の足音を聞くなり焦ってしまい、気がついたら車に乗り込んでドアを閉めていた。
「あいつらどこに逃げやがった」
外から声がする。目で見ることはできないが、すぐ近くの場所にいることがわかった。俺はもう怖くなって、ひたすら膝に顔を押し付けていた。息をする音さえ神経質になる。同様の格好をしているであろう今日華の方は、体制的に見ようにも見れなかった。
すると突然の車内が揺れ。次にエンジン音と小刻みの揺れが続く。俺は嫌な予感がし、わずかに身じろぎをして横を向いた。
「車だ! 黒い車! 子供だ!」
「お前ら止まれ! 引き返せなくなるぞ!」
外で声を荒げて止めようとする警察官を横目に、車は勢いよく走り始めた。俺は隣の運転席でハンドルを握る今日華に、凍りついて声も出ない。車はそのままパーキングエリアを出て、ぽつぽつと外灯の立ち並ぶ車道へ出た。
「今日華、戻ろう。俺たちいよいよ犯罪者だ。やばいって」
「ごめんな、双」
焦る俺をよそに、前方だけを見続ける今日華は一言だけこぼして黙り込んだ。戻る気はさらさらないらしい。俺は絶望的な状況を察し、諦めて座席のシートにもたれかかった。流れる夜の景色だけがこの世界で唯一動いている。
次第に明るい店が増えてきて、ついには大通りにまで出てしまった。賑やかな街並みになると、信号が比例するように増えていく。ビルの明かりやネオンの看板が、二人の男子高校生を見下すように揺らめいていた。俺は窓に肘をついてぼーっとそれらを眺めていたが、やがてため息をつくと今日華に声をかけた。
「……なぁ、今日華の名前の由来って何かあるの?」
「気になんの」
「うん。だって珍しいじゃん」
「そうだな。よく女子に間違われる。電話越しだと漢字が伝わりにくいのも面倒くさいし」
話しかければ普通に返答が返ってきた。少しほっとした俺は、無免許運転をもはや完全に信用しきって、往来を歩く人混みをなんとなく眺める。皆この車に逃走中の人間が乗っているとは夢にも思わないのだろう。
「華って、咲けば必ず散るだろ。それも結構短期間で。今日という一日も、そんな風に儚く過ぎていくものだから、一瞬一瞬を大切に生きろって、そんな意味が込められているらしい」
「へー、いい由来。今日華はそんな風に生きてる感じするよ」
「ああ――そうだったらいいけど」
そこで言葉が途切れた。信号で一旦車が停止する。無駄のない操作、どこかで運転したことでもあるのだろうか。
「さっきもさ。警察に捕まったら、この一瞬がなくなると思ったんだ。ごめんな、巻き込んで。今夜だけで色々違反し過ぎたな」
「あはは、そうだね。でも共犯だよ。こんな都会の中で俺ら二人ぼっちだ」
周りを平然と歩いている人々、つまりこの世間というものはとても冷たい。一度レールを踏み外せば、もとに戻ることは容易ではない。世の中は集団で正義を語い、悪者を囲って責め立てるようにできている。標的を孤独にして知らず知らずの内に殺すのだ。
「あ、でも一つ、俺も謝らないと」
「何?」
不思議そうな顔で今日華はこちらを見てきた。車はいよいよ都心へと入っていく。警察に見つかるのも時間の問題だろう。俺は安らかな表情で言葉を続けた。
「俺、今日華のこと普通に好きだわ」
駅での今日華の話だ。嫌ってくれと言われていたが、いつの間にか今日華といることが心地よくなり、気がついたら助手席に座っていた。もしかしたら人生って、自分でもよくわからない内に何者かに引き寄せられるものなのではないだろうか。
「へぇ、情熱的な告白どーも」
今日華はほほえんだ。時刻はもうすぐ深夜を迎え、少ししたら明日になるだろう。俺たちはなおもビル群の間を走り抜けていく。
だけど、どこまで行っても俺らを迎えてくれる場所なんてない。偽善者の集う矛盾でできた街はどこまでも俺らに厳しい。
後ろの方からサイレンの音が聞こえた。赤いフラッシュライトが辺に乱反射する。
――どうやら時間が来たみたいだ。
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