chapter 4

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chapter 4

    六回裏の相原の打順に田島が代打で出た事で、ある程度予測していたものの、はっきりと投手の交代が告げられたレフトスタンドからは、やっぱりという溜息と、動揺のざわめきが、さざ波のように広がっていった。  当然、相原の続投が不可能になった事への落胆だ。それだけあいつの投球に期待していたんだろう。  もちろん俺も例外じゃない。  けど、そんな事はお構いなしに試合は進んでいく。  何だかんだでいよいよ終盤、七回表。  明峰のファーストバッターは一番の好打順。三回の時もこのパターンで点を許した。  西城のベンチには田島以外、もうマウンドに立てるピッチャーはいない。  あいつの力投に頼るしかないし、フィールダーもその事は十分心得てる。  これまで以上に気合を入れて、田島の投球を助けるだろう。  ホームベースの前に立ち、本塁から大声で指示を出す山崎に、各々守備位置を確認した七人の野手が手を上げて応える、まさに背水の陣、だ。  それでも、いくら助けたくたって守備にも限界はある。  んでもって、やっぱ嫌な予感ほどよく当たりやがる。  ファーストバッターへの一球目が、いきなりライトとセンターの中間後方に落ちる大きな当たりになった。  一塁を回ったランナーが俊足を生かし、一気に二塁を落とす。  小細工なんか必要なし、と二番打者まで打ち気に満ちて打席に入る。  しょっぱなからこれか、と言いたいけど、実際ファーストが空いてるなら自分が生きる為の選択をするのは当然だ。  二番打者への初球、投げるのと同時に山崎が立ち上がった。  ランナーが飛び出し、バッターが大きく外されたボールにバットを出しかけて止めた。  盗塁!?  山崎が、ミットにしっかり捕球したボール球をセカンドに投げる振りだけで牽制し、田島に返した。  意外な手段で揺さ振りをかけてきた相手に驚いた。  それにしても、明峰にしては珍しく中途半端な事しやがる。  けど、田島と山崎のバッテリーも、そこんとこはしっかり読んでたようで、なかなかやるじゃん、と、ほくそ笑む。  そうそう相手にばっか振り回されて堪るか! って心境だ。  それはまあいいとして、盗塁は阻止したもののボールカウント0ー1で、相手の選択に幅が生まれる。  ノーアウト二塁、  二球目は内角高め、胸元に決まってストライク。  元々制球は悪くない田島だ。3イニング丸々休んだ事で球威もある程度回復している。  何とかなるかも――と思った矢先の三球目、同じところに要求したボールが、僅かに中に寄った。  右打者に対し、内角に集めなんとかレフト方向に打たせ、できればゲッツー、最悪でも進塁は阻止したいバッテリーと、ライト方向に打ち、ランナーを進めたいバッター。  それぞれの思惑がぶつかり、バットがボールを捉えた。  快音を響かせた打球は、ライトのファールライン際のフェンスに当たる長打コースに。  ライトの渡辺が堅実な打球処理でボールを掴み、すぐに松谷に返球する。  その前に二塁ベースを蹴った俊足のバッターが、頭から三塁に突っ込んだ。  連打、しかも長打を浴びて、相手に待望の追加点が入る。  レフトスタンドからは悲痛なうめき声が、ライトスタンドからは賑やかな打楽器の音が三回以降、久しぶりに鳴り響いた。                                                                『やはり明峰高校、チャンスを見逃しません。七回表、西城の相原君から再び田島君に代わったこの回、一番、二番と続けてクリーンヒット。ノーアウトで一点を返しました』 『どうやら終盤以降、明峰の本領発揮、となりそうですね。対する西城がどこまで食い下がれるか、田島君の好投、野手の好守備に期待しましょう』  だ・か・ら、まだ勝ち越されたわけじゃねえっつってんだろっ!!  西城はまだ二点もリードしてんだよ。  ったく、いちいち勘に障る解説しやがって。  その突っ込みが空しい行為になりつつあるのを、自分でも自覚してる。  そんだけ今の明峰は弱みが見えなくなっちまった。  五対三となり、ランナー三塁で三人目、クリーンナップの三番は前の打席で相原の球を見逃し三振した奴だ。  それが、今度はそのリベンジに燃えてバッターボックスに立つ。  田島にしてみれば(何で俺が……)な気分だろう。  1ー2からの四球目、投げるのと同時に今度は3塁ランナーがホームに走った。  スクイズじゃない、ヒットエンドランかよ! 舐めやがって!!  しかも打たれてやがる! しっかりしろ田島ッ!!  三度快音を響かせ、はね返されたボール。けどその先には! 「ワンちゃんッ!」  悟った瞬間、マウンドにいる時と同じ気分で叫んでた。  地面を低く転がりショートとサード中間を襲う打球。その先にやっぱワンちゃんが走り込んでたっ! 「やたっ!」  存在を確認した瞬間、抜けないという安堵と共に身体が一気に熱くなる。  体勢を崩しながらもグラブに白球を掴み取った瞬間、俺も同時に拳を突き上げた。 「よっしゃーッ!!」  両隣の先輩までが声を大にして叫ぶ。  その後の処理がまた早いっ!   ホームに一瞬目を遣ったワンちゃんが三塁ランナーの位置とスピードを瞬時に計り、迷う事なく一塁、柴田のミットめがけて送球した。  相変わらず低くて速い。  ストレートに近い最短距離の軌道、しかもノーバウンドでバシッとボールが収まった。  ここが和泉高校の食堂だという事も忘れた。  こんな場所でこんな高揚感を味わうなんて、思いもしなかった。  一点返されはしたけど待望の1アウトに、レフトスタンドがにわかに活気づく。  もし三打席連続ヒットにされてたら、流れは完全に明峰に傾いてた。 『明峰高校の野田君、いい当たりでしたが、それ以上にショート成瀬君の好守備に阻まれ、塁に出る事は叶いませんでした。しかし明峰にまた一点の追加点。その差は一点と、徐々に西城高校を追い詰めます』 『ですが、西城高校は今のでいいですよ。一つ一つアウトを取っていく事が大切ですからね。成瀬君が捕球した場所は定位置よりかなり後方ですし、ランナーのスタートも早かったですから、仮に追加点を阻止しようとホームに投げていたら、恐らく二回裏の明峰のミスを繰り返す事になっていたでしょう。非常に落ち着いた、いい判断でした』  そうなんだ、あれがワンちゃんの真の姿。  そこには心配していた不調の陰もない。  完璧な捕球と瞬時の判断、そして送球まで、非の打ち所がなかった。 「なんか、心配すんのがバカバカしくなってきたな」  義純にぼそっと零されて、口元が緩んでしょうがない。  二度目の登板になる田島の球で、相手チームの打線を抑えるのはやっぱ厳しい。  それでもワンちゃんのあの華麗な守備を見る機会が増えるなら、打たれてもいっか、って気になるから不思議だ。  実際にそうなったらまたハラハラドキドキするんだろうけど、こんなに引き込まれる試合もそうないと思う。  そんなお気楽な事を考えてた俺は、『弱みのなくなった』明峰の強さをこの後即、思い知らされた。  七回裏のワンちゃんと同じ、明峰高校の四番打者、室生がランナーのなくなった打席に立つ。  ヘンッ、ざまあみろだ! セコイ真似するから自分達も同じ立場に立たされやがった。  いくらヒットが出たって還るランナーがいないんじゃ張り合いないよなぁ。  嬉々として見ていた視線の先で、田島の球が室生のバットに完璧に捉えられた! 『打ったぁッ!! 打球はどんどん伸びる! これは大きい! センター久住君も見上げた! 明峰高校の室生君、西城の田島君から打った当たりはセンター中段に飛び込む今大会第一号!! 待望の一発でついに同点に追いつきました!!』 「ウ…ソだろォ!」  インパクトの瞬間、スタンドに入ると直感でわかった。 「あ~、何やってんだ田島ぁ」 「シャキッとしろよ~!」  今度は両側から嘆きの声が上がる。その気持ちも十分わかる。  まさかこう来るとは、さすがに思いもしなかった。  室生のソロホームランはアナウンサーの言う通り、今日第一号であり、この大会の第一号だ。  ボールがスタンドに飛び込んだ瞬間、ライトスタンドだけじゃなく、レフトスタンドの観客からも大きな拍手が起こった。  俺の時もそうだった。  試合の勝敗だけに拘らず、今この瞬間だけは、高校球児の活躍を喜び、讃える拍手。  県大会で、スピードガンが自分でも最速の153㎞/hを示した瞬間、今と同じレフトスタンドから、大きな温かい拍手が聞こえた。  あれは、俺が初めてワンちゃんを三振に打ち取った時。  こんな気のいい奴らが応援している西城だ。  勝って欲しい、絶対に。  右拳を高々と突き上げ悠然とダイヤモンドを回る室生を、カメラが映し続ける。  打たれた田島の様子が知りたいのに室生のアップばっか追いかけて、西城の様子が全然わからない。 『見事なホームランが飛び出しました、明峰高校。どうでしょう、さっきの室生君の打球は。田島君の失投でしょうか』 『いえ、コーナーを突いた丁寧なピッチングでしたよ。ですが低めのストレートを上手く捉えました。打った室生君を褒めるべきでしょう』 『七回表、ここに来て試合は振り出しに戻り、1アウトランナーなし。明峰高校の攻撃が続きます』 「この一本は痛いよなぁ」 「同点だもんな。精神的に結構くるんじゃねえの?」    先輩達の杞憂は、西城高校選手全員の気持ちの核心を突いていた。  やっぱ同じ野球仲間、普通の観客以上にグラウンドにいる選手達の感情を敏感に感じ取っちまう。  本来ならキャッチャーである山崎が一番にホームから声を張り上げるところだ。  実際、俺達の時にはそうしていた。最終回でさえそれは変わらなかった。  なのに一番必要な今、その掛け声がグラウンドに響かない。  マジやばい、こいつら。  ――相原の不在。  それが、こんなところにまで影響を及ぼしてる。  自分達で鼓舞していかないと、甲子園の波に簡単に呑み込まれちまう。  誰か……誰でもいい、早くその事に気付けよ!  そんな焦りをあざ笑うように、画面がスコアボードをゆっくり移動する。  ついさっきまで三点あった点差が今は五対五の同点。  しかもまだ1アウト、だ。  何とかあと二つアウトを。  そしたら……ベンチに仲間が集まれば、この重苦しい空気も少しは変わる。
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