chapter 4

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   ホントに振り出しに戻った七回。  五番打者も打つ気満々だ。しかも同点に追いついたせいかこれまでの力みが消え、逆に手強くなっちまった。  当の田島は、と、その表情をアップで捉える画面を見ると、ホームランを打たれた直後だというのに、これまでと全くと言っていいくらい変化がない。  ホームランだけじゃなく一応同点に追いつかれてんだけど、その焦りも見られない。  なんか、すごい奴。  ここまで動じてない奴も珍しい、かも。  これなら、もしかして―――  淡い期待をした俺だけど、それはすぐに儚く散っていき、今度は頭を抱えたくなった。  五番はともかく、六番の下位打線にまで左中間へのクリーンヒットを許して、ランナー一、三塁でまたまた門倉を迎えた。 『明峰高校、怒涛の攻撃が止まりませんッ! 一番から始まったこの回、すでに五本のヒット、その内一本は室生君のホームランと、田島君を完全に攻略しています。後がない西城、非常に苦しい展開になってきました』 『厳しいですねえ。さすがに優勝候補、というところでしょうか』  気持ちばっかり先走り、ただ見てるしかない自分が歯がゆくてしょうがない。  頑張れ田島! 打たれてもいいから、せめて守備範囲に打たせろッ!  そう、できるなら最初からやってる。  それはわかってる。  けどッ! 祈ることしかできないんだよっ! 俺達にはッ!!  室生並のスラッガー門倉を前に、初めての対決となる初球はストライクをあっさり見逃された。  余裕しゃくしゃくな態度に、益々イライラが募る。  二球目。案の定、バットが易々と硬球を捉えた。  ライト線への長打でランナー二人が生還、この試合初めてリードされた。しかも二点も。  門倉は2塁上で留まったが、クロスプレーの一つもない、どこも楽々セーフの有様じゃ、敵に流れを作ってやってるみたいなもんじゃないか! 『田島君は完全に捉まってます。どうにか手を打たないと』 『ですが、西城のベンチは今のところ動く気配はありません』 『守備のタイムは、あと一回使えるはずですが』 「駄目だこりゃ」  浜名キャプテンが天井を仰いで腕を組む。 「ああ、完全に持って行かれちまったな」  ガリガリと頭を掻いた今井副キャプテンが、ため息混じりに零した。 「それにしてもよく打ちやがるぜ。田島もそんな棒球投げてるわけじゃないだろ」 「まあな。そこはやっぱ相手校の方が一枚上手、って事なんじゃね?」  一言も発しない義純は、画面を睨みつけてる。  拒絶オーラを全身から発してる時のこいつは、とてつもなく恐い。  五対七、二点のリードを許した上にアウトカウントはそのまま、ランナー二塁。  相手校が牙を剥く。  この部屋に入ってきた時には確かにひやっとしたのに、今は全身汗だくで気持ち悪い。  画面の向こう側で守備に就く選手達は、もっと熱くて苦しい思いをしてる。  もう五時が近く、一試合終わっても不思議じゃない時間が経過しようとしてるのに、敵の猛攻は尽きる事がない。  特にこの回、西城が守備に就いてからかなりの時間が過ぎてる。  いくら鍛えてるっていっても、選手達の疲労と体力の消耗は著しいに違いない。そんな中で、ちゃんとした判断ができるんだろうか。  イヤな予感ばっか浮かんで、こっちが酸欠しそうだ。  暗ーいムードで迎えた八人目。  八番バッターまでが田島の初球を振り切った。 『またヒット! 明峰高校、攻撃の手を緩めませんッ!』  その言葉通り、どんな球を投げても反応してきやがる。  半端じゃなく、 「強いぜ、こいつら」 「………」  浜名キャプテンの言葉に、黙って頷くしかなかった。  センター前への鋭い当たりになった打球を久住がダッシュして取り、強肩を活かしてホームへダイレクトで投げた。  ベストポジションで捕球した山崎がホームを狙う門倉をけん制し、三塁へ投げる振りをする。  それを見て踏み止まった門倉が、サードベースへヘッドスライディングで戻った。  追加点を阻止できるかどうかの駆け引きに、みんなの視線が集中する。 『あっと、その隙にバッターの郷田君が二塁に走るッ!』  声と同時に、門倉を中心に映していた画面がダイヤモンド全体に広がり、その全部を視界が捉えた。  半ばまで走っていたはずのランナーが、二塁を窺いつつ一塁ベースに戻っていく。  すでに二塁ベースに入ったワンちゃんと、そのバックアップに回る松谷、門倉を牽制していた山崎までが一塁ランナーの方へ投げる振りをして牽制している。  カメラが切り替わるのと同じタイミングで、盗塁に気付いたようだ。 『いやあ、危なかったです。盗塁が成功していたらまたスコアリングポジションにランナーを溜める事になりますからねえ』 『西城の選手はよく気付きましたよ。連打されても気持ちは試合に集中できてます』 『あ、違う角度からの映像が映ります』  画面がビデオに切り替わり、ダイヤモンド全体を映した画像が出る。  門倉との駆け引きにみんなの意識が集中する。それをいち早く察したのは、明峰のバッターランナー。  一塁に留まっていた足が、スタートを切る。 『ここですね。キャッチャーの意識が完全にサードのランナーに向いているのを読んでセカンドに走ります』 『いい読みです。普通なら成功していたでしょう』  それと同時に、反対側からセカンドベースに向かってワンちゃんが何か叫びながら走ってきた。多分間違いなく山崎に盗塁を喚いたんだ。  それを見てランナーが止まったって事は、山崎にはともかく、ランナーにはその声がしっかり聞こえたんだろう。  二塁への進塁を断念したランナーが、バックステップで一塁へ戻っていった。 『あー、やはり彼でしたか』 『成瀬君ですね。本当に、いいところで攻撃の足がかりを見事に潰して行きますね、彼は』 『ええ、味方にとっては非常に頼もしい選手です』 『言えてます。ですが相手にとっては相当嫌な存在になっているでしょう。これで二年生とは、全く恐れ入ります』  アナウンサーとゲストの間に、笑いが起こる。  ついさっき連打を浴びる西城を前に、悲壮な声で実況してたくせに。 『しかしながら、やはり西城のピンチは続きます。1アウト一、三塁で、ラストバッター、正捕手の千葉君が打席に立ちます。彼もバッティングはいいんでしたね』 『明峰の選手層は厚いですから、両方上手くないと中々レギュラーにはなれません』 『そうですね。初顔合わせのこの対決、西城の田島君は千葉君を抑える事ができるでしょうか。その投球に期待しましょう』  ……『期待』、ねぇ。  1アウト、ランナー一、三塁。  明峰の方が圧倒的に有利なこの状況で、一旦火のついた打線が止まらない。  頑張れ、西城。頑張れ、ワンちゃん。  いや、ワンちゃんは十分頑張ってる。自分のすべき守り、それ以上のプレーを。  そこにはもう、試合開始直後の不安定さはない。  魅せる守備で観客を酔わせる、俺のよく知ってる『成瀬北斗』だ。  投手から野手に転向した彼を、咎める事ができなかった。  俺自身、彼のフィールダーとしてのプレーに、投手の時以上に心奪われてしまったから。  月日を重ねる度にどんどん進化し、常に俺の一歩先を行くワンちゃんに、驚かされ、それでも飽く事なく憧れ続けてきた。  そんな相手から、俺のピッチングが好きだと、自分も俺みたいな投手になりたかったと言われた時の俺の気持ちが、どんなだったかわかるだろうか。  だから、『もう俺を追うな』と言われて、ああ…やっぱり、って思った。  穏やかで、包容力のありそうな彼の雰囲気に流されて、ずっと成瀬北斗を追い続けてる、なんて打ち明けた事を、心底後悔した。  ワンちゃんにとってそれは迷惑この上ない行為だと……「付きまとうな」とはっきり言えず、こんなにも優しく、俺が傷付かない言葉で拒絶したんだと、察した。  そう気付いた途端、なんか泣けてきたんだ。  人前で……義純の前以外では、それこそ目を赤くした事もない俺が、何だってあの時、あんな簡単に泣けたのか、今もって謎だ。  そのせい……だったんだろう、多分。  ワンちゃんが俺を力一杯抱き締めたりするから、義純には後々まで散々嫌味を言われるし、何かある度、『やっぱお前は成瀬の方がいいんだ』とか何とか、嫉妬にもならない戯言を口癖のように言い出す始末で、『勝手に勘違いしてろ!』と怒鳴りつけて別れるのが最近のパターンになっていた。  それでも、あの時のワンちゃんの力の強さは、俺の怯えやこだわりをきれいに消し去ってくれた。  だってホントに、なんか愛しさみたいなモンを込めて抱擁してくれたんだ。  義純の毒舌攻撃も鮮やかにかわして。  思い出したら笑える。  あの傍若無人な義純が、ワンちゃんの反撃に返す言葉もなくしてたっけ。  あんな義純を見たのも、そう言えば初めてだった。 『これからは追われるより、こんな風に対等な立場で向き合いたい。その為にも、必ずマウンドに戻って来い。身体の故障で最高のライバルを失うなんて、嫌だ』  俺の顔を真っ直ぐに見据え、少しだけ辛そうな表情で復帰を願ってくれた。  これ以上ないほどの真摯さでもって。  あの言葉以上に嬉しい励ましはなかった。  ただ、ワンちゃんの大切にしてる吉野が、あの時の一部始終を一人だけ離れたところからずっと見てたから、吉野に悪い事したなって、すごく気になってる。  ワンちゃん達とメールの交換でもしとけばよかったけど、俺はそういった機器関係にメッチャ疎いし、めっぽう強い義純は絶対自分から言い出したりしない。  だから、あの二人の仲がヘンな風にこじれてないか心配ではあるけど、確かめようもないんだ。  あの後、吉野の元に戻ってったワンちゃんと、相変わらず仲よさそうに肩を並べて帰る後姿を見ているから、それほど深刻に落ち込んでもいないけど。  女じゃないんだ、嫉妬なんかするわけないかって、自分の取り越し苦労に苦笑したっけ。  ワンちゃん達を俺と同じレベルで考えたらいけないよな。  けど……なんかあの二人って―――  周囲のざわめきに、ハッとして画面に目を向けた。  一番から始まったこの回、田島がラストバッターの九番にフォアボールを出したところだった。 「あ~あ、絶妙の変化球だったのになぁ」  心から残念な声で、今井副キャプテンが嘆く。 「1アウト満塁、か。成す術なしだな」 「………」  浜名キャプテンの半分諦めにも似た台詞に、今度こそ誰も応える事ができない。 「この回だけで五点の追加点だもんな」  副キャプテンだけが、冷静に七回表の点数を数えていた。 「もうこれは田島がどうこう言うより、敵が強すぎるんだと思うぜ」 「ならさ、それを抑えてた相原が凄かったって事か?」 「まあそういう事になるわな」  今井副キャプテンが、自分で言った台詞に自分で落ち込んだのか、大きく溜息を吐く。  ついさっき、ボールも持たないワンちゃんの巧みなフォローで盛り上がっていたのに、またどんよりと重い空気が垂れ込める。  テレビ画面の向こう側も、同じ空気の中、堪らずタイムを取った山崎が田島の元に走っていき、内野手もマウンドに集まってきた。  胸の前で組んだ指先が冷たい。  ホントは、こんな試合展開見てられない。見たくない。  けど、義純に言われた。 『気になるんなら目なんか瞑るな』 『しっかり見てろ、後悔したくないならな』  ――本当に苦しいのはお前じゃねえ、グラウンドにいるあいつらだ。  お前が目を逸らしてどうする――  俺達の間にある、言葉にしなくても伝わる想い。  義純の口の悪さも、口数の少なさも、俺には何の問題にもならない。  こいつの野球に対する姿勢だけは、出会ってからただの一度も疑った事がない。それどころか、俺の方があいつの勤勉さに驚かされた。  それは、俺の為に投手から捕手に転向して以来、ずっと変わらない。  その義純の言葉だ。もう目を逸らしたり、瞑ったりしない。  この試合の結末がどんなものになっても、最後まで必ず見届けてやる。  それが唯一、全国大会出場の責任を放棄した俺からワンちゃん達への、最低限の礼儀だと思うから。  
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