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chapter 1
『――初日の第三試合、前年度優勝校 明峰高校対、甲子園初出場 西城高校の試合が、もう間もなく始まります』
テレビのアナウンスに促されるように、四人の審判がグラウンドに姿を現す。
それに合わせ、両校の選手三十六名がホームベースを中心に整列し挨拶を交わした。
本当なら……俺が無茶な投げ込みをしなければ、あの場所に立つのは俺達だった。
去年の自分の行動を悔いてみても、この事態が変わるわけじゃない。
そんな事は百も承知で、それでもこの場にいる三年生の胸中を読み違えるほど鈍感にはなれない。
膝に乗せた手の平をきつく握り締め、無理矢理両隣をシャットアウトした。
守備に散る西城高校のメンバーを、カメラが場内アナウンスにそって映し出す。
ピッチャーは俺達の試合でも先発した田島。
キャッチャーは山崎。ワンちゃんが「連れてくればよかった」とぼやいてた奴だ。世話焼きな奴だとも言ってたっけ。
ファーストも変わらず、三年の柴田。
セカンドを守る松谷は俺達と同じ二年。ワンちゃんの大切な相棒で、この二人にセンターが加わって、事実上西城の守備の要になっている。
サードはキャプテンの結城。童顔のわりに向こうっ気の強いタイプだった。
勉強の記憶力はさっぱりだけど、野球絡みで言わせてもらえば一度でも対戦した相手はほぼ完璧に覚えてる。
そして――
レフトスタンドから拍手が起こった。もちろんショートを守るワンちゃんへのものだ。
県大会同様、もうしっかり固定のファンがついてる。
『今の拍手はショートの成瀬君へ向けたものでしょうか』
『恐らくそうでしょう。彼は県大会での平均打率が五割超えてますし、ホームランも――三本打ってます。その内一本は決勝戦、好投手の加納君からです』
『ほう』
『まだ二年生ですがこのチームの中心的存在なんでしょう。そういえば西城は一、二年のレギュラーが多いのも特徴ですね。登録された選手の内、一年も三人入ってます。とにかく若いチームです』
『その若さで、ぜひとも波に乗って欲しいですが』
バカらしい。
「ぜひとも」って何だよ、あいつらが波に飲まれるわけねえっつの。
その解説の声に気を取られ、アナウンスを聞きそびれてしまった。
県大会のメンバーと同じならレフトが三年の高木。センターは強肩のスラッガー、一年の久住。ライトが同じく一年の渡辺、曲者の二番バッターだ。
スターティングメンバー九人の内、四人が二年生、確かに若い。
けど県大会の決勝戦ですら守備の交代は一人もなかった。
んでもって一番恐いのは、リリーフで出てくるだろうピッチャーが本物のエース、しかも一年って事だ。
その実力を知った時の、こいつらの驚く顔が早く見たい。
一人ほくそ笑んでる間に一通り紹介した映像がライトスタンドに移った。
カメラが投球練習する二人の明峰の投手を捉える。
その背番号は一人が18、もう一人が10番、どちらもエースナンバーじゃない。
今日の試合、門倉は出ないつもりなのか姿を見つける事はできなかった。
「おい、明峰ベンチは門倉温存かよ」
「余裕だな」
「今だけだろ」
背後から全く同感な会話が聞こえる。
やたら長く明峰ベンチを映していたカメラが、守備練習を終えバッターに対峙する西城のピッチャー田島にようやくピントを合わせた。
いよいよ試合開始、だ。
県大会同様、異様に冷静な田島は本来はリリーフピッチャーだ。
エースナンバーは左腕の関が付けてるけど、県大会の準々決勝でホームに突っ込んだ際、左指を痛め、今は俺と同じくドクターストップが掛かっている。
その二人が事実上、西城の投の柱だと思ってた。県大会決勝までは。
あんなルーキーを隠し持っていたとは、卑怯というかなんというか。
まぁ今一だったマウンド捌きを思えば、すぐにエースピッチャーとしてマウンドに上げるより、じっくり育てていくつもりだったんだろう。何たって相手は一年生だ。
それはともかく、緊張の欠片も見せない落ち着いた投球でストライクを先行させた田島が、打つ気に満ちた相手の一番打者を上手く引っ掛けさせた。
バットの上に当たり中途半端に上がった打球がセカンドの名手、松谷のグラブにあっさり掴まった。
「いい判断だ。にしても落下地点に入るのが異様に早いんだよな、こいつら」
数日前の自分達の試合を重ねているのか、浜名さんが本音を零す。
ファインプレーも好守備も、捕らえ方によればただの凡打になる。
想像通り、テレビからはありきたりなコメントが流れた。
『西城にはラッキーな当たりでしたね』
『打ち急いだ観はあります。ですが落ち着いた、いい守備でした』
ラッキーな当たりに変えたのは、紛れもなく松谷の足と判断だ。
本当にラッキーな当たりなんて、一試合にそう何本もあるわけじゃない。
とはいえ西城はその松谷の好守備で、どうやらリラックスできたみたいだ。
1アウトすら取れず初回に大量失点し、挽回できず負けてしまう高校だって沢山ある。
初めての甲子園球場で百戦錬磨の明峰が相手だ。
緊張して当然だし、ミスしたって少しもおかしくない。
アナウンサーとゲストの会話の中でも、前の二試合では点差に影響しなかったものの、前半エラーが相次いだと言っていた。
それなのにそんな心配無用とでも言わんばかり、西城は二番打者のファーストへの強襲を柴田が捕球し、そのままベースを踏んであっさり2アウトを取ってしまった。
この調子でいけば簡単にチェンジできそうだ。
そう思った矢先、それは起きた。
次の打者、クリーンナップの三番への初球が、ピッチャーの頭上をぎりぎり越えた。
甘い! そこはワンちゃんの守備範囲だ、そう思った。
実際、俺達の時には彼の守備にどんな当たりもことごとくやられた。
なのに打球はワンちゃんのグラブに収まることなく、センターへの安打になった。
「!? 何で? 今の、絶対守備範囲だったろ!?」
思わず隣の義純に詰め寄っていた。その義純も画面から目を離さない。
わずかな間を置いて視線を俺に移し、眉根を寄せた。
テレビでは打った三番バッターを褒めまくってるけど、和泉の部員は誰一人このヒットに納得なんかしてない。
「どうしたんだ成瀬は。どっか具合でも悪いんじゃねえのか?」
浜名キャプテンも首を傾げて何故か俺達に訊いてくる。けど一番驚いたのは間違いなく俺と義純だった。
まさか、ずぶぬれのまま帰したのがまずかったんだろうか?
あれから風邪でもこじらせて高熱でも出ていた、とか。
……ありえる。
なら、ワンちゃんの精彩を欠くプレーは、俺があの日ピッチングをねだったせい……なのか?
「義純……」
呼びかけた声が震える。「ど…しよ、もしかして……俺のせい?」
「んなヤワな身体じゃねえだろ、あいつは」
「けど……」
「まだ1プレーしか見てねえのに勝手に決め付けんな。それにあの打球ならヒットでも全然おかしくねえよ」
「そりゃ、あいつ以外ならそうかもしれねえけどよォ」
副キャプテンの今井さんも横から口を挟む。
それを遮断するように、義純が強く言い切った。
「始まったばかりでごちゃごちゃ言うな。バッティング見りゃ否が応でもはっきりするだろうが」
確かに義純の言う通りだ。
たった一本の打球に、今日のワンちゃんの全てが反映されるわけじゃない。
誰にでもコンディションの波はある。ただ―――
当然捕球すると思っていた打球を、初めから追いもせずセンターに任せたワンちゃんの行動が、俺を言いようもなく不安にさせていた。
次の四番打者、明峰高校キャプテンの室生には完璧にジャストミートされ、レフト後方への綺麗な当たりとなって一、三塁。
先制点の危機に陥った。
「ゲ~、何やってんだ西城は! いきなりピンチじゃねえか」
ちょっとは危惧していた大量失点の可能性に、後ろからブーイングが起きる。
一応県の代表。それに俺達の代理でもある彼らを応援するのは、当然の心理だ。
『2アウトですが明峰は先制点のチャンス、反対に西城はいきなり苦しい展開になりました』
『やはり簡単には攻撃を終えませんね、明峰は。球もよく見えているようです』
解説者に続き、大いに盛り上がるライトスタンドを映したカメラが、五番打者の姿を捉え、次いでマウンドの田島に替わった。
汗を拭き、バッターに対峙する田島が、ランナーに目を遣って投球モーションに入る。
コーナーを突き、丁寧な投球を心がけた結果、打つ気にはやった五番をセンターフライに打ち取った。
「ハァ~、どうにか抑えたか」
ぐったりと上半身を反らせ、テーブルに預けた浜名キャプテンが、脱力しきった声を出した。
「他人の試合見るだけでこんなに汗かいたの初めてだ」
言いながら両手の平を練習用のユニフォームにゴシゴシ擦り付ける。
それを見た今井副キャプテンが声を上げて笑った。
「アハハ、言えてる。俺らは加納がマウンドにいるだけで安心できるもんな」
「まあな。ったく、初回でこれかよ。心臓に悪すぎるぜ」
何か、ドサクサに紛れてすごく珍しい事を聞いた気がする。
そう思い隣の相棒に目を遣ると、視線に気付いた義純が唇の端を少しだけ上げ、今井さんとは対照的な微かな笑みを浮かべた。
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