chapter 7

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chapter 7

   席に戻るのとほぼ同時に、前の二試合のVTRを映し終えたテレビ画面が、再び今のグラウンドの様子に切り替わった。 『熱戦が続いております甲子園球場、第三試合。西城高校が五点先取するという意外な展開で始まりましたが、じわじわと小刻みに点を入れた明峰が、七回一気に逆転、八回表には西城を三点差まで突き放しました。そこで勝敗が決したかに思われましたが八回裏、西城に待望の追加点が入り、一点差にまで追い上げます。そして九回。明峰の攻撃を0点に抑えた西城がその裏、驚異的な粘りを見せ、ついに同点に追いつきました』 『ここまで拮抗した展開になるとは、誰も予想してなかったでしょうね』 『全くです。どちらが勝ってもおかしくない好ゲームですが、西城は代理出場だったわけですよね』 『そういえばそうでした。忘れていましたが』 『ええ、そうなんです。代理を失念するほど西城は強いという事なんでしょう。ですが違う見方をしますと、やはり和泉の加納君の実力は噂通りだと言えませんかね?』 『なるほど、そういう捉え方もできますね』 『そう結論付けるには無理がありますか?』 『いえ、事実だと思いますよ』  そんなたわ言を言いながら笑い合う二人だけど、聞いてる方の身にもなってくれっ! って言いたい。 『何はともあれ、これから延長戦に入ります。この試合の結末には一体どんなシナリオが用意されているのでしょうか』  ありきたりの煽り文句で締めくくられ、バッティング練習をする明峰の選手達を追ったカメラが、この回、必ず打席に立つだろう門倉をアップで捉えた。  いつになく真剣な眼差しは、何を見据えているんだろう。  逆転勝利?  それとも、四番打者の室生を打ち取ったワンちゃんに興味を持ったんだろうか?  そうだよな。素人が見てもワンちゃんのプレーのすごさは十分伝わるんだ。  それはゲームに熱中している観客を見れば、すぐわかる。  お互い互角のレベルを有するプレーヤーが、相手の素質に惹かれないわけがない。    対する西城ベンチ前では、初めての円陣が組まれていた。  結城キャプテンが何か呼びかけ、それに呼応して選手十八人の右こぶしが上がる。  ここまで対等に戦ってきた奴らだ。今更臆したりしない。 『延長戦を前に、西城ベンチから大きな掛け声が上がりました』 『九回の最終回でなく延長戦でですか、でもいいですよ。あくまで勝利に貪欲な姿勢は選手の心を強くします。追いついた勢いのまま延長戦に入れば西城にも勝機は十分あります』 「なんか…すげえな、結城。あの個性的? ってか実力派のメンバー引っ張っていくだけあるよ」 「確かに。士気、上がってるもんな。もう成瀬は限界だってのに」 「あいつらの本当の強さはチームワークのよさにあるんだ。ピッチャーだけに頼るチームは甲子園の決勝戦まで生き残れねえさ」  思ってもいなかった台詞が相棒から飛び出した。 「ちーと聞き捨てならねえな、梛。それって和泉の事言ってんのか?」 「そうだ」  剣呑な目付きで副キャプテンが詰め寄るのを、あっさり肯定しやがった。「俺達の事だ。今のままの俺達じゃ、甲子園はおろか県の大会でも優勝なんかできやしねえよ」 「――馬鹿な! お前がそんな弱気な事言っててどうするよ。これからのチームはお前達が……」 「一人ひとりが引っ張っていく。それくらいの覚悟がなけりゃ、あいつらには勝てっこねえ」 「そりゃそうかもしんねえけど――」  言いよどむ副キャプテンに代わって、浜名キャプテンが口を挟んだ。 「梛、お前、キャプテン逃げるつもりじゃねえだろうな」 「誰もそんな事言ってやしねえ。けど何でもかんでも一人に押し付けちまうのは、和泉の一番悪い癖だ。この膿を出さねえ限り……もっとわかり易く言えば俺と一聖のバッテリーを当てにしてる限り、いずれ限界が来る。俺達二年の中には八木みたいなバカなヤツはいねえ。それにキャプテンや副キャプテンも。俺と一聖以外は、グラウンドの地面もまだ僅かしか踏んだことねえ奴らばっかりなんだぜ」  確かに、経験値から言って今年の和泉はこれまでで最高だった。  二年目になって少しは慣れてきた俺と、最後の大会になる三年生。  両方が上手くかみ合っての県大会優勝だった。  このまま一年過ぎた時、一、二年がレギュラーの多くを占める西城と和泉のレベルを比べれば、どちらが上になってるかは火を見るよりも明らかだ。  それは和泉高校にとって、避けては通れない問題だ。  けど―――  試合再開のアナウンスがスタジアムに流れ、後攻の西城の選手達が一斉にグラウンドに散って行く。  それに合わせて、俺達の間に漂っていた緊迫した空気も霧散していった。  この試合だけは最後まで集中して見たい。  立場はそれぞれ違っても、その想いはみんな同じだった。  嬉しい事に、カメラがベンチ前の西城の様子をしっかり映してくれる。  プロテクターを着けた山崎がベンチ前でワンちゃんに何か囁き、一足先にホームに駆けて行く。  ベンチのガードの中に立つ相原に声を掛け、後を追ってマウンドに行きかけたワンちゃんが、急に振り向いて首を傾げた。  呼び止めたらしい相原が近付いて何か言葉を交わす。  どことなく心配そうな表情の相原に、ワンちゃんが飛び切りの笑顔で笑いかけた。  右手を上げ、再びグラウンドに駆け出す。  刹那、観客席――特にレフトスタンド全体からものすごく大きな拍手が起こった。  ワンちゃんも思わず振り向いて、間近でレフトスタンドを仰ぎ見る。  西城の応援席は試合開始前と変わらず、真っ白な夏の制服と青いメガホンに統一され、うだるような夏空の下でも、日の翳った夕焼け空の下でも変わらない、爽やかな風を連想させる。  思いがけず振り返ったワンちゃんに、一際大きな声援が上がった。  ベンチにいる相原に視線を巡らしたんだろう、足を止めていた彼が再びきびすを返してマウンドに向かう。  大勢の仲間に見守られマウンドに上がるワンちゃんは、堂々としていてその辺のエースピッチャー以上に観客を魅了してる。  それなのに、綺麗に均されたマウンドに上がるのは不似合いだとでも言いたげに、盛り上がった土の前で少しだけためらいを見せ、一足一足確かめるようにゆっくりと歩を進めた。 「高校球児なら走って行け!」って、他の奴になら絶対文句言ってる。  けど、その姿がこれで見納めになる事を誰よりも確信している俺は、ぴくりとも動かず、この奇跡の光景を瞼に焼き付けていた。  何となく気恥ずかしい様な、くすぐったいような、妙な気分、なんだろう。  俺の感じてるその感覚は、今のワンちゃんと多分重なってる気がする。  十回表、九対九。  ワンちゃんなら、力の続く限り全力で投げる。  想像通り、ファーストバッター、クリーンナップ最後の五番打者に力一杯の球を投げた。  フルスイングした後ろで、重い音を立ててミットにボールが収まる。  伸びのある、いい球だ。  延長戦前の休憩がよかった。まだ大丈夫、まだ……いける。  二球目。ボール球になるカーブ、しかも超遅い。  その球をタイミングを狂わされながらも、すくうようにバッターが当てた。  力のあるバッターにフルスイングされ、打球が意外に伸びる。  大きな当たりとなったボールは、ライトを守る渡辺がしっかりと捕球した。  レフトスタンドからの大きな拍手とライトスタンドのため息。  立場が変わる度、スタンド中が一喜一憂する。  グラウンドとスタンドとが、完全に一つになってる。  その事を、ワンちゃんに早く気付いて欲しい。  何回目になるのか、ワンちゃんが帽子を取って、額の汗をユニフォームで拭った。  あと二人。それまで何とかもたせろ、山崎!  ここにきて彼が頼れるのも、やっぱりキャッチャーの山崎しかいない。  門倉の前に走者を出すのだけは、絶対阻止しなけりゃならない。  ここが一番の踏ん張りどころだ。  その山崎が、ミットに拳を入れて構えた。  低目ぎりぎりのストライクゾーン。  おしっ、今の球威ならそこで十分通用する。  そう思い見守った初球が、最悪な事に高めに浮いた! 「マズッ!」  声と同時に明峰の六番打者が、甘く入った球を真芯に捉えたッ!  ライナーがピッチャーの左を抜ける! と、その打球にワンちゃんが反応したッ!?  パンッと、伸ばされたグラブの中に打球がぎりぎり入る。ってか引っ掛かったって感じ。  勢いのままグラブの端で回転するのを、力ずくで止めちまった!! 『何とっ、また取った! 取りました成瀬君!! 一体どんな反射神経をしているのかっ!?』 『恐るべき集中力です。ここにきて、この守備をするんですねぇ』 『今のは完璧に抜けていた当たりでした。明峰には非常に痛いアウトでしょう』 「……なんか、言葉も出ねえよ」 「あいつ、一人で野球してんじゃないだろうな」  両先輩を筆頭に、野球部員だけじゃなく他の生徒までも西城のファインプレーに大いに盛り上がる。  ここにいる奴らも、県大会で敵ながらワンちゃんのプレーに魅せられたらしい。  ついさっき見始めて、おまけに和泉の野球部員に囲まれてるってのに、その応援は俺達以上に熱い。  そんな中、異常に冷静な指摘をかました奴がいた。 「お前は叩き落してアウト、だったな」  義純が県大会決勝での西城との試合、ワンちゃんのピッチャー返しを喰らった時の俺の打球の処理を、わざわざ引き合いに出してきた。 「悪かったな。どうせ俺には取れねえよ」  唇を尖らせながらも、表情が緩むのを抑えられない。  小学生の時、ワンちゃんのマウンド捌きをドキドキしながら見つめてた。  今、あの時と同じ気持ちで、同じ投手を見つめてる自分が、何だか夢の中にいるみたいだ。  それか、タイムスリップした気分。  俺の憧れの投手は今も昔もやっぱワンちゃんだけ、らしい。    当のワンちゃんは、というと、好プレーを連発しているにも関わらず、何だか恐る恐るといった体でベンチに心配そうな視線を向けてる。  ……なんなんだろう、観客を魅了してやまないプレーとの、このギャップ。  何か悪い事をしたのを見つけられ、叱られるのを恐れる子供? みたいな。  その反応に、首を傾げずにいられない。  試合で対戦してる時には全然見えなかったワンちゃんの表情が、テレビ画面を通すだけで……違うか、終盤になってから特に、すごく親しみやすくなって心の中に入ってくる。  門倉や室生のように、一目置く近寄りがたい存在、って感じじゃない。  そのプレーは誰よりも抜きん出てるのに、普段は隣の席にいる奴、みたいな親近感を覚えてしまうのは何故だろう。  俺の家を訪ねて来た時もそうだった。  この感情は、非常にやっかいだ。  全国の何万、何十万という人間が見てるってのに。  特に吉野には堪えるんじゃないだろうか。  そんな漠然とした不安を感じつつ、いつの間にか仮面を外したようなワンちゃんの素顔(なんだろう、多分)を、必要以上に追い続ける現金なテレビ画面を、黙って見守った。  試合は九対九のまま、2ウトでまたまた門倉の登場、だ。  前の打席の時は、さっきの好プレー同様、マウンドに上がったワンちゃんの好守備に阻まれ、進塁できなかった。  リベンジに燃えるのは当然の真理。  ミットを構える山崎も、おのずと慎重にバッターの様子を窺い、サインを出す。  一応頷いたワンちゃんが、大きく振り被った。  一体、何球目になるのかわからない。  カウント2‐3になるまではしっかり数えてたけど、どこまでも粘る門倉に、いい加減にしろッ! って怒鳴りたい気分になってからは、投球数を数えるのも嫌になっちまった。  もちろん俺が苦しいわけじゃない。投げてるワンちゃんが、なんだけど。  見ててもはっきりわかる。腕の振りが悪くなったし、身体の動きにも切れがなくなってきた。                                          『苦しそうなマウンド上の成瀬君、対する明峰の門倉君も当てるのが精一杯。両者、互いに譲りません』  実況は互角と言うけど、ワンちゃんの方はきっと、もうとっくに限界を通り越してる。  そしてそんな彼の疲労を、あいつは狙ってやがる。自分と、後ろに控えるバッターを有利にする為に。  これ以上粘られたら、マジで倒れちまう!  ……も、いいからっ!  ワンバウンドでも何でもいい、4ボールにして歩かせろ!  敬遠なんか露ほども考えてない真っ向勝負の投球に、「このバカ野郎!」って怒鳴ってしまいそうだ。  ……ほんと、バカ。  代理だったんだろ?  交代を告げられた時は、立ち上がれないほどショック受けてたじゃんか。  なのに、なんでそんな必死に投げるんだ? 勝負に拘ってんだよ!   わけわかんねえ!   迷想する俺の気持ちとは無関係に、ロージンバッグに手を伸ばしたワンちゃんが、一息吐いた。    意地でもここで……門倉でケリをつけようとしてる。  次の打者を迎える気なんか、更々ないんだ。  ならここで、その球で打ち取れ!  滑り止めを手放したワンちゃんが、門倉を見据え、振り被って投げる、渾身の一球。  これが今のワンちゃんの精一杯。これ以上の球なんか、もう望めない。  行けッ! 彼の望む所へ!
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