chapter 8

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chapter 8

   激闘の余韻にざわつくグラウンド。  ベンチから飛び出した明峰の選手もマウンドに集まって、優勝したかのように喜び合う中、西城の選手の一人が、塁に出ていたワンちゃんの元に駆けて行った。  背番号1、関だ。  そいつが、ワンちゃんのヘルメットを奪い、代わりに帽子を被せていく。  ダイヤモンドを映していたカメラのアングルが広がって、球場全体を捉えた。  日が翳り、残照もなくなった甲子園のグラウンドに、激闘を終えた選手達三十六名が、次々並んでいく。  先に整列を終えた西城の前に、明峰の選手達が遅れて並び始める。  興奮冷めやらぬ表情の明峰の選手。  次いで、どこか控えめな西城の選手達を、テレビ画面が大きく映し出す。  その目に涙はない。  拮抗した好ゲームだったからか、今日最後の試合だからか、急かす事なく全員整列し終わるのを待ち、主審の手が明峰に上がる。  帽子を取って頭を下げるのと同時に、試合終了のサイレンが画面の中で響いた。  帽子を被り直しきびすを返しかけた西城ナインに、明峰の選手達が歩み寄り握手を求める。  それぞれに互いの健闘を讃えあう中、当然のようにカメラが門倉の一挙一動を追う。  その前には、偶然にもワンちゃんがいた。  門倉が他の選手同様握手を求め、何か話しかける。  相手を見返したワンちゃんの表情が一瞬、虚を衝かれた様な、無防備なものになった。  何て言ったのかも気になるけど、この二人のツーショットなんてそうそう拝めるもんじゃない。  そう思い画面に見入っていると、目の前に差し出された手の平を、ワンちゃんが明らかに握力の落ちた右手でだるそうに、それでも精一杯握り返し、言葉を返した。  すると門倉がグラブを持った左手で、ワンちゃんの肩を抱き寄せた! 『抜群の安定感を見せた明峰の門倉君が、善戦した西城の成瀬君と健闘を讃えあっています』    すぐに解放してワンちゃんに何やら頷くと、校歌斉唱の為ホームに向かう。  その顔がアップになり、ニヤけた面に猛烈に腹が立った。 『笑顔を見せて室生君の隣に並ぶ門倉君、高校球界ナンバー1投手の実力は今年も健在です。大会二連覇に向け、今後も甲子園を沸かせてくれるでしょう』 「あ…っのヤロ、絶対わざとワンちゃんの前に陣取りやがった」  つい口を突いて出た嫉妬まがいの台詞を、義純は聞き逃さなかった。 「何だ? 一聖、焼いてんのか?」 「そんなんじゃねえよ! ただ……」 「ただ、何だ?」 「――ほら、吉野が、さ」  心持ち声を落として口にした。他の奴らに聞かれたら、さすがにマズイ。 「ああ。見てるかもしんねえな」 「だろ? ってか絶対見てるって。あんまよくないじゃん、ああいうの」  画面を目で示して言ったら、義純にジロッと睨まれた。 「寝ぼけた事言ってんじゃねえ」  口調はいつものごとくぶっきらぼうだけど、声を潜めてるから威力は全くない。  それなのに、口にされた内容に蒼白になった。 「どこのどいつだ? その当人に熱烈な抱擁されたのは? しかもお前の気にしてる吉野の目の前で」 「あっ!」  そうだった。また忘れてた。  吉野と結構気軽に話ができたんで、俺の中ではすっかり友達モードになってんだけど、あの事で吉野が俺を誤解してたら、超最悪じゃん。  その事に気を取られた俺は、義純もその後でワンちゃんを思いっきり抱き締めて、あまつさえ首まで締め上げたっていう、許しがたい暴挙に及んでた事を失念していた。  責められるべきは俺じゃなくて義純、だったんじゃん!  クッソ~、その内絶対リベンジしてやる。  ……いや、あれがあったから三人でふざけてたように見えたかもしんない。  ならもしかして俺、義純に感謝しないといけないのか?  そんなどうでもいい事を考えてる間に、明峰の校歌斉唱が終わった。  喜びを全身で表し、ライトスタンドへ一斉に駆けていく明峰ナインに、大きな拍手が贈られる。  第二試合への権利を勝ち取った事にホッとしたのか、選手の表情には安堵の色がはっきりと出ていた。  門倉と室生を中心に映していた画面が、レフト側に切り替わる。  続いて映された映像に、レフトスタンドに整列する選手、一人ひとりが取り上げられた。 『優勝候補の筆頭に挙げられていた明峰高校と、全く互角に戦った西城高校。キャプテン結城君の目に、今、初めて涙が見えます』  デリカシーの欠片もないアナウンサーにうんざりしながら、それでも善戦したナインを追うカメラから目を逸らす気にはならない。 『素晴らしいパス回しの最後はいつもここでした。  ファーストをしっかり守った柴田君。  苦しい投手陣を最後までリードし続けたキャッチャー、山崎君は二年生。  セカンド松谷君は攻守共に強気の攻めで、西城を引っ張っていきました。  ライト、バント巧者の渡辺君は、あどけなさの残る一年生。  強肩のセンター久住君も一年生ですが、大物スラッガーの片鱗を見せてくれました。  好守備が光ったレフトの高木君は、九回の土壇場で同点に追いついた立役者です。  途中降板はあったものの、ピンチにも動じる事なく投げ続けた田島君。  成瀬君の後を受けショートの守備に就いた迫田君も、よく守りました。  怪我をおして六回を投げ抜いた相原君。その投球は来年の高校野球を大いに盛り上げてくれるでしょう。  そして、西城の最大のピンチを乗り切り、最後まで明峰を苦しめた成瀬君は、恐らく今日、この試合を見た人の心の中に、その存在を誰よりも強く刻んだに違いありません』  途端に俺達の背後が、鼻水を啜る音でやかましくなった。  野球部員が連れて……引っ掛けて来た女共だ。  延長戦を1イニング見ただけでそれかよ!   てめえら、出場権を放棄したこっちの身にもなれよな、って言いたい。  いや! それよりもっと深刻な状況に思い至った。  来年、もしか俺達と西城が当たったら、みんなあっちの応援しちまうんじゃないか?   マジ、有り得そうで恐い。  ……ホント、なんて罪作りな男なんだ。  んでもってワンちゃんの目は、たった一人にしか向けられてないんだから、お互い報われないにもほどがある。  バカだよな~、ホント。その気になればどんな女の子でも選び放題なのに。  けど、そこがまたいいのか。  もうちょっと早く試合場の外でワンちゃんに会ってたら、去年、野球部に入らなかった事も、プールのインストラクターのバイトにしても、あんなに憎悪を感じなかった。  だって今は、ワンちゃんが誰か特定の女と付き合うのはもちろん、話をするシーンさえ想像できないもんな。  松谷ならどんな彼女でもすぐ思い浮かぶのに。  ……ヘンなの。  思い思いにスタンドに声を掛け、ベンチに戻る西城の選手達。  そんな中、右手に掴んだ野球帽を薄暮の空に高く掲げたワンちゃんが、客席に大きく振って見せた!  驚いた!   だって試合中は、観客の応援すら拒んでたから。  呼び掛けた声は当然聞こえない。  それでも、みんなの心にはしっかり届いたらしい。  一際大きな拍手と、真っ青なメガホンを叩き合う音が客席で混じり合い、レフトスタンドがまた騒然となった。  一体、彼の中でどんな心境の変化が起きたのか。  ただ、これだけはわかる。  ワンちゃんは決して立ち止まらない、振り返らない。  いつも進化し続けてる。  でもって次に会った時、また一回り大きくなって俺達の前に立ちはだかるんだ。  笑顔を残し、振っていた帽子を被り直して、ベンチに向かう他の選手の後を追う。  その姿をカメラが追ってるなんて、やっぱ思いもしてないんだろう。  やっと見せた爽やかな笑顔がこれで見納めになる事を、こんなに残念に感じるとは、試合前には思いもしなかった。  俺だけじゃない。  キャーキャー騒ぐ後ろの奴らも、気持ちは多分同じだ。  かなりうるさくて、試合後の余韻に浸りきれないのがもったいないけど、それもワンちゃんの成せる業なら、仕方ないと寛大にもなれる。  彼とは敵対し合う間柄なのに、ワンちゃんの夏の終わりを無性に淋しく感じてる俺は、五年前と少しも変わらない、どこまでも『ワンちゃん一筋』の、熱烈な一ファンだった。
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