chapter 1

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 攻守交替して西城の攻撃に移る。  明峰のマウンドはやっぱ門倉じゃない。背番号18の二番手投手、俺達と同じ二年生、来年の明峰の主軸になるだろうピッチャーだ。  代理出場の西城に、真のエースは必要ないってか?  冗談じゃない、このまま……舐められたまま終わったりしたら承知しないからな! 『和泉の代わりに、ってわけにはいかないが、西城らしい試合をする。それでいいか』  俺の家を突然訪ねて来たワンちゃんが、別れ際に残した言葉。  控えめに、けどはっきりと自分達の決意を示してくれた。 『ふん、上等だ。俺達の代わりなんて言いやがったら蹴とばすとこだ』    最後まで辛辣な義純の台詞にもただ静かに苦笑を浮かべたその顔は、彼の人となりを知るのに十分だった。 『今回はワンちゃんに譲ってやる。いつものプレーで甲子園を沸かせよ。来年、それ以上に盛大な拍手、俺達がもらう』    見栄でも意地でもない、心からの自然な気持ちでそう言って送り出した。  ――大丈夫だ。ワンちゃん達なら簡単に終わったりしない。  その想いを裏付けるように、西城のトップバッター松谷のバットが快音を響かせた。  続く二番、一年渡辺が、松谷をしっかりセカンドに送る。  相変わらず隙のない堅実な攻撃だ。  地味にも見えるこのパターンだけど、確実にバントできる自信と後のバッターが必ず打つ、という前提があって初めて機能する作戦なのを思えば、互いへの信頼は俺達とは比べ物にならないほど強く、深いんだろう。 『一年の渡辺君ですが、この場面で上手く転がしました。どうでしょう、ここまでの西城は』 『一番の松谷君が全体のリズムを作ってますね。攻守共に落ち着いています。どうやら初出場の硬さもなさそうです』  だから、そんなの当たり前だって。  テレビの解説に心の中で突っ込みを入れながら、心臓の動悸が激しくなるのを懸命に宥めた。ワンちゃんの打順が近付いてるせいだ。  ゲッツーを喰らわなければ、確実に回る。  その時、一体どんなバッティングをするのか、それで今日のワンちゃんの状態が少しはわかるはずだ。 『出だしは好調、と見てよろしいですか?』 『そうですね、いい感じだと思います。逆に明峰の方が少し落ち着きがないように見えます』  三番打者の結城キャプテンがバッターボックスに入る。  カメラはマウンド上の明峰ピッチャーから離れない。  ワンちゃんの様子が見たいのに、スクリーン越しではそんなささやかな願いも届かなくて……憮然とした面持ちで画面を見つめた。  相手投手は俺の情報にもあまり入ってない。まだ実際の試合経験自体少ないのかも。  そこで繰り上がり出場の西城で腕試し、兼スキルアップを図るつもりなんだろうか。  ま、俺に言わせりゃ無謀なチャレンジだ。  案の定、2ストライク3ボールと粘った結城キャプテンが、カーブを上手く当ててファールにし、甘い球を待つ。相手投手よりレベルは数段上だ。  このまま行けば明峰は必ず窮地に立たされる。そう断言するには十分の危機感。  それはすぐに現実のものとなった。  思いがけず粘るバッターに投げ急いだのか、それともランナーのプレッシャーに焦ったのか、すっぽ抜けたボールがストライクゾーンの遥か上に行き、半分立ち上がったキャッチャーのミットにかろうじて収まった。  こんな大事な場面で4ボールだ。  このキャッチャーも正規の捕手じゃないけど、捕球は上手い。ただし投手が問題だ。  どうやらバッターへの焦りだけじゃなく、明峰の方が甲子園のプレッシャーを受けている。それに優勝候補としてのプレッシャーも。  このピッチャーを相手に、ワンちゃんはどう出るか。  待ちに待った姿が、やっと大きく映し出された。  同時に後ろからはやし立てる声が起きる。  数日前の強敵は、今やもっとも頼れるスラッガーに変貌していた。  異様にドキドキしながらワンちゃんを見つめていたら、隣で咳払いが聞こえた。 「まるで別人、だな。画面越しに見るのは初めてだが、…ムカつく」  その義純の言い方があまりにも嫌味ったらしくて、思わず吹き出してしまった。  確かに、それまでは構えたバッターからすぐピッチャーに切り替わってたのに、ワンちゃんを捉えた画像が中々替わらない。  そんなモンなんだ…と無感動に呟いて、第一打席を見守った。  一球目、外角低めに来た球をあっさり見送った。判定はストライク。  四球を出した後だからストライクを先行させたのか、ワンちゃんが初球はあまり振らないという情報が入っているのか、どちらにしてもようやく入ったストライクに相手は落ち着きを取り戻しかけている。  二球目、今度も似たようなコース。けど低いような気がする。それでも判定はまたストライク。 「なあ…この審判、低め甘くね?」 「あ、今井も? 俺も初球からボールだと思った。成瀬もあっさり見逃したし」 「だろ? ま、問題は明峰にだけ甘いかどうかだけどな」  そうだ。どちらにも公平ならそれはそれで構わない、それだけの事だ。  三球目、また低めに来た球は今度こそ完璧に外れた。  落ち着いてる。ってか、最初からボール球だと意識して見逃していたなら、いつものワンちゃんと少しも変わりない。  少しだけホッとして次の投球を待つ。  2―1のカウントはワンちゃんに不利だ。どうする?  四球目、インサイド胸元に食い込む危ないボールがワンちゃんを襲った。 「あっ!」  思わず声が出た。  明峰のキャッチャーがタイムを取ってマウンドに駆け寄る。  その間にアナウンサーとゲストの画面に切り替わった。 『危なかったですねー』 『当たれば1アウト満塁ですから』  そこかよ!   てめえら、ワンちゃんに何かあってみろ、絶っっ対許さねえッ!  一人テレビに向かって激怒する。  そんな俺を宥めるかのようなタイミングで、再びバッターボックスの外に立つワンちゃんが映った。  じっとマウンドを見据える横顔が、アップで流れる。  その瞳を至近で見て、思わず呆けた溜息を吐いた。  慌てて口を塞いでも隣の義純にはまる聞こえだ。  チラッと冷たく一瞥をくれた義純が腕を組み、テーブルの縁を背もたれ代わりにして身体を預ける。それを横目で見て小さく息を吐いた。  ……だって、仕方ないじゃん。  見ず知らず…ってか、まともに話した事もなかった時ならいざ知らず、甲子園出発間際にわざわざ訪ねて来て、怪我した俺の応急処置まで真剣にするような奴、嫌いになんかなれないって。  しかも来訪の目的が、俺達の甲子園出場辞退の本当の理由が知りたかったなんて。その為に一時間以上かけて会いに来ただなんて、普通有り得ないだろ。  それに、グラウンドの外では穏やかな、慈愛にも似た柔らかな眼差しをしているのに、今、相手の心を見透かすように見つめる瞳は、あの中三の時と少しも変わらない。  あの時、思わず睨み返した俺だけど、ワンちゃんのこの瞳に抗える奴なんかそうはいないと思う。  西城高校の学生以外でワンちゃんのそんな二面性を知っているのは、恐らく俺と義純だけだろう。  キャッチャーがホームに戻って試合が再開する。  2―2でワンちゃんが不利なのは同じ。相手は何を投げてくるのか。  その初球、外角へのカーブにタイミングを合わせたワンちゃんが、フルスイングでバットを振り切った。 『打ったあッ!! これは長打になる! 4番成瀬君、初打席初ヒットです』  綺麗な流し打ちでライト線ライン際、痛烈な当たりがファールグラウンドに転がる。  長打コースだ。  迷いなく一塁ベースを蹴ったワンちゃんが、トップスピードで二塁ベースも通過点に変えてしまった。 『成瀬君、二塁を蹴って三塁に行くッ! これは余裕でセーフになりそうです』 『いい判断です。それに足も速いですね』 「速えなあ、やっぱ」 「ん~、こうやって見てたらそうでもねえのに、対戦してその凄さを実感するんだよな」 「や、画面越しでも十分伝わるって」  先輩達の会話に心の中で拍手を贈り、テレビを見つめる。  画面は広角でダイヤモンドを疾走するワンちゃんと、打球を追う明峰の選手の両方を映し出していた。  一気に三塁を陥れたワンちゃんが、クロスプレーにならなかった事を不思議に思ったのか自分の打球の行方を追う。  ボールはライトの中継に入った二塁手が、三塁ではなくピッチャーの元に返していた。  場面が切り替わり、三塁上に留まるワンちゃんがアップで映る。  打球の行方を確認し三塁コーチャーと何か言葉を交わした彼が、慣れた手付きでタイムを取り保護カバーを外した。 「バッティングの調子は悪くない」  それまで黙って画面を睨みつけていた義純が、おもむろに口を開いた。「体調不良は有り得ねえな」 「ん、そう…かな」 「病人があのスピードで三塁まで行ってたまるか」 「そりゃそうだ。なら安心する事にする」 「ああ。問題はどうやら守備だな。ま、序盤の様子を見りゃわかんだろ」    テレビでは、さっきのワンちゃんの打席のVTRが繰り返されていた。 『成瀬君は無理のない、柔らかなバッティングをしましたね。それにどのバッターも選球眼がいいですよ。代理の、しかも初出場とは思えません、非常に落ち着いています』 『初回、その初出場の西城に二点が入ります。それにしても意外な展開になりました』    どちらかっていうと明峰びいきにも思えたゲストの心境が、ワンちゃんの一振りで少しだけ変わった。  次の打者、五番のキャッチャー山崎がバッターボックスに入る。  同時に三塁のワンちゃんがリードを広げた。 「マジ厄介な奴だよな」  とは、セカンドを守る今井副キャプテンのワンちゃんに対する感想だ。 「あいつからのプレッシャー半端じゃねえもんな。成瀬が塁に出たら心臓持たねえよ、なあ梛」  県大会でも、ワンちゃんをセカンド上で刺す事ができなかった。  その事が、実は義純のプライドをひどく傷付けていた。  だから敢えて触れないようにしてるのに、三年の先輩は遠慮の欠片もなく傷口を広げにかかる。  義純でダメなら、他のどのキャッチャーでも恐らく無理だろう。  確かに厄介なのに、その実力が評価されたら嬉しくてたまらないのも事実で、ホント『厄介な奴』なんだ。  俺達の決勝戦でラストバッターになった山崎が、半分崩れかけたピッチャーからあっさりヒットを奪い、出塁する。  入れ違いに余裕でホームベースを踏んだワンちゃんがベンチに戻っていく。  その後姿をしばらく追ったカメラが、一塁上に留まりレフトスタンドに手を振って応える山崎に移った。                                         『予想外の展開になってきました。明峰高校の先発、二年生の住田君ですが、西城高校の四番五番に連打され、その差は三点、序盤から試合が大きく動いています』 『住田君は初回の硬さが出てますね。何とか踏み留まって欲しいですが、まずは落ち着いてアウトを一つずつ取っていく事が大切です』 『そうですね。それに明峰高校には門倉君がいますから、試合の行方はまだわかりません』  このアナウンサー、何で明峰の選手は苗字で呼ぶのに、西城の選手は番号なんだ!?  なんか腹立つ。  それはともかく、画面の向こう側は完璧立場が入れ替わっていた。  先制点は明峰が入れると思ってた。俺も例外じゃないけど、これで西城の完封負けはなくなった。  エースピッチャー門倉温存策が、この先の二校にどう影響を及ぼすのか、 しょっぱなからすでに目が離せない。  まだ1アウト。  押せ押せムードの中、六番レフトの高木のバットも相手ピッチャー―住田という奴らしい―の球を捉えた。が、惜しい事にセカンドへのライナーで山崎との併殺になり、追加点のチャンスはあっという間に潰えた。  門倉登板がある限り、取れる時にできるだけ点を取って突き放したいはずだけど、点差がそこまで開く前に必ずエースが出てくる。  西城にとったら一長一短、か。  それに住田が早々と立ち直る可能性もあるし、他の投手投入も人材の豊富な明峰なら有り得る。  それでも、前年度優勝校相手に初回いきなり三点も先制点を入れた西城は、相当に強い。  先発が誰でも、初回の緊張は先に守った西城の方が大きいはずで、田島にも住田と同じ、緊張も硬さもあっただろう。まして田島は県予選の準決勝までリリーフピッチャーだった。  県大会の一戦目から西城を追っていた俺は、彼らの戦績を誰よりもよく知ってる。  そんなハプニングを微塵も感じさせず、全員がすでに平常心で試合に臨めている。  そこに彼らの真の強さがある。技術以上に心の強さが。  勝ち上がるほどに手強くなる、見えない敵。  精神的重圧ープレッシャー、だ。
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