chapter 1

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 三点の先制点で始まった初日、ラストゲーム。  二回表、この回の守備でワンちゃんのところに打球が行けば、もう少しはっきりと様子がわかりそうなもんだけど。  そんな事を考えながら見守る俺の目の前で、初回0点と好投した……いや、結構打たれてはいたのか、田島が明峰の下位打線、六番バッターにあっさりヒットを許した。  続いて七番、ピッチャーの住田が送りバントを決め、得点圏にランナーが進む。  互いにとってキーマンになるはずの三人目、八番打者にはフォアボールを出した。 『さすが明峰、すぐに気持ちを切り替えました』 『いいですよ。焦らず一点ずつ返していくのが大切ですからね。バッターも大振りせず、当てる事に専念できています』 「あ~もう、何やってんだ! こいつらに付き合う必要ねえだろが」  テレビの解説に重なって、今井さんの苛立たしげな罵声が飛ぶ。  全く同感だった。  1アウト一、二塁で九番、ラストバッターを迎える。  その初球、ストライクを先行させた田島の甘く入った球に、九番打者が牙を剥いた。 「ヤバイッ!」  声と同時にグラウンドに快音が響き、カメラが打球の行方を追う。と、セカンド松谷が再度好守を見せ、一、二塁のほぼ中間を抜けて行く打球を、体勢を崩されながらも果敢に捕球した。  どよめく後方の野球部員。ただしその後の処理が悪い。目の前のファーストじゃなく誰もカバーに入ってない後方のセカンドに投げやがった。 「あっ、バカッ!」  案の定、無理な姿勢から強引に投げた球が高めに浮く。 「ア~ッ!」  悲鳴に近い叫び声の中、ショートのワンちゃんが二塁に走る。けど――  半分諦めた俺の目の前で、走ってきた勢いのまま目一杯ジャンプしてその球をあっさり掴んだワンちゃんがベースの上に着地し、すぐに身を翻した。  併殺を阻止しようと体当たりで突っ込んで来たランナーをかわす為、だけじゃない。  いつの間に持ち替えたのか右手に掴んでいた白球を、呆気に取られて眺める俺達の眼前で一塁めがけて思い切り投げた。  その間、わずか二秒足らず?  一連の動きを瞬きもせず見つめていた俺は、呼吸するのも忘れていた。  ぎりぎりのクロスプレーに、一塁塁審は迷う事なくアウトをコールした。 「怖ッえ~! 何だこいつら!? あれをダブルプレーにしちまうのか」  同じく、食い入るように見ていた浜名キャプテンの感嘆の声に、どこからともなく呻き声が上がった。  一度は対戦した相手のはずなのに、その守備力の高さに騒然となる。  俺達は、本当にこんな奴らを相手に勝ったんだろうか?   たった数日前の事なのに、なんか不思議…ってか、夢でも見てたんじゃないかって気になっちまう。 『いやぁ、危ないプレーでした。結果は併殺ですがセオリーだと今のは一塁に投げるべきでしょう。松谷君の判断ミスでしょうか』 『なんとも言えませんが、成瀬君のカバーに助けられたのは事実ですね』  判断ミス、果たしてそうだろうか?  確かに一歩間違えば、一つのアウトも取れない危険極まりないプレー。  なのに、ワンちゃんの動きにぎこちなさや慌てた素振りは少しも感じられなかった。  送球までの一連の動作はあまりにも自然で、流れに乗ってやった気がする。  そこに偶然や幸運は見られない。  その証拠に、ベンチに引き上げる西城の選手の表情はいつもとそう変わらない。  あのプレーが、取り立てて騒ぐほどの事ではないとしたら?  カメラが、コンビプレイした二人を追う。  ワンちゃんが松谷に並ぶのと同時に、互いのグラブを交え一言二言言葉を交わす。  日頃から仲がいいのか、一回表を0点でしのいだ後も二人何か声を掛け合ってた。  和泉の選手の間ではそんな仲間意識はあんまりない。  俺達バッテリー以外全員三年というのも関係してるのかもしんないけど、自分に与えられた役割だけを完璧にこなす職人気質の先輩が多いから、俺は逆にやり易い。  失敗して変に庇われたりしたら、立つ瀬がないじゃないか。  それよりも正直に罵声を浴びせられたり詰られる方が、俺的には遥かにマシなんだ。  明峰の攻撃をまた奇跡的に0点に抑えた二回表。  その裏、西城の攻撃は七番、ファーストを守る三年の柴田。  打順もスターティングメンバーも、県大会決勝の時と全く同じ。  違うのは、そこが甲子園という事だけ。  そのプレッシャーがやはり西城にも多少あったらしく、意外にも簡単に三振を喫した。  そして二人目、一年の久住がバッターボックスに立つ。  九人の内、二人が一年生、そのどちらも二年前の夏に対戦した時、西城中学のレギュラーメンバーとしてすでに活躍していた。  おまけに今バッターボックスに立っている久住は、その試合で俺から逆転さよなら打を放ち、中学夏季総体、県大会優勝のチャンスをかっさらっていった憎い奴だ。  そんな奴が、これくらいのピッチャーに簡単に打ち取られてたまるかよ。  こいつらはまだ一年、野球人生を賭けたラストゲームでもないし、プレッシャーなんか微塵もない。  あれやこれやの複雑な感情が入り混じり、こいつだけは素直に応援する気にならない。  予想通り憎らしいほど冷静に球筋を見極め叩いた打球が、サードベースをフルスピードで通過しレフト線を転がっていった。  二塁に滑り込んだ久住がアップで映され、すぐリプレーに替わる。  無駄のないシャープなバッティングは、ワンちゃんに通じるものがある。  身近にいい手本がいるとチーム全体のレベルアップに繋がると、身をもって証明していた。 『久住君は一年ながら素晴らしいバッティングですねえ』 『一年だから伸び伸びしているとも言えます。それにしても大振りすることなく、コンパクトに振りましたよ』  『西城高校には貴重な追加点のチャンスですが、明峰にとっては苦しい展開です』 『全くです。住田君がどこまで粘れるかにかかっていますが、田島君の次は二順目に入りますから、厳しいですよ』  その解説者の言葉通り、ラストバッターの田島がきっちりと久住をサードに送った。  2アウト三塁で、再び一番の松谷を迎える。  守備でも好調な松谷が、トップバッターで打席に立った初回とは明らかに違う落ち着いた雰囲気でバットを構える。それだけですでに相手を威圧している。 1‐3、バッター有利なカウントでフルスイングした球がセカンドの頭上を越え、中途半端だけど確実に追加点の入りそうないい感じの当たりになった。  センターが大きくバウンドした球をダッシュで走り込んで捕球する。  山なりの打球のおかげでホーム、一塁共余裕でセーフになり、応援席から流れる吹奏楽の統一されたメロディーが追加点に華を添えた。  ホームに還ってきた久住とハイタッチを交わした二番の渡辺が、再び窮地に立たされ動揺したピッチャーから、小技ではなくフルスイングでライト前への連打、初ヒットをもぎ取る。  その間に松谷が足を活かして二塁ベースを蹴り、一気に三塁を陥れるべく走った。  思いがけない攻撃的な走塁は相手校をも少なからず慌てさせた。  どうやら西城は、アナウンサーだけでなく明峰の選手達にも相当舐められていたらしい。  焦った野手が力任せに三塁に送球した球が僅かに逸れ、ヘッドスライディングした松谷に味方した。  流れは、確実に西城に来ていた。  2アウトでダブルプレーの心配がなくなり、リードを大きく取っていたからできた走塁だけど、アグレッシブで強気な攻めの姿勢に、県大会で互角に戦った時の熱が鮮やかに蘇る。  そうだった。あの時のこいつらも、少しの隙も見逃さず果敢に攻めてきた。  集中できてる。自分達の力を存分に、余すところなく出せている。  それが、素直に嬉しかった。  一塁ベース上では、ランナーとして塁に出た渡辺が、嬉しさを隠しきれない様子で、拳を高々と突き上げる。  底抜けに明るい奴だと、見ているだけで伝わってくる。  西城のチームカラー―ワンちゃんをメインに置いた場合―から言えば異色にも思えるけど、元気一杯なそのプレーがどれほど味方を勇気付けるか、俺は知っている。 『……末恐ろしい、一年生コンビですね』 『おっしゃる通りです。それに対照的な二人ですが、どちらもこの試合、緊張している風には見えません。実力を如何なく発揮しています』  実はコンビじゃない、トリオなんだ。  その事実を知られるのが楽しみなような、遅い方がいいような……複雑な心境で三番、結城キャプテンの二度目のバッティングを見守った。  この画面には映ってないけど、ネクストサークルではワンちゃんが次の打席に向け、スタンバってる。  結城キャプテンが塁に出たら、わからない。  この試合、まだまだ荒れるかも。  それを肯定するかの様にまた1‐3とカウントを悪くしたピッチャーの元に、タイムを取ったキャッチャーが走っていった。  どうやら先発ピッチャーの投球自体定まっていないようだ。ボール球が先行するのも、精神面だけじゃなく本当に調子が悪いのかもしれない。  もちろんそんな事で同情する気は更々ないが。  こいつらはそれらも全て含めて、今、その場所に立っているんだから。  マウンド上で言葉を交わす二人の姿が映る、と同時にバッター、次いでネクストサークルで佇むワンちゃんの横顔が、アップで捉えられた。  思わず引き込まれる、強く揺るぎない真剣な眼差し。  どこかわからないけど、一点をただじっと見つめている。  そのアングルがどんどん広がり、グラウンド全体が映し出されて、ようやく視線の先に気付いた。 「あいつ、相手がタイム取る度にピッチャー睨みつけてやがる」  心の中で思った事をそのまま今井さんに言われ、思わず苦笑が洩れた。  カメラが入って実感する、ワンちゃんのあの眼差しは犯罪に近い。  マウンドまでの十数メートルの隔たりがあればその威力はほとんどないけど、見られてるって意識するだけでなんかいつものプレーができなくなっちまう。  それなのに素顔のワンちゃんの瞳は、性質がころっと変わる。  野球抜きで間近で見た時も、どういう訳かすがり付きたくなった。  実際に抱きつくとかじゃなくて、悩みとか…誰にも言えない秘密でもいつの間にか打ち明けてしまいそうな……何なんだろう、この感情は。  俺にもよくわかんね。  けど、とにかくどっちに転んでもヤバい相手なんだ。 『いいタイミングでタイムを取りました。正捕手ではありませんが、キャッチャーは落ち着いています』 『同感ですが、いくら門倉君が控えているといっても何の策も講じずクリーンナップを迎えるのはまずいでしょう』 『その通りです、ここは住田君のふんばりどころですよ』 2アウトながら一、三塁、相手は弱気になったピッチャー。空いた塁を埋め満塁策を取るか、このまま結城キャプテンとの勝負に出るか。  そいつらの視線が揃ってネクストサークルの方に向き、すぐに逸らされた。  多分、ワンちゃんと目が合ったんだ。  マウンド上の二人は、今打席にいるバッターより後ろに控えたワンちゃんに恐怖を感じてる。  という事は当然満塁策はない。この打席で勝負だ、そう直感したのと同じタイミングでピッチャーの肩を軽く叩いたキャッチャーが、ホームへ走って戻った。  試合が再開し、ピッチャーがプレートを踏む。  それに合わせて西城の二人のランナーが再び大きくリードを取った。  牽制の一つも入れれば違った結果になったかもしれないのに、マウンドの投手にはその余裕がないらしい。  それを逆手に取ったリードだとすれば、西城も案外喰えない。  手からボールが離れ、打つ気満々に見せていた結城キャプテンがいきなりバントを敢行した。  巧みなバントに明峰の二年生バッテリーが慌てた。  三塁線に勢いを完全に殺された球が転がる。  すぐ傍を松谷が走り抜けた。  マウンドを降りたピッチャーとサードの選手が一つの球を追う。  一瞬早くボールを掴んだピッチャーが、あろう事かホームに気を取られ、一拍置いてファーストに投げた。そのコンマ数秒が西城に味方した。  松谷の足であのタイミングでスタートを切られたら、もう間に合わない。  追加点を阻止しなくても、2アウトならそれは放っておいて一塁に投げれば3アウトでチェンジになる可能性はあったのに。  それにしても見事なまでに相手の裏をかく絶妙なスクイズプレーだった。 『これは痛い、住田君のフィルダーズ‐チョイスです』 『2アウトからのスクイズは想定してなかったんでしょう。相当動揺したようです』  相手バッテリーは緊迫したゲーム自体、経験が浅そうだ。ホームに走るランナーに気を取られ、ゲーム全体を見損なった。  その結果が一点の追加点とバッターの一塁セーフ。  代償というには大きすぎる五点目が、西城高校のスコアボードに入る。  一体誰がこんな展開を予想していただろう。  俺達にしても、どうにか対等に戦ってくれたらと願ってはいた。  けどこの投手じゃ話にならない。西城の方が強すぎる。  明峰(てき)にもそう認識させるには十分の失策。  それは、西城にとって吉なのか凶なのか。  明峰を追い詰めれば、必ず出てくるあの怪物。 『――明峰は満塁策を避けて結城君で勝負に出ましたが、どう思われますか』 『よかったと思いますよ。成瀬君は県大会で七割近いアベレージを残していますから、彼の前にランナーを溜めるのは危険すぎます。それより住田君の焦りがプレーに出てしまったのが惜しいですね』 『そうですねえ。いいバントでしたが、迷わず一塁に投げていれば追加点は阻止できていたかもしれません。際どいタイミングにはなっていたでしょうが』 『結果論ではそうなりますが、「たら」「れば」は通用しませんからね。西城の方がより冷静だったという事でしょう』 『あっ…と、ここで明峰高校選手の交代です。ピッチャー、投球練習をしていた三年の三井君に代ります』 「賢明だな。住田…だったか、このピッチャーで二順目の成瀬は抑えられないだろ」 「それでも門倉は出さねえんだから、明峰にとってはまだお遊びみたいなもんだね」 「その思い込みがどこまで通用するか、だな」 「違いない。俺達が相手だったらはなっから門倉が出てたはずだもんな」 「その点では俺達に感謝してもらわないとな」  浜名さんと今井さんが声を殺して笑い合う。  けど門倉温存は、この大会決勝戦までの長い道のりを想定した上での判断だ。  それは俺が相手になっていたとしても、そう変わらない気がする。  どちらにしても相手投手を打ち砕き、突き放す絶好のチャンスは失われてしまった。  五点の点差にも余裕しゃくしゃくに見える明峰ベンチからマウンドに上がった二人目は、サイドスローの変化球投手。  大事な局面で1、2イニングだけ投げる、中継ぎ専門の奴だ。  内野手が集まり、ベンチからも伝令が出る。  ただしこれほど早い回で出てくる事もこれまでなかった。とすれば、明峰も多少は焦ってるのかも。  そう考えたら、今後の展開がまた楽しみになる。  西城はいつ、門倉をこのマウンドに引っ張り出す事ができるのか。  その行方を握る一番のキーパーソン、ワンちゃんが微動だにせずバッターボックスの横で投球練習を見ている。  門倉の出番が早くなるか、こいつの投げるイニングが長くなるか……ワンちゃんと同じくその投球練習を画面越しに見つめながら、西城に完全に傾きかけていた流れが引き戻されようとしているのを感じていた。
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