chapter 1

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 五球ファールで粘り、カウント2ー3に持ち込んだワンちゃんが、相手の得意とする、切れのいいシンカーにタイミングを合わせた。  結果、癖のある初めての相手にも関わらずシングルヒットを放った。  敵に回したらこれほど嫌なバッターはいない。けど味方なら、こんなに頼れる四番打者もいない。 『三井君の変化球は切れがあり凡打になるバッターが多いんですが、このイニングでの交代で調子が上がらないんでしょうか』 『それもあるでしょうが、替ったばかりの三井君の立ち上がりを上手く捉えました』  バカヤロ! ピッチャーが初投球ならバッターにとってもそうだろうが。  ワンちゃんの実力が勝ってただけの事なんだよ。  さっさと門倉が出てくれば、三度目の打席くらいにはワンちゃんなら絶対ヒット打つのに。  その実力を正当に評価されないのが、すごく悔しい。  ぎゅっと拳を握り締め腹立たしさを押さえ込む。  視線の先で、キャッチャーの山崎が打席に立った。  けど、一打席目とは違って力が入りすぎてる。  満塁のせいか画面越しでも力みすぎて大振りになっているのがわかる。  これだと俺じゃなくてもバッテリーに読まれてしまう。  嫌な予感的中、だ。  あっさりボール球を振らされ、山崎は三振。ランナー三人は残塁、二回の攻撃は二点の追加点止まりで中途半端に終わった。 『三井君、成瀬君にヒットを許したものの後続を断ち、満塁のピンチをしのぎました』 『立ち上がり心配しましたが、その後は落ち着いて投げましたね』  さすがに明峰、選手交代のタイミングを心得てる。  見守る俺達の間にも五点のリードがあるとは思えない、重い沈黙が漂う。  それは西城の先発である田島が、この回から二順目になる明峰のバッターを、抑えられるかどうか読めないせいだ。  せめて四回までもてば何とかなる。残り5イニング程度なら、一年のあいつでも十分通用するだろう。  それ以上となるとわからない。県大会の時の守備のぎこちなさに敵が気付けば、間違いなくそこを攻めてくる。  そうなれば現時点での西城の優勢なんか一気に覆されてしまう。  三回表、打順はトップバッターから。  俺達の不安通り、甲子園常連校の貫禄か、甲子園の雰囲気にようやく馴染んできた明峰が、その実力を徐々に発揮し始めた。  2ストライクまで追い込んだはずの田島の球が、際どいコースをカットされ、球数が増えていく。  2―1のカウントがいつの間にか2―3になり、五分五分に。  関の怪我がなかったら……相手が明峰じゃなかったら、十分通用している。  そう悪い投手じゃない。   けどゲストのおっさんの言葉を借りるなら、『たら』『れば』は試合に関係ない。  その場にある全てが互いの戦力。  プラス要素もマイナス要素も全部含めた上で、戦うしかないんだ。  粘りの投球を見せた八球目、ジャストミートされた球が今度こそライトとセカンドの守備範囲中間に落ちる。  ファーストを大きく回ったランナーが、いち早くセカンドのベースカバーに入ったワンちゃんへの好返球を見て、ファーストに戻った。  こういうところがさすがだ。  自分のところに来た打球でなくても、確実に次の足がかりになりそうな攻撃の芽を早々と摘む。それを見る限り好調そのものなんだけど。  なら初回に見せた守備の甘さは一体何だったんだ?   こういった状況の判断と洞察力に絶対の信頼を寄せている義純は、三回くらいには状態もわかるだろうと言っていたが、その後それについて一言も発しない。  多分こいつにもまだよくわからないんだ。  二番の打者が送りバントの構えをする。  相手を流れに乗せないよう執拗に牽制球を放った田島だけど、ようやくバッターに投げた球がバットに上手く当てられサード方向へ。  結城キャプテンがそつなく拾い、セカンドは諦め一塁に投げた。  数回の牽制でスタートを遅らせる事はできても、バントそのものを封じる事はできない。  自分の仕事を果たしベンチに走って戻る二番打者をカメラがアップで捉え、続いてセカンドに立つランナーを、最後にマウンドで滑り止めを拾う田島を映した。  1アウト二塁で二度目のクリーンナップを迎えるこの回、恐らく何点かは入れられるだろう。  問題は最後まで田島がもつかどうかだ。  まだ三回、こんなに早くあいつに交代するのは絶対まずい。後半、潰される可能性大だ。  けど……頭で思っても思い通りに行かないのがスポーツなんだよなぁ。  相手には相手の思惑がある。  そんでもって嫌な予感ほどよく当たりやがる。  三番、四番と立て続けに長打を浴び、さすがのワンちゃんも成す術なく、相手に一気に二点が入った。  一番のセカンドランナーが三番打者の一振りで生還。  続いて、今大会ナンバー1スラッガーとの呼び声も高い四番打者室生の、レフト線への痛烈な当たりで、三番打者が楽々とホームに還り、打った本人はセカンド上でもっとも厄介なランナーに変貌した。  アウトカウントを増やせず点だけが入る。一番まずい展開だ。  と、当然ながら西城が一回目の守備のタイムを取った。  マウンドの田島の元に内野手の五人が集まり、ベンチからも監督からの伝令が出る。  まず間違いなくピッチャー交代、だ。  県大会の時はぎりぎりまでその選択を渋った感があったのに、今日はその決断が早い。  恐らく決勝戦での投球である程度の自信がついたんだろう。  本人に、ではなく彼をマウンドに立たせる側の人間が。  予想通り、西城高校の監督が主審に投手の交代を告げる。  ざわつくスタンドと、マウンドに集まる西城の選手をテレビが映す。  苦境に立たされたワンちゃん達が気がかりで、その様子だけを追っていた俺は、隣に座る義純の心境なんかこれっぽっちも考えてなかった。 「おい、…惜しい事した、なんて思ってねえだろな」  それまで無言で見ていた義純にいきなり肘を突かれ、小声で話しかけられて、怪訝な面持ちで見返した。 「『惜しい事』? って、何が?」  同じく小声で返したら、思いもしない事を言い出した。 「あいつが言ってただろうが。お前を同じ高校に誘いかけたって」 「……俺を、じゃなくて俺達二人って言ってたじゃん。それに誘われたって無理だし。あそこは俺の頭じゃレベル高すぎ。――あ、お前わざと嫌味言ってんの?」 「何でそうなる。西城には小数だがスポーツ選手の優遇措置があるの、知らねえのかよ」 「へえ! そうなんだ、ちっとも知らなかった」 「ハ~、マジで馬鹿だこいつ。それでよく野球やってられるよな」 「うっせ。関係ねえだろ」 「大有りだ。将来(さき)を思えば少しでも甲子園に近いとこ探すだろ、普通」 「そうかもしんないけど! なんでそこに西城が入るのか全ッ然わかんね。こいつらだって初出場じゃん」 「――成瀬が行った」  何気ない一言。  けど、義純のワンちゃんへの拘りに気付くには十分、だった。 「義……」 「うっせえぞお前ら。いいとこなんだから黙って見てろ」  勝手に呼びつけたのはそっちじゃん! と横のキャプテンに言えたらどんなに楽だろう。  その想いをぐっと堪え、平面でしかない画像を見る――振りをした。  ともすればワンちゃんを引き合いに出す義純に、その本心を問い質したい。  義純の心の中にある、彼への感情。  それがどんなものなのかよくわからなくて、つい見失いがちになる。  俺は、義純に甘えてる?   いっそワンちゃんしか見えない振りをすれば、俺自身少しは楽になるんだろうか?  それとも無理矢理にでも可愛い彼女を見つけて、この不毛な想いに終止符を打てばいいのか?  どちらを選んでも、俺の本当の気持ちが報われる事はないけど。  どっちにしても彼女のいる義純をこんな近くで想い続けるよりいくらかマシなはずなのに、それさえ選べずいつまでも引きずっている俺は、よくよく諦めの悪い奴なんだ。  早くから投球練習していたんだろう、ブルペンからマウンドに走ってくる奴の横顔をカメラが追う。  背後からピューッと、はやし立てる口笛が起きた。  ワンちゃんがずっと探し続けていたといった、大切な後輩だ。 『思いがけない展開になってきました。このピンチに今度は西城高校が投手の交代、しかも一年生の相原君がマウンドに向かいます。彼の登板は県大会の決勝戦、リリーフとして出場した一試合だけです。それまでは今ベンチにいる関君とこの田島君の二人で、ずっと西城のマウンドを守ってきました』 『大胆な交代ですが、決勝戦では彼が登板した後、延長までもつれ込みました。その相手が今大会優に五指に入ると目されていた加納君なら、相原君の実力もかなりのものなんじゃないでしょうか』 『その加納君ですが、右肩の調子が悪く、ドクターストップがかかるほど症状が悪化していたんですよね』 『そうなんです。まぁ彼はまだ二年生ですから、来年の為……それ以上に今後の野球界の為にしっかり完治させて、来年この甲子園のマウンドにぜひ立って欲しいですね』 『ええ。非常に楽しみな有望選手だけに無理は絶対しないで欲しいです』 「だとさ、加納」 「…………」  一言も返せないのを知っていて、今井さんが呼びかける。  聞こえない振りでテレビに見入っている風を装った。  あいつー相原なら実力さえ出せれば互角に戦えるはずだ。  ただ、それが一番難しいのも事実。ワンちゃん達はどうするのか。  そんな心配をしながらマウンドを見つめていると、集まった野手に笑顔が零れた。  不思議に思って見つめる先で、背番号6の右腕がすっと動き、リリーフピッチャー相原の手首を掴んで、その手の平を自分の胸に押し付けた。  俺との試合で初めて登板した時と同じ。  この大観衆の中、そんな大胆な真似ができる図太さに感心を通り越して呆れてしまう。 『おや? ショートの成瀬君が相原君の手を自分の胸に当てていますが、何でしょう? 願掛けみたいなものでしょうか?』 『さあ、よくわかりませんが、この場面でリリーフとしてマウンドを引き継ぐ相原君としては、本来の力がどこまで出せるか、いつ平常心になれるかにかかってますから、気持ちを落ち着かせる為のものかもしれません』 『緊迫した場面には不似合いですが、なんだか微笑ましい光景ですね』 『初出場ならでは、といったところでしょうか』  その言葉が終わる前に内野手の輪が解かれ、それぞれのポジションにメンバーが散っていった。    最強の西城が、揃った。  そう思うだけで、ゾクッと鳥肌が立つ。  その手強さを一番よく知ってる俺だから感じる。  恐怖と、同じだけの期待感。  ここから、また試合が動く。  マウンドで投球練習に入った相原以上に、フィールダーの間を回すボールから目が離せない俺だった。  
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