chapter 2

2/4

4人が本棚に入れています
本棚に追加
/24ページ
『実に簡単に三アウトを取りました、マウンド上の相原君です』 『いいですよ。前回のイニングから推測して、速球で押して来るかと思いましたが、緩急つけた投球で相手バッターに球種を読ませません。山崎君の好リードも光ってます』 『この流れをどうにか攻撃に繋げ、もう一度突き放したい西城。反対に明峰はこの回、追加点を許すわけにはいきません』 『そうですねえ。西城は一番の好打順ですから、この回一人でも塁に出るようならピッチャーの交代も有り得るでしょう』 『門倉君の登板もある、と?』 『もちろん、その可能性は十分にあります』 『益々楽しみになってきます、甲子園球場初日。前年度優勝校 明峰高校対、初出場 西城高校の第三試合は、五対二、西城高校リードのまま、四回裏の攻撃に移ります』  予想外の展開にも関わらず、プロ根性を見せ、野球ファンの関心を誘うアナウンサーをちょっとだけ見直して、俺も試合に集中した。  四回裏の攻撃は一番、波に乗ってる松谷から。  緩いカーブを上手く当て、センター前に打ち返し一塁に走る。  三打席ともヒット、この一番は要注意だ。  二番手、小柄な渡辺が打席に立つと、野手が一斉に守備位置を変えた。 第一打席はバント、第二打席はヒッティング。  それをバッテリーが覚えてたら、簡単にストライクは取りにいかない。  投げる球は当然コーナーを突いてくる。  相手の思惑を読んだ渡辺が、粘って、怪しいコースはカットして、とうとうフォアボールを奪い取った。 『ああっと、この大事な場面で明峰はフォアボールを出してしまいました。ノーアウト、ランナー一、二塁でクリーンナップを迎えるという、非常に苦しい展開です』 『逆に渡辺君はよく見ましたよ。ここは明峰の踏ん張りどころでしょう。追加点は阻止したいところですが――』 『あっ! と、ここで明峰ベンチが再び動きます。恐らくはピッチャー……いえ、バッテリーの交代。マウンドに上がるのは、当然門倉君でしょう』  その解説が終わるか終わらないかで、ブルペンからマウンドに走っていく門倉の姿をカメラが捉え、球場全体に拍手が広がった。  同時に場内アナウンスがメンバーの交代を知らせる。けど、その流暢なアナウンスの声も四万人の歓声にかき消されてしまった。  将来を期待されたエースピッチャー、その名はすでに全国に知れ渡ってる。  当然、彼の登板はみんなが望んでいたし、駄目モトで今日球場に来ている野球ファンもいるかもしれない。  思いがけず、この試合でその勇姿が見れる事を、ただ単純に喜んでる奴も大勢いる。  けど―――  この大歓声が互いのチームに及ぼす影響……その明暗を思うと、胸が押し潰されそうだ。  敵ー西城の受けるプレッシャーは、一体どれほどだろうか。  まだワンちゃんの状態も把握できてないのに、これほど早く門倉が出てくるとは。  待ち望んでいた西城の実力が正当に評価された、という事なんだけど、それを認めさせる代償と考えてみても、このスタジアムの雰囲気は西城にとって過酷すぎる。  ただの投球練習でさえ、すでに王者の風格を漂わせるその姿に、俺ですら思わず引き込まれてしまう。  試合は五対二のまま、ノーアウト一、二塁。  西城有利は変わらないのに断崖絶壁に立たされた気分、少しも落ち着けない。  試合再開の合図がかかり、結城主将が打席に立つ。  マウンド上の門倉の投げる一球一球に声援が起こる。  一際大きな歓声が起こり、三振を喫した西城の主将が憮然としてダッグアウトに引き上げていくのを、カメラはしっかりと映した。  そのまま広角に広がったアングルが、バッターボックスに向かうワンちゃんを画面の端に捉える。  彼のバッティング前の癖なのか、俺と対峙した時と同じ、手にしたバットをクルクル回しながら歩いていく。  その姿からは、緊張もプレッシャーもそう感じられない。  ボックスの手前で二、三度、軽く素振りをして打席に立った。  『絶好の追加点のチャンスですが、三番の結城君、明峰のエース門倉君の前に、手も足も出ませんでした。続く四番、主砲の成瀬君は、ここまで二打数二安打二打点と、西城のリードに大きく貢献しています。西城打線としては、その門倉君の立ち上がりを叩ければ、主導権を握ったまま後半戦に持ち込む事も可能でしょうが、どうでしょう?』 『そうですねえ、今の結城君への投球をみる限り、立ち上がりに不安要素は見られませんね。実に落ち着いた、堂々とした投球です』 『そうですか。――明峰のエース対西城の四番打者、初めての顔合わせはどちらに軍配が上がるのでしょう。非常に興味深い対戦です』 「煽るねえ、このアナウンサー」 「やってる本人はあんま意識してないだろうに」  ふざける今井副将に、浜名主将がすかさず突っ込みを入れる。 「風をおこさねえと、盛り上がんねえだろうが」 「しょっぱなから簡単に打たれるようじゃ、門倉も大した事ねえよ」 「そりゃそうだけどよォ…」  まだ何か言いたそうな今井副キャプテンを、浜名キャプテンが遮った。 「それにしても成瀬が『主砲』ってか? 笑わせてくれるぜ」 「あー、ありゃどうせ結城が押し付けたんだろ」 「違いない。あの体型で主砲と呼ばれるのも不本意だろうぜ、成瀬は」  その二人の意見にまたまた同感な気分で、義純と顔を見合わせた。  ワンちゃんには、パワーバッターという印象は少しもない。  松谷と同じ、一番バッターのイメージが強い。  ただ、代わりになる四番バッターも確かにいない。  敢えて挙げるなら来年の久住辺りだろうか?   イメージじゃなくても、今の西城で四番打者の重責を担えるのも、やっぱワンちゃんだけなんだ。  そんな彼への初球、敵の四番バッターへの挨拶代わりなのか、ど真ん中に威力のあるストレートが、ビシッと決まった。  目一杯の力投には程遠いのに、スピードも球威も、前の二人とは桁違いだ。  次いで切れのある変化球 スライダーが、外角ぎりぎりに。  この巧みなコントロール。その投球に、目が釘付けになっちまう。  素人が見ても十分凄いと感じる投手だ。  同じ投手の俺がいくら抗ってみても、奴の実力を実感せずにいられない。  こんな投手を相手に、ワンちゃんは挑んでいくのか?  ――どうなるんだ、一体。  画面から目が逸らせない。けど、一人じゃ怖くて見てられない。  そのプレッシャーに先に負けたのは、他でもない俺自身だった。  堪らず隣の義純の腕を掴みそうになって、ぎりぎり踏み止まった。  そんなことしたら義純との間に今以上に深い溝ができそうで、伸ばしかけた手を固く握り締めて、どうにか自分を抑えた。  2ストライク、ノーボールと追い込まれたバッター。  今、ワンちゃんは何を考えてそこに立ってる?   それとも、何も考えず無心で挑んでるんだろうか。  打席に立つワンちゃんは打つ気に満ちている。  少しでも甘い球が来たら、バットを振るつもりだ。  三球目、そんな打ち気を逆手に取るようなボールになるスローカーブで体勢を大きく崩された。  2ー1、相手の方が一枚上手、なんだろう。  先に追い込まれた分、ワンちゃんが不利なのは変わらない。  四球目、一体何が来るんだ?  あらゆる可能性を想定しつつ見つめる先で、手を離れたボールが俺の予想を裏切り、大きくカーブする。  ワンちゃんがそれにタイミングを会わせ、レフト方向へのファールにした。 「さっすが成瀬。あれを読んでたか」  言葉ほど感心した風もなく今井副将が呟き、浜名主将が俺達の心配を杞憂に変えた。 「集中してるじゃねえか」 「嫌味なくらいに、な」 「――だとさ、一聖」  急に話しかけられて義純を見ると、「やっぱ成瀬の不調は気のせいだな」  テレビから目を離さず、自身の出した結論をようやく口にした。 「ん、…うん、そうかも」  半信半疑だったけど一応相槌を打って画面に視線を戻したら、五球目の球種を確認する門倉の、憎らしいほど落ち着き払った顔がアップで映っていた。 『西城の好打者、成瀬君に対する五球目、門倉君は何を投げてくるでしょうか?』 『二球続けてカーブでしたから、恐らくストレートか、そう見せかけたスライダーもありますね。どちらにしても門倉君の方が有利です』  ゲストがそう予想した五球目。  ストレート低め、膝下一杯の球を、ワンちゃんがジャストミートというには程遠いタイミングでバットに当てた。  中途半端に当たった球は惜しい事にファールにはならず、フェアグランドを転がっていく。  打球のスピードも打った先も、はっきり言って最悪……だった。  引っ掛けたような格好になった打球が三塁手のグラブに労せず捉まり、そのままベースを踏まれ2アウト。  すぐに一塁に送球され、ワンちゃんが駆け抜けるのより一瞬早くファーストミットに収まった。 「ゲ~ッ!! 何やってんだ? あいつ」  叫んだのは今井副将。 「信じらんねえ。成瀬でもあんなヘマするんだ」  わざとらしくイスからずり落ちる真似をして、感嘆の声を上げる浜名主将。  対照的な表現だけど、最悪の結果に驚いたのはみんな同じ。  隣からも忌々しげな舌打ちが聞こえ、ビクつく亀みたいに思わず首を竦めた。 「…ったく、もう金輪際、あいつに関わるのは止めだ」  たった今ワンちゃんの不調を否定した義純が、憮然と言い放つ。  珍しく好意的な見方をしたのに、それをけとばすようなワンちゃんのバッティングが、義純の判断を完全に無意味なものに変えてしまった。 『犬猿の仲』ともとれる二人の関係が、益々こじれて行く。  いや、こじらせているのは義純だけなんだけど、かける言葉もなく暗たんとした気分で画面を見つめる俺は、疑いようもないワンちゃんの不調を感じ、重苦しい沈黙を守るしかなかった。 『西城高校の四番バッターとの初対決は、三年の貫禄を見せつけた明峰高校の門倉君に軍配が上がりました。好打者成瀬君をサードゴロの併殺打に打ち取って二者残塁、追加点が入るのを阻止しました』 『西城の成瀬君も、さすがに四番バッターだけの事はありますよ。初対決にして門倉君の球を上手くカットしていました。普通はそれさえ難しいんですが、同じ県に加納君がいる事を思えば、門倉君の投球もさほど恐れてないのかもしれません』 『おっしゃる通りですが、好打者といえどやはり二年生、今のところ試合慣れした門倉君に分がありそうですが』 『ええ。ですが今のバッティングを見て、今後の展開が益々楽しみになってきました』  その解説者の声が届かないレフトスタンドからは、盛大なため息が漏れる。  少しも顔を上げずダッグアウトに姿を消すワンちゃんを追っていたカメラが、ピンチを脱した一塁側のダッグアウトへ切り替わった。  序盤とは打って変わり、速いテンポで試合が進む。  五回表、相手校も一番の好打順。  この回、一人でもランナーが出れば流れは完全に明峰に行くだろう。  そんな俺の不安は、相原の幅のあるピッチングにきれいに払拭されてしまった。  一番打者がボール球の変化球に手を出し、ショートーワンちゃんへのフライを打ち上げ、1アウト。  二番打者は、低め膝下一杯のコースを見送って三振、2アウト。  ワンちゃんもためらった、この審判だけのストライクコースだ。  そして三番は粘って2ー2としたものの、最後は相原の完璧にコントロールされた速球に裏をかかれ、手を出す事ができなかった。 『安定した投球を見せています、西城高校の相原君。これで一年生とはちょっと信じられません』 『全くです。それにこのイニング、145km/h以上の球は一度も投げていません、打たせて取るピッチングで相手を翻弄しました。山崎君のリードもさる事ながら、重量打線の明峰を相手に肝の据わった投球、驚きました』  確かに落ち着いてる。  まだ一年、しかも公式戦は恐らく二回目だ。  そんな事、誰も信じやしないだろうけど。  俺達の試合に出た時と今の相原とを比べても、格段に上手くなってる。  普段の練習以上に、実戦となると緊張感が違うし、得るものも多い。  俺達もあいつを攻略するのに相当手こずったんだ。  まだ一順目の明峰打線にあいつがそう易々と捉まるとは思えない。  捉まって欲しくない。  ただし点差を詰める事ができず、相手が焦って打ち損じているのも事実だ。  そこを修正しバッティングを変えてきたら、西城の守りは相当苦しくなるだろう。  それに守備だけじゃない、門倉が出てきたここから先は、攻撃も厳しい。  事態は、明峰の焦りから来る凡打以上に深刻だった。
/24ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加