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ノーアウトのまま一、二塁。
六番の下位打線になり一つ牽制球を投げた相原がバッターに向き合う。
その動きに県大会の時の硬さは見られない。
どうやら本来の自分を出せているのか、随分落ち着いてるような気がする。
県大会の時は牽制球を投げるのがやっとって感じだったけど、今は相手のリードを見て判断できてる。
セットポジションからサインの確認をした相原が、目視して二度目の牽制を留まった。
一球目、意外にも超スローカーブがストライクゾーンに上手く決まり、完全に裏をかかれたバッターは、ぴくとも動かずその球を見送った。
二球目、再び相手の裏がかけたのか、同じくボールになるスローカーブに手を出しかけたバッターが必死に止めるが、累審にストライクを取られた。
2ストライク、ノーボール。
追い込んだバッテリーが三球目に選んだ球はインコース低め、この審判だけのストライクコースだった。
読みが的中し、見逃し三振を奪ってようやく1アウト。
画面の中、一息つく相原以上に大きく息を吐き出した俺を、横目で見た義純の口からフッと笑い声が零れた。
『中々どうして、一年生とは思えない安定感がありますねえ』
『ええ、実は私も驚いてます。落ち着いた投球でピンチをしのぐ辺り、相原君の度胸は大したものですよ。これで一年生とはまた楽しみな投手が出てきました』
『その相原君ですが、中学時代は野球ではなく陸上選手だったんです』
『ほう? ああ、そういえばさっきの打席でも送りバントがセーフティーになりかけてましたね』
『ええ。県大会でも好成績を残してますから、足も相当速いと思われます』
『なるほど。まあ、陸上から野球に移る生徒は多いですからね』
『そのおかげで我々は高校球界ナンバー1の門倉君と、将来彼の後を追いそうな相原君の対決をこうして見られるわけです』
『門倉君はバッティングのセンスも抜群ですからね。室生君と並ぶスラッガーだと、私は思ってますよ』
『非常に見応えのある打席になりそうですね。その初対決に期待しましょう』
観客には最高の見せ場でも、当の選手達にとってそうだとは限らない。
走者一、二塁のまま七番の門倉を迎える西城は、再びクリーンナップを相手にするようなもんだ。
そのバッティングは解説のおっさんの言う通り定評がある。
試合に出る予定がなかったから、この打順に甘んじてるだけ。
誘い球には手を出さず、見せ球にも動じず、甘く入るボールだけを待ってやがる。
それでも簡単に4ボールを出さないのが相原のすごいところなんだろうけど、やっぱり圧されてるのは明らかだ。
2ー3、互いに後のなくなった六球目。
満塁は避けたいところだけど、ストライクゾーンに入ってくるカーブを見逃さず、体勢を崩しながらもバットに当てちまう。
待っていたのはストレート、速球狙いだった。
その裏を巧みにかいたカーブ。それを上手くファールにされ、西城のバッテリーが追い詰められる。
山崎が再びタイムを取り、相原の元に駆けて行った。
俺達なら……義純はどうするだろう。
思わず自分達に置き換えて隣に目を遣る。すると計ったようなタイミングで義純と目が合った。
「俺の方があっちよりずっと楽だぜ」
あごで画面の中のキャッチャーをしゃくり、鼻先で笑う。
その言葉の意味を頭の中で反芻し、思わず吹き出した。
「サンキュ」
笑いながら肩を軽く叩いたら、義純が不思議顔で首を傾げた。
「何が可笑しいんだ?」
「別に。義純からそんな事言われるなんて初めてだと思ってさ」
「……お前の投球を褒めたんじゃねえ」
「え?」
「強い相手になるほど、俺をムシして勝手に突っ走っちまうのは、どこのどいつだ」
「あ、………」
もしかして今のは義純の嫌味、だったのか?
気付いた途端、顔が引きつる。思い当たる節がある、なんて可愛いモンじゃない。
思い出すゲーム全てに当てはまってる。
「ったく、素直じゃねえよなあ、梛。そんなじゃいずれ加納にも愛想をつかされるぜ」
浜名主将が溜息混じりに俺達の仲裁役を買って出た。
「そうそ。県大会の決勝戦、出場の是非をかけたミーティングであんだけこいつ庇ってたくせに、なあ?」
「はあ?」
今井副将までが、何やら意味深な台詞を口にする。
ただし、その言葉が示すところの仲間内でのひと悶着を、この時の俺は全然聞かされてなかった。
「お、試合再開だ」
当の義純に唆されテレビに目を移すと、西城のキャッチャー、存在感の一番でかい山崎が、もうホームに戻ってマスクを被っている。
第七球。相原が、振りかぶった!?
意表を突かれたランナーがタイミングを狂わされながらもスタートする。
ワインドアップで投げたボールは、それでも門倉にミートされた。
……ったく、化けモンみたいな奴。
1アウトでも構わない、いっそのことフォアボールにして満塁策を取った方が得なんじゃないか?
その考えは何の抵抗もなく頭の中に閃いて、しかも案外よさそうに感じた。
馬鹿正直にこんな怪物とやり合う必要、少しもないじゃん。
真剣にそう思い、はた、と自分の中の思考の矛盾に気付かされた。
中三の時の、ワンちゃんへの敬遠をずっと引きずってた俺。
それなのにこの場面で出した結論は、相手への4ボール。
自分がマウンドに立っていなければ、こんなにも冷静に試合の流れを掴み、敬遠も辞さない。
相反するもう一人の自分の思考に気付き、頭を掻きむしりたくなる。
俺のポリシーって、何なんだ?
それともそんな考えができるようになった……選択肢が増えた事が、二年間の成長の証し、なんだろうか?
よくわかんね。
けど、これだけははっきり言える。
今、敬遠策を取っても、この試合の成り行きに幻滅したりしない。
どんな戦い方を選ぼうとこのゲームから目が離せない。
それは両校が勝利を目指し、真剣にプレーしているから。
相手から逃げる為の敬遠策じゃない、勝利を勝ち取る為の最良の方法の一つにそれがあるなら、その意味も、意義も、全ての価値が変わる気がする。
そんな迷走の只中にあっても、試合は進んでいく。
西城のバッテリーはやっぱ真っ向勝負。盗塁も意に介さない全力投球だ。
だから……バカな選択するから、俺はこいつらが好きになる。そして惹かれるんだ。
球速表示が150㎞/h前後の球を連発し、その数字も徐々に上がっていく。
それに呼応して客席までが大いに盛り上がる。
二人の真剣勝負が球場を巻き込んで、五万人近い観客の心を揺さぶっていた。
帽子を取り、額の汗を拭いた相原の顔が、アップで映る。
いい瞳だ!
他の手段なんか微塵も考えてない、真っ直ぐで純粋な、強く輝く双眸。
この瞳に魅入られる奴が、きっと全国に何万人と出てくる。
エースの素質を十分持った相原がロージンバッグに手を伸ばし、入念に滑り止めをつけた。
恐らくこれで決着を付けるつもりだ。それは門倉も同じらしく、タイムを取り、バッターボックスから出て深く息を吐いた。
ドクドクと、見てるこっちの心拍数まで上がりそうなほどの緊張の中、九球目の球が門倉のバットの真芯に捉まった。
快音が響き、打ち返された硬球がマウンド上のピッチャーを襲う!
「逃げろッ!!」
立ち上がり叫んだ俺の目の前で、右腕を庇い身体を傾けかけた相原の無防備な左肩を、硬球が確かに当たった。
「いっ! ……」
その身に起こった事を自身のように感じ、思わず痛さに声が出る。
と、相原の肩の心配より先に信じられないプレーを見せつけられた。
相原に当たった打球を、ワンちゃんがダイレクトで横っ飛びにキャッチした!!
『取った!? 取りました成瀬ッ!!』
呼び捨てかよッ!
けどその怒りは、新たな驚きに吹き飛ばされた。
頭から叩きつけられるのを想像し目を瞑りかけた俺の目の前で、地面に右手を突いたワンちゃんの身体が体操選手のタンブリングさながら一回転した。
「ゲ~ッ! 何あいつ!?」
テレビのこっち側の驚嘆と、向こう側、観客席からのどよめきが重なる。
前のめりに体勢を崩しながらも強引に踏み止まったワンちゃんが、マウンドに駆け出しかけた。
唖然と見守る画面の中、グラブの中の白球に気付き、仲間の指示を聞くより先に振り向いて二塁に投げる!
判定は!?――惜しくもセーフ。
残念だけど本当に紙一重だった。
捕球してから二塁に投げるまで三秒あるかないか。
興奮状態で捕球を伝えたアナウンサーも、言葉を失くしてしまったようだ。
ゲッツーし損ねた事なんか問題じゃない。
あの打球を取ってしまうところからして桁外れなんだ。
ワンちゃんの守備能力を誰よりも高く評価している俺でさえ、改めて驚愕してしまう。
マックスに達した緊張が解け、へなへなとイスに座り込んで脱力状態でテレビをぼんやり見つめた。
『………いやぁ、驚きました。何だか信じられないものを見た気分ですが、素晴らしいプレーが飛び出しました。西城高校のショート、成瀬君』
有り得ない超ファインプレー、その運動神経のすごさをつぶさに見せつけられ、頭のてっぺんから足の先まで痺れたような感覚が身体中を支配する。
カメラまでがワンちゃんに釘付けだ。
なのに当のワンちゃんはダブルプレーをし損なった反省なのか、野球帽のなくなった自分の頭をげんこつで思い切り殴りつけていた。
映像に見入っていた和泉の部員からクックッと控えめな笑い声が起こる。
まるでそれが聞こえたかのようなタイミングで、くるりときびすを返したワンちゃんがマウンド上の相原の元に、全速力で駆けて行った。
「……なーんか、敵わねえよなぁ、こいつには」
「ああ、なんでか憎めない奴なんだよな、敵なのに」
今井副将の溜息交じりの感想に、浜名主将が応える。
「それにしても、あれを取るかな」
「取っちまうんだよ、あいつは」
「恐え~な、マジで」
「おい、八木! お前あんな奴に張り合ってたんだぜ? どうよ、今の心境は」
主将にからかわれ、県大会で名誉の負傷を負ったセンターの八木先輩が、わざと包帯に包まれた腕を振り上げて喚いた。
「うっせェ! どうせ俺は並だ、身の程知らずの大馬鹿野郎だ、ほっとけ!」
「あや、こっちも恐っえ~、逆切れしてやがる」
騒々しくなった後ろとは反対に鳴り物の止んだ甲子園では、マウンドに集まった西城の選手の輪から相原が抜け出し、一呼吸遅れて何故かワンちゃんが後を追った。
「相原が下がるぜ。やっぱ怪我したな」
「なんで成瀬も行くんだ? どっか痛めたのか?」
「まさか! マウンドに一直線に駆けてっただろうが」
事の成り行きを案じつつ、肩を並べベンチに向かう二人の姿をカメラと一緒に追う。
と、ワンちゃんの頭に、落としていた野球帽が被せられた。
松谷が拾って乗せたんだ。
振り向いたワンちゃんの瞳の色が一瞬和み、驚きの後の柔らかな笑みに、わけもなくドキッとした。
「お、いい顔」
今井副将の声に相原の様子を気遣うアナウンサーの声が被さった。
心配した通り、門倉の打球を肩に受けた相原の治療の為、プレーを一時中断するようだ。
まぁ治療だけでまたマウンドに戻れるなら大した事ないのかもしれない。
フルスピードの硬球が至近から飛んで来るんだ。
実際あの距離でよくあそこまで避けたと思う。掠めただけなら……
そう考えてた先で、さっきの門倉のバッティングがリプレーされる。
それを再び見直して、どうも掠めただけでは済んでないと察し、心配になった。
画像は、その後のワンちゃんのダイビングキャッチと併殺の失敗、そして頭を殴りつけるシーンまで、完全にワンちゃんを中心に映し続けていた。
『それにしても、よくこの打球に反応しましたねえ』
『ええ。久々に身体が熱くなりました。こんなプレーが飛び出すのも高校野球の醍醐味でしょう』
『元々成瀬君の守備能力は素晴らしいものがありますし、県大会でも失策がないんです』
『ほう、それは凄い。一番強襲の多いショートでエラーがゼロとは、よほど運動神経と動体視力に恵まれているんでしょう』
『そう言えば、彼は選球眼もよかったですよね』
『それは他の選手にも言えます。表立って取り上げられてはいませんが、中々どうして、いい選手が多いですよ』
『言えてます。全打席ヒットの松谷君にしても、マスクを被る山崎君にしても、まだ二年生ですし、相原君、久住君、渡辺君にいたってはついこの間まで中学生だったんですから』
『来年以降、楽しみが増えそうですね』
『ええ、今後の活躍に期待しましょう』
テレビの画面がダッグアウトの様子を少しだけ映し、すぐにそれまでのダイジェストに変わる。
「どう思う、相原の状態」
いつものふざけた軽い雰囲気は消え去り、真剣な表情で今井副キャプテンが浜名キャプテンに問いかけた。
「さあな、微妙なとこだろう。けど無理をしても投げるっきゃねえだろ。他にいねえんだから」
「だな」
短く応えた今井副キャプテンだけど、その胸中は複雑に違いない。
ここに居るみんな、何だかんだ言っても同じ県の代表校に勝ち上がって欲しいと思ってるのがバレバレだ。
『相原君の治療が続いている西城ベンチですが、怪我の状態はどうなんでしょうか?』
『ここまで好投していただけに気になりますね。どうにか応急手当で済めばいいのですが。…ベンチからの投手交代は告げられてませんから、恐らく大丈夫でしょう』
『おおっと、田島君が再びベンチから出てきました。ですが行き先はマウンドではなくブルペンです。どうやら万が一の時に備えて再び肩を慣らす模様』
『という事は、相原君続投で間違いありませんね』
『ええ、大事に至らなくて何よりでした』
「そうかぁ? あれって絶対影響あるぜ」
今井副キャプテンが言い終わるか終わらないかで、相原がベンチから勢いよく駆け出し、その後をわずかに遅れてワンちゃんが続いた。
マウンドに戻る相原に客席全体から拍手が起こり、落ち着かない様子で待っていた野手の表情に安堵の色が浮かんだ。
『元気な姿を見せてくれました相原君に、客席から大きな拍手が起こります』
『2アウトまで来てますからね。この回0点に抑える事ができれば、今後の展開はまたわからなくなりますよ』
「続投はいいが、田島の投球練習が気になるな」
「恐らく投手の交代はあるだろう。今すぐじゃないにしても」
浜名キャプテンの呟きに、義純が答えた。
「………」
言葉もなく、マウンドに集う西城の選手を見守る。
せっかく五分五分でここまできたのに……あとたった3イニングなのに、最後まで相原で勝負できそうにないのが、自分の事のように悔しい。
再び田島がマウンドに上がった時の、試合の行方が読めてしまうから。
唇をきつく噛み締めて、やるせない思いを封じ込めた。
俺が動揺してどうする!
一番ショックを受けてるのは、この向こうにいる西城の仲間達だ。
頑張れ! みんな。
頼むよ、ワンちゃん。
せめて、相原の受けた痛みのほんのわずかでもいい、門倉に一矢報いてくれ!
そう願う俺はいつの間にか相原と同化し、心はそのマウンドに飛んでいた。
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