3. 拓也とパン屋の元カレ、そして今カレ (拓也side)

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3. 拓也とパン屋の元カレ、そして今カレ (拓也side)

 金属ケースにみっちり生地の入った食パンを、金属トレーに何個も載せて運ぶ。焼き窯は百度以上。大変な肉体労働を同年代の男が黙々とこなす姿が印象に残った。重い物を持ち上げる腕の筋がセクシーだ。  ある日、作業場が定位置の彼が偶然レジに出てくれ、俺は声を掛けた。 「君の作ったパンはどれ?」  彼はバンビみたいな目をぱちくりして、はにかみながらバゲットを指差す。 「俺、一人暮らしだから一本は多いかな」 「でしたら、バケットを使ったサンドイッチとか」  パンを受け取る時、指が触れた。怯えたように見上げる仕草が可愛い。俺は彼に恋をした。毎日のように店に通い、彼を口説き落とした。  可愛い顔と、それに似合わない肉体労働で鍛えた頑丈な身体。彼のメンタルは身体に近かった。つまり、意志が強く諦めない。独立が夢だと最初から聞いていた。店主が高齢で引退するパン屋物件を居抜きで借りられる話が来た時、俺は迷わず背中を押した。 「今がチャンスだ」って。  できることはそれほど多くは無かったけど、会社設立や開業の手続きとか店舗立上げの準備は俺も喜んで手伝った。  でも、一国一城の主になった彼と、中堅と呼ばれ始めたサラリーマンの俺。  生活のリズムも違えば、背負っている責任も違う。 「風邪引いたって店を閉めるわけにいかない」  彼は修業時代にもましてストイックになった。前に進んでいく彼に、俺は引け目を感じるようになった。俺の意見をやんわり遠慮がちに否定されると、ダメ男扱いされているようで、非難されているようで、きつかった。彼のせいではないが、俺たちは次第にすれ違うようになっていた。  会社でポカミスをやらかした俺は、上司からこってり叱られ凹んでいた。そっと焼き菓子を差し入れてくれたのが、隣の席だった今カレだ。 「誰にでもミスはありますよ。拓也先輩、俺のミスも何度も庇ってくれたじゃないですか。今回は、たまたま運が悪かったんですよ。おいしいもの食べて元気出してください」  優しく、あるがままの俺を受け入れてくれる今カレに、ぐっと来た。  数日後、焼き菓子のお返しにとパンをあげたら、目を丸くして感嘆の声をあげた。 「うまっ! 拓也先輩、これ、うまいっす! え、ちょ、これ、どこで買ったんです?」 「友達の店のなんだよ。気に入った? また持って来るよ」  カレシの店だとは言えなかった。その時もう俺の心は変わり始めていたから。 「別れて欲しい」  パン屋の元カレに俺がそう告げた時、彼は何も聞かなかった。一瞬開きかけた口をきゅっと横に引き結んで一言だけ。 「分かった」  いや、確かに俺はもう他の男に心変わりしていたようなもんだったけどさ。でも、今カレに告白してはいなかったんだよ。性格的に追い縋ったりしないんだろうなぁと予想してはいたけどさ。全く引き止められないってのも、それはそれで寂しいもんだぜ。  別れた後もパン屋に行ったら、元カレは驚いてた。 「今カレが、お前のパン好きなんだ」  それは本当。お前が焼くパンは美味かった。その俺の胃袋を手料理で掴んだ今カレだ。舌は肥えている。当然、お前のパンも気に入っていた。 「なんてデリカシーのない男だ」  元カレだけでなく今カレからも、バレたら非難されることは分かってた。  だけど、恋人同士としては俺たちはダメだったけれど、帳簿とか見てたから、パン屋の経営が大変なのを俺は知っていた。友人として、元カレを少しでも応援してやりたかった。でも自分から別れてくれと言い出した俺が「応援したい」だなんて言えた義理じゃない。お前に気を持たせるわけにはいかない。今カレにも失礼だ。 「元カレの店で今カレにお土産買う男ってどうよ」  案の定、今カレに速攻で叱られた。しかし元カレの粋なフォローで救われた。  二人の男の優しさで、俺は何とかなってるようなもんだ。改めて新旧の恋人に心の中で感謝した。本当に、ありがとう。
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