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「とにかく邪魔にならない様にしてよ。全く鬱陶しいったら....あ!来た」
予定時間より大幅に遅れて来た母の恋人がインターホンを鳴らした。母は慌てて前屈みになると黒いストッキングの弛みを伸ばす。
今度の恋人は親子程の年の差がある若い男だ。その清潔感漂う端正な顔立ちに母性本能でもくすぐられたのだろう。
色恋に泥酔した時の母はいつも私を酷く苛立たせる。力を込めたペン先が『H』の文字の中心を歪ませた。
一週間後、母の例の恋人は私を抱きしめて劣情を催していた。
灯りを消したワンルームの薄闇の中で男は私の長い漆黒の髪を愛おしげに撫でている。
カーテンの隙間から漏れる眩い街明かりが彼の上質なシャツの襟元と柔らかな髪の後頭部の輪郭を照らしだす。
こんなものか。母が執着する煌きは想像よりも霞んで見えた。
私は華奢な男の肩に脱力した顎を乗せた時、ふと思いついた。母はこの男を永遠に失ったら一体どうなるのだろうと。
私の脳裏に一筋の何かが煌めいた刹那、窓の外を横切るサイレンの一閃の光が私の顔を深紅に染めあげた。
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