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さながら足元を照らす歩道灯のように光るそこには、財布が一つ落ちていた。
何の変哲もない、ただのがま口財布だ。
勿論、これが光源だということを除けば、だが。
それを彼女が拾い上げようとした時、異変は起きた。
「やあ、何か用かな?」
喋ったのだ、財布が。
僕らは硬直した。
がま口の口金を奇妙に、まるで人の口のように歪ませるそれは、流暢に言葉を発した。
「どうしたの? 気分でも悪いのかい?」
ある程度お金の入ったそれは、その重みからか自立しており、話す度小銭の擦れる音がした。
「あなた、喋るのね」
彼女は喋るがま口財布と視線を合わせるように身を屈める 。
……視線って何だ。
彼女の所作があまりに自然だったから、僕もつい財布を擬人化してしまった。
「ああ、話せるよ。君と同じだね」
「そう、だね。ねえ、あなたに聞きたいことがあるんだけど」
「うん、何だい? 何でも聞くよ」
この財布は、随分と気前が良いらしかった。
「あのね、ここはどこなの? 私たち、気がついたら、というより、目が覚めたらここにいたの。あなた、何か知らない?」
質問を終えた彼女はその後、事の顛末も説明した。
財布は静かに聞いていた。
「なるほど、それは大変お困りのようだね」
独り言つように財布は頷く。
「まず一つ、先輩としてアドバイスをしよう。ここから帰れると思わないことだ」
「え、どうして?」
彼女が訊く。
「僕も君たちと同じだからさ。ある時気がついたらここにいた。それ以前のことは何も覚えていない。ああ、君にはその記憶があるんだったね、すまない。けど、同じことだよ。結局ここから、出られないのだから」
「どういうこと?」
「そのままの意味だよ。ここは誰かの《箱》の中で、箱の主が僕たちを閉じ込めたんだ。だから、そいつの気が済むまで、ここから出ることは出来ない」
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