7話

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7話

「俺、男ですよ」 「そうだねぇ。君が女の子だったら、こんな風には思わなかったかもね」 「それって……」 「僕の恋愛対象は、男の子だから」 「あ、そう……なんですね」 「驚いたり、引いたりしないんだ?」 「驚いてはいますよ。でも、誰を好きになるかは、自由だと思うので」  士朗と雪哉がいなければ、そう簡単に考える事もなかったかもしれないが、今は本気でそう思っている。  二人が幸せそうなのを、間近でずっと見ているからかもしれない。ただ恋愛対象が異性か同性かで、偏見を持つ理由にはならないと知っているだけだ。  だがそれを、自分向けられる日が来るとは思ってもいなかったから、その点では大いに驚いている。  憧れの人が、平凡な自分に対してそういう感情を向けてきたという事実に対しても、同様だ。 「その感じだと、敏之くん自体はこっち側じゃなさそうだけど……雪と友達やってるから、理解があるって事かな? 可愛くて格好良くて優しいとか、ほんと完璧」 「う、わっ……」  とうとう待ちきれなくなったのか、隆宏が広げていた手で傍に居る敏之の両手を力強く引っ張った。  突然の行動に踏ん張りきれず、敏之は隆宏の上にぐらりと傾き、隆宏の望み通りその膝の上に、身体ごと落ちてしまう。  慌てて立ち上がろうとするが、既にぎゅっと抱きしめられていて、身動きが取れない。 (何だこれ、何だこれ、何だこれ)  自分の身に何が起こっているのか、理解が追いつかなくて、ただ疑問だけが頭の中でぐるぐる渦巻く。  雪哉の代わりに、バイトに入っただけのはずだった。好きなゲームの開発者は敏之の憧れで、士朗が寂しがっているからだけじゃなくて、交代する事で少しでも関われるのなら、自分にもメリットがあると思った。  だけどまさか、こんな事態になるだなんて、予想出来るはずもない。 「嫌?」 「嫌、ではないですけど。混乱してるというか、何で俺? っていうか」 「うーん、簡単に言うと一目惚れかな? 雪に聞いてから、君の事は気になってはいたんだけど、実際会ってみたら想像以上に僕の好みだったんだよね」 「その……男なら、誰でも良いって訳じゃ」 「ないよ。それはない。急に初対面の僕にこんなことされて、信じられないかもしれないけど、流石の僕でも普段は職場で、こんな事しようとは思わないかな」  大分テンション上がっちゃってるよね、と笑う隆宏の息が耳にかかってくすぐったい。驚きは確かにずっと続いているのだが、不思議と嫌悪感は湧き上がっては来なかった。  「隆兄さんには気をつけろ」と言った、雪哉の忠告が頭を過ぎる。  敏之のことを隆宏に話していた雪哉は、今のこの事態を予想していたのかもしれない。  心配そうにそう言ってくれたという事は、隆宏は恋愛事に関しては軽いタイプなのだろう。じゃないと「流石の僕でも」という枕詞は普通出て来ない。  つまりあまり本気にしては、痛い目を見るというのと同意だ。だが隆宏の腕の中は思いの外心地よく、初対面の憧れの人を前にどうかと自分でも思うものの、何だが落ち着くと感じてしまうのはもう手遅れだろうか。  敏之は同性愛者ではない、はずだ。今まで男性を好きになったことはないし、いつも目で追うのは可愛い女の子だった。  だが士朗と雪哉の例もある。人よりそういう意識のハードルが低いのは確かだろう。  とは言え今まで恋愛対象として見てきたことのない男の人を、しかも初対面かつ憧れの人を前に、早々簡単に恋に落ちたりはしない。  だからこそ、この安心感は不思議な感覚だった。普通ならがっちがちに緊張するか、嫌悪感を抱いてもおかしくない状況なのに、どちらも全然湧き上がって来ない。  言うなれば、相性がいいのかもしれない。  士朗と居る時の様な、気兼ねない友人と居る安心感とはまた違う、緊張しているはずなのに、一緒に居てほっとする雰囲気が隆宏にはあった。 「あの、俺は……よくわかりません」 「いいよ、今はそれで」  すみません、と謝ろうとした言葉は、そっと唇を指で抑えられて止められた。  至近距離で目が合った瞬間、ぶわりと突然照れが来る。顔を赤くした敏之に、隆宏が「満更でもなのかな?」と呟いてにっこりと笑った。 「隆宏、さん……?」 「抱きしめられるのは、嫌ではないんだよね?」 「はい、それは……大丈夫です」 「じゃあ、もうちょっとだけ試してみない?」 「え?」 「敏之くんが、嫌だって思ったらすぐに止めるよ。約束する」 「それは、どういう……っ、ぁ」  優しく笑っていたはずなのに、隆宏は獲物を完全に捕らえた真剣な目をしていて、何かを間違えてしまった予感が走る。  次の瞬間、至近距離の視線は影となって、敏之に覆い被さっていた。唇に、先程の指とは違う温かくて柔らかい感触が重なる。  触れるだけですぐに離れたそれが、キスだと理解するよりも早く、敏之は緩んだ腕から逃れて、今度こそ隆宏から離れた。  何が起きたか頭が理解する前に身体が後ずさるが、すぐに部屋の壁に背中が触れて行き止まる。  くすりと笑いながら立ち上がり、ゆっくりと敏之に近付いてくる隆宏の足音だけがやけに大きく響いて、人ひとり分の間を空けて隆宏が立ち止まった気配がした。  先程よりもずっと、顔が真っ赤になっているだろう敏之の、俯いている頭上から声が落ちる。 「嫌だった? 気持ち悪い?」 「…………」  嫌じゃなかった。気持ち悪くなんてなかった。  それどころか優しく触れた唇は気持ちよくて、もっと触れていて欲しいと思ってしまった。  けれどその言葉は、戸惑う気持ちとの狭間で声にはならず、ただ小さく首を横に振るので精一杯だ。  だが隆宏にはそれで十分だったらしい。「よかった」と安堵した声と共に、敏之の頬に隆宏の手がゆっくりと触れる。  その手に導かれるように顔を上げさせられたその先で、視線が絡み合うと同時に、隆宏は敏之との間にあった空間の最後の一歩を詰めた。
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