冷たい血

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自分で言うのもなんだけど幼少の頃はまだ少しは可愛げがあったとは思っている、その頃は父がLEDの開発で会社を大きくしていった時期でそれなりに裕福な生活で習い始めたピアノが楽しくて家で母に聞かせたりしていた。 年相応に無邪気でそれなりのわがままも言う子供だった記憶がある。 そんな私がこんなにも冷淡になったのは父の身勝手な二つの行いより他ならなかった。 まずは中学二年の時ずっと続けていたピアノを強制的に辞めさせられ進学する高校を決められたこと。 一人娘だった私に後を継がせようと考えた父は地元の工業高校に入学させる事に決め、修行だと言ってピアノの時間を工場の手伝いに当てる事まで勝手に決めたのだ。反発したら手をあげられて不満ながらも諦めるしかなかった。 嫌々ながらに通う様になった父の工場、そこで出会ったのが技術責任者の柏原睦男さんだ。 この人のおかげで私は父の会社に入ったぐらい睦男さんには電子部品の中の楽しさを教えて貰った。 嫌々に来ていた経緯は母から聞いていた睦男さんはまず私にスピーカーの作り方を教えてくれた。 手作りで作る簡単なものだったが素材や繋ぐ部品一つで全く違う音がする事が驚きだったのと、そのスピーカーを使って色んなピアノ曲を流して実験するのが楽しくてすっかり私は夢中になっていた。 幸いその頃父は新しく建てる工場にかかりっきりで家にもいない事が多くて睦男さんの教え方に口出しすることもなかった。 工場の社員さんやパートさん達にも色々教えて貰って嫌々ながらに始めた工場の手伝いも楽しい物に変わっていった。 父の言いつけ通りに地元の工業高校の電子科に進学したお祝いに工場の皆が工場の奥の倉庫にこっそりピアノを用意してくれた時は本当に嬉しくて毎日工場に通った、工場なら社長にもばれないだろうと考えて率先して準備してくれた睦男さんには何度もお礼を言った。 一度はひねくれた私だったが睦男さんや工場の皆さんといる中で大分直っていった。 そんな嬉しい時は僅か二年ちょっとで終わってしまった。 母が交通事故に巻き込まれて帰らぬ人となってしまったのだ。暴君な父との間に入って私を庇ってくれる優しい母で工場の皆も悲しんでいた、突然の別れに私は数日泣き過ごしてまともにご飯も食べれないほどショックだった。 そして決定的な事が起きた。 葬儀が終わって納骨を終えたばかりの時話された内容は理解出来ないものでしかなかった。 「涼音、実はお前の弟になる子がいるんだ。」 「え?」 「お前もお母さんいなくなって困るだろうから、その弟とそのお母さんを呼ぼうと思うんだ。」 母がいなくなってショックが癒えていない私は本当に話が理解出来ていなかった、父から「いいな?」と言われて頷いたけれど何で頷いたのかと聞かれたら自分でも分からない。 ショックの中で茫然自失だったとしか言えない。 それからすぐにりつ子さんとその連れ子で私より二つ年下の翔太郎が家族として家にやって来た。 私は作った笑顔を貼り付けて二人を迎えた。その時私は自我を捨てた、もう何をしようと私の思う事など出来ない、私の人生は私のものじゃないと人生を諦めた。 翔太郎が家族になったから後は翔太郎が継ぐと言われても、 会社の経営の為に大学ではマーケティングを学べと言われても、 会社に入社してから他の企業とのパイプを作るために人事交流として様々な企業へ行くことになった時も、 何一つ反発することなく父の言うことを従順に聞いて聞き分けの良い人材と化した。母がいなくなってしまった事に加えて父が心底どうしようもない人間だと分かり考える事が面倒くさいとなったのが大きな理由、このまま言う事きいていれば家庭に波風立たずにりつ子さんや翔太郎も平穏に過ごせるだろうと考えた。 もう余計な事を考えたくなかったのかもしれない。
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