議題

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議題

何かの討論をする場合、議題が必要である。当然問題意識を掲げている人がその仕切り屋を任される。昔、愛ってなんですか?という議題を障害者としたことがある。精神疾患の方方と。僕は、彼らがまず、愛という言葉の意味さえ知らなかった事に驚きを隠せなかった。ある人は、国語辞典を取り出し、愛の意味を読み上げている。しかし。ソレを聞いても僕には意味がわからなかった.愛とは何か?昔仲良かった人は、好きなアニメなどの趣味と、人を好きになるとは、意味が違うと言っていた。よく、樹木図等、関連付けされて、ソレが繋がっている、そう言う相関図が有名だが、それとは無関係に、人は好きになったら、そこには、その人の嗜好、趣味等は、スッパ抜けて、理屈抜きにこの人を愛する様になるのだろう、ソレが彼の言いたかった事だと私は勝手に解釈した。私は哲学者だとヴィトゲンシュタインが気になる。彼の有名な、言語ゲームという言葉は知った当時、意味がわからなかったが、その言葉だけが、気になってずっと、頭の片隅に置かれていた。最近になって、意味を調べてみた。それは、自分の中の世界を人に伝えようとする場合、それを万人に通じる様にする目的の困難さ、苦労さを彼は、問題視していたのだ。僕のいうことを理解されたいと願うのは、承認欲求の地獄である。わからせたい、その気持ちが満たされる事は残念ながら、僕には永遠に解決しない命題である。認められたくない、精神的疲労が、困憊している。休んでも解決しない。それはSNS情報過多で、逆にその世界から離れたほうが良いと警告しているのか?とも考えた。だが、僕は今の人間たちが問題視する命題が、点でバラバラな点に着目した。それぞれが、それぞれの、自分の中で辛い境遇を解決したいと願っている。しかし、その問題は他人にとっては、どうでも良い問題だったりして、向き合えよと言うのは、押し付けがましいし、烏滸がましい。その問題は他人にとってはどうでも良い事なんです。我々は自分の悩みの中で眠れない夜を幾度も、繰り返している。君の抱えた問題からは永遠に逃れられやしないんだ。僕の中で、自分の信念に置いている価値観だ。一人の問題に、他人が向き合うのは、よほど人が良くないと出来ない。僕は、彼の誹謗と言う痛みが分かるから、向き合えるし、気持ちがわかるし、愛せる。その悩みは、僕がずっとSNS環境のメディアリテラシー問題に重きを置いていたから、彼らの苦悩の日々を、自分もなんとかしたいと思っていた。そうやって、追い詰められている人達がこの世界から、消えていくのは、悲しかった。怖い人達に怯えているのを耐えて、従っているのは見てして忍びなかった。見るのが苦しかった。言いたいことが言えないこんな世の中は、マジでくたばれ、そんな気持ちで生きてきた。ソレが言えるように、なることのみが僕の抱えてきた悩みだった。対等になる。それが1番の課題だったのだ。達成した今は、他人の悩みは他人事に見えて仕方がない。その悩みは貴方自身の問題である。その線引きが出来ないと、人は心を病み、そして息が止まる。気をつけねばならない。それは深刻な問題なのだ。許せないと言う正義感こそが、1番の僕の敵ではないだろうか。その正義は本当に正しいか、自分の胸に問えば、人々は自ずと私が答えずとも、察せる様になるだろう。眠れない夜に、貴方が眠れる様に祈りを込めて。この世界の人々を愛しています。
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