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「…で、おれの声を聞いたと」
「はい…」
「それで何か様子がおかしかったのか。他には?」
「何にもないです…」
結局洗いざらい白状してしまった…。
もう手は掴まれてないとはいえ、何かに捕まっているような感覚は残ったままだ。
そして恐らくその元凶…じゃなくて原因である金色の瞳は、じいっと俺を見つめている。
暫くの沈黙の後、ナズナは徐に寝室に向かった。
やっぱり怒ったのだろうかと心配したのも束の間、彼は手に何かを持ってすぐに俺の前に戻ってきた。
そうしてその何か…スマホを俺の前に見せて薄い唇を開く。
「もしかしてユウガが聞いたの、コレじゃない?」
そう言ってナズナはスマホを操作し何かを再生した。流れてきたのは音声だ。
『悪いけど、おれに話し掛けないで』
「え」
「うん」
昼間に聞いたのと同じ台詞、同じ声…。
きょとんとして彼の顔を見ると、ナズナはこくりと頷いた。えと、どういうことだろう?
「今のって…?」
「録音したおれの声。言ってなかったんだけど、ユウガが居ないとき、たまーにコレ使ってる」
「え、そう、なの」
「まだユウガに出逢う前に録った。他にもバリエーションあるよ」
「そっか。そう、なんだ」
「…黙っててごめん」
「いやそれは全然、いいんだけど…。俺はてっきり、昼間も話せるようになったのかと」
それか、お前に嘘吐かれてたんじゃないかと…。
おかしな体質がなくなって良かったな、じゃなくて。真っ先にそんなことを考えて落胆してしまった自分に辟易する。
結局俺は、ナズナの役に立ってる自分というやつに心酔していただけなんじゃないだろうか。
ナズナは真剣に悩んで苦しんできたかも知れないっていうのに…やっぱり我ながらめちゃくちゃ最低じゃないか?
例え嘘を吐かれてた訳じゃないって分かったとしても、ナズナより自分のことばかり考えていた自身に失望した。
この期に及んでまだ、嘘じゃなかったことに喜んでいるなんて…。やっぱり俺、最低だ。
ナズナの傍に居る資格なんて俺には無い。
やっぱり、俺は…。
「あのさナズナ、」
「ねぇ、ユウガって犬好きでしょ?」
「………え、いや、好きだけど。なんで今」
俺の言葉をわざわざ遮ってナズナが言う。
いつもなら俺の話を遮ることなんてしないのに、本当にどうして今。しかも犬?
「やっぱりなぁ、分かりやすいもんなぁお前」
「なに、なにが?」
「おれはさ、ユウガがおれを助けてくれるのめちゃくちゃ嬉しいんだよね。本当は自分で何とか出来ることだとしても、わざと助けてもらわなきゃいけないみたいに振る舞ってた。ユウガは絶対来てくれるって分かってたから」
「なんで…そんなこと」
「優越感。と、愛されてるっていう実感」
「…?」
「ね?おれって最低でしょ」
「そんなの、俺の方がっ!」
「ユウガに嘘は吐かない。これは絶対。だけど、」
『真実を言わない』ってことはするよ、と。
今まで見た中で恐らく最も美しく、ゾッとするような笑みを湛えて彼は笑った。
細く歪んだ黄色の奥にまた光る、鋭い何か。
人の身動きをいとも簡単に封じてしまうその魔力に捕らわれて、また何も言えなくなってしまった。
こいつは何を言ってるんだろう。
優越感?愛されてる実感?俺に助けられて嬉しい?自分は最低?何でそうなるの。
つまり…どういうことだ?何を言いたい?
数秒思考を繰り返してから、先ほど言われた言葉を思い出した。
『犬は好きか?』と。
確かにそう訊かれた。
思えば話せない間のナズナは、夜の本来の姿と違ってどこか子犬のように見えることがあった。その姿に、正直何度も絆されてしまったこともある。それは…そんな風にして振る舞えば、俺が断れないと分かっていてそうしてたってこと?
それで俺に助けられて、愛されてるって実感して、そんな自分は最低だって。
何言ってるんだ、こいつは。
真実って、そういうこと?
まさかとは思うけど、そういうことなの?
「ナズナ」
「はぁいー」
「お前、馬鹿なの?」
「えぇー?」
「いや、そんな風に思ったことなかったんだけどそうなのかなって」
「初めて言われたぁ」
「そっかそっか。馬鹿だったのかぁ」
「馬鹿に言われたくないな」
「じゃあ俺たち、二人とも馬鹿なんだな」
「おれは違う。って言いたいけど…。まぁ、そうかもなぁ」
「………」
「………」
え、なにこの沈黙。
馬鹿って言ったのそんなに怒った?いやいや、そっちも言ったくせに。
じゃあどうしてこんなに黙ってるんだろう。折角話せる時間なのに。
彼も俺も、何も言わない。
こいつと同居してから…いや、こいつと出会う前まで一人暮らしはしていたのに。
何も喋らない夜がこんなに静かだなんて知らなかった。
間近で見るナズナの瞳の奥に、花が咲いているなんて知らなかったな。
………?ん?
それにしてもなんか、近くない?近すぎじゃな…い…?
「え、ふぁっ!!?」
「うっさ。近くにひとが居ること忘れないで」
「ちが、今、なんで」
「なにが?」
きょとん、と首を傾げるとこいつは幼く見えるなぁ。髪がさらさらと頬にかかる。
除けてやらなくちゃ…じゃなくて!
「あの、あのな…?ナズナは知らないかもしんないけど、友達同士では、その…唇にキスは、しないんだよ?」
「するよ?」
「え?いや、しな」
「するよ」
あ、圧…。
いや、ふざけてすることはある…のか?
でも今のってそんな空気だった?仲直りのノリ的な…?
「仲直りのノリじゃないよ」
「エスパー!」
「だからぁ、夜に出す音量じゃないってば」
「じゃあ、なんで」
「聞きたい?」
ゆらりと揺れた黄金が、また視界いっぱいに花開いてはぼやけてしまった。綺麗なのに直視できない。
太陽みたいって言ったら、こいつは怒るだろうか。
太陽に嫌われているみたいなこと言っていたのに、太陽みたいだなんて。
だけど他に形容できないくらい、綺麗なんだ。
「え、てか二回した…」
「ユウガくんさぁ、目は閉じるもんだよ?」
「は?いやいや、それどころじゃな、んむっ」
「まぁいいけどね、慣れてくれれば」
俺が変な声を出したのは三回目のキスが降ってきたからじゃない。片手で頬を掴まれたからだ。
おかげで変な顔になっちゃうし、口から空気が漏れる音もした。何だかさっきのキスより恥ずかしいんだけど!
「んーん!んぅっ!」
「はいはい、離す離す」
パッと手が離されると、顔が自由になった。むにむにと自分の頬の形状を確かめる。あれ、ちょっと太った?
「ねぇユウガ」
「なにナズナ」
見上げると、いつもの飄々とした顔。に、ちょっとだけ歪んだ眉。
泣いてるのかと思った。だから無意識にその頬に…彼の顔に手を伸ばしてしまった。
その手は顔に辿り着く前に容易く掴まれて、指の間に俺のじゃない指が滑り込んでくる。
きゅっと握られたその手は、きっともう離されることはないいんだろうな、なんて。
馬鹿な考えが過ったのはきっと彼のせい。俺の目の前で満開に咲いたこの美しい男のせいだろう。
「あのね」
「うん」
「これまでずうっと真昼間が怖かったけど、ユウガのおかげですきになれそうだよ」
ほんのちょっと、ちょっとだけ。
そう言って、ナズナはふわりと微笑んだ。
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