零話 僕の人生、1日目

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零話 僕の人生、1日目

 座り心地が良すぎる蒸気人力車のせいで、僕は全く落ち着けていない。  今年で十六年目の人生だけど、こんなに座り心地の良い場所に座ったのは生まれて初めて。それに、いつも僕が乗っている蒸気人力車には屋根なんてないし、個室にだってなっていない。  人間が走らせてはいるけれど、これはもう自動車といっていいのでは……?  蒸気を上げながらトンネルの中を走る人力車の窓に、僕の顔がうっすらと映る。  出口の光りが、母譲りのブロンドを白く染める。  僕は思わず目を細めた。  広がった景色が眩しすぎたからだ。 「……うわぁ……これが蒸気街(じょうきがい)……すご……」  僕は圧倒されてしまう。  世界が羨む北海府(ほっかいふ)・蒸気街。  広大な十勝平野を飲み込むように広がるビル群が、まるで映画のワンシーンのよう。  十勝晴れ。母の声がふと聞こえてくる。  十勝は日照時間が長く、晴れの日が多い。  カラッと快晴の日を十勝晴れと呼ぶのだと、教えてくれたのを思い出す。 「わー……ホントに空って青いんだ……あー……あの、たっかいビルに何百の人がいるんだよね……ぜんぜん想像できない……」  なぜなら僕が十五年間過ごした迷路街(めいろがい)は、()()()()。  空など見えず、電気の光しかない。  さらに蒸気石を採掘する度に階層が増えていく地獄の穴だ。  僕はそんな迷路街(混沌)のなかをただ、……そう、()()、生きていた。  だけれど、今。  世界の憧れのこの街を、あの香煙(こうえん)家専用の蒸気人力車で走り抜けている今───!! 「……夢みたいだ……」  流れていく景色を見てから、改めて車内に視線を広げた。  外装も内装もすべて赤だ。  なにより専属俥夫(しゃふ)(パワードスーツ)が赤い……!  初めて見たよ、俥夫の鎧が赤なんて……。  さらに、あの機動重視の鎧が、隅から隅まで漆塗り。もったりとした重厚感のある赤が日差しに照らされ、鈍く光っている。  その高級鎧には、関節ごとに純度の高い蒸気石が填め込まれ、あれほど上質な蒸気石なら二十四時間連続で使用したって、丸三日は保つだろう。  俥夫にまで一級品の蒸気石が渡されてるってどういうこと?  蒸気街には、そんな蒸気石がそこらへんに転がってるの?  採掘してるのは迷路街なのに……?  明らかに違う貧富の差を感じながらも、僕はたった今、その恩恵に預かっているわけで……。  時折吹き出す蒸気の音を聞きながら、明るすぎる蒸気街を横目にため息をつく。 「……なんで、僕の制服も赤いんだろ……」  詰襟の学生服にもかかわらず、上下そろって赤色。  さらに金の刺繍が施された肩章と、胸には略章という小さな四角いバッチが二列並ぶ。  肩章から第二釦にかけて金紐がさがっていて、これにも意味があるよう。  だけど、僕はそんなことより、普っ通の黒い学生服が着たい。  これじゃ、嫌に目立つじゃないか……。 「あまりソワソワするな。落ち着きがないぞ、ハヤブサ!……あー、その略章か? それほど着けてる者は学園内でもハヤブサ以外いないだろうな。胸を張っていいぞ! 隠密を目指すのだから、箔がないとなっ!」  今日から僕の(あるじ)となる香煙 朱(こうえん あや)だ。  僕と同じ高校一年生にはまるで思えない。  理由は、大変小柄で、華奢。そのせいで幼く見えるからだ。むしろ小学生といってもいいぐらい。  それと真逆にあるのが、彼女の胸……。  今も僕に振り返っただけで、たゆんと揺れている。 「どうした? ボクの胸が気になるか? ん? どうだ、ハヤブサ! 今日が門出だ。少しぐらいなら触らせてやっても良いぞ?」 「それ、ハリボテじゃん……」 「なにを言う! ほら、触ってみろ!」 「……え、じゃぁ……」  わきわきと手を伸ばすと、さっと身を翻した。 「や、やっぱりダメだ! ま、まだお前には早いっ」 「なら、別にいいです」 「地味に傷つくぞ!」 「いやいや、僕、言ったじゃない。僕はスレンダーなボディが好きなんだって。……こう、影で戦う隠密だからこそ、凹凸のない体を目指していながらも、でもやっぱり少しは胸があったほうがいいかなぁって悩んでる感じが、本当に、胸キュン……!」 「後半はほぼ妄想だなっ!」  朱は胸を乗せるように腕を組み、足を組み直した。  さすが、香煙家当主候補! 態度はLLサイズ。  プラス、見た目の割に声がデカい。  高確率で語尾に「!」がつく。だいぶこの声の大きさには慣れてきたところ。  そんな彼女に、僕は今日から側近として生活することになる。  一番最初に彼女から与えられたのは、側近としての名前だ。  (しゅん)だから、ハヤブサだそうだ。  うわぁ、安直すぎ……!  改めてセンスがないと朱を見ると『あまりはしゃぐな』とでもいうように、にこやかに笑っている。  まるで子犬が散歩の前にはしゃいでいる、そんな雰囲気だとでも思ってるよう……。  全く違う。そうじゃない。 「ね、なんで朱の制服は黒なのに、僕の制服は真っ赤なの? しかも人力車まで赤いし。もう目がチカチカするんだけど……」 「ハヤブサよ。この色はな、この国を、この世界を支配する色だ! 崇められても貶されるいわれはないっ! さらに赤ではない。朱色だ! よーく覚えておけっ!」  朱は短くなってしまった髪を撫でて耳にかけなおした。  腰まであった大切な髪が、肩よりも短くなってしまったのは、僕に原因がある。 「それはわかったけど。……ねぇ、やっぱりさ、僕が本当に側近で大丈夫? 心配になってきた……。だって僕なんて」 「うるさい! この香煙当主候補が決めたことだぞ!」 「候補がなに? 当主じゃないじゃん。だいたい、僕は迷路街出身だし、教養もないし……たまたま蒸気石の加工センスはあるみたいだけど……でもだって、それだけだし……」 「あーまた始まった! デモデモダッテ! あーうるさいっ!!」  朱はずいっと僕に顔を寄せる。  僕の青い目を見透かすように、見つめてくる。  鼻先まであった前髪がないせいで、朱の顔がよりはっきり見えてしまって、それがこそばゆい。 「ハヤブサよ、道は前にしかない。後ろを見ても結局それが前だ。ただがむしゃら走れ! 隠密への道は前にあっても近くはないぞっ!」  アーモンド型の、朱の(あか)い目に、寝ぼけた顔の僕が映る。  ───そう、僕は、死ぬことをやめた。  この国を他国のスパイから守るための隠密集団、御煙番(おけむりばん)になるために、僕は『生きる』と決めたんだ。  これは朱のためじゃない。  僕自身のためだ。  僕のために、僕は朱の側近になったんだ。  ───世界の掃き溜めと言われる迷路街で、僕はただただ絶望の底にいた。  夢を諦めさせられ、目を開けている間、ずっと死に方を考えていた僕。  そんな僕が、どうして生きようと、前に進もうと激変したのか。  これを語るには、ちょっと時間を遡らなくちゃいけない─────
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