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ある英雄の死
「おい爺、その酒は本物か?」
露店に置いてある酒などそのほとんどが密造酒だ。軍服を身に着け腰に物騒な軍刀を下げたその男は胡乱気な眼差しを店主に向けた。
「おお、お目が高い。これは正真正銘本物の酒でございます。先日一本だけ入手しましてな。何でもとある国の……」
「ああ何でもいい。それをもらおう」
店主は喜んで酒を差し出し代金を払おうとした男の手を押しとどめた。
「お代などとんでもない。お国のために働く軍人様に飲んでいただけるならこの酒も本望でございましょう」
あからさまなおべっかに男は「ふん」と鼻を鳴らすがまんざらでもなさそうだ。
「なぁそこにいるのはお前の娘か?」
男の視線が店の奥に座る一人の娘に向く。この辺りでは珍しく雪のように――この地域にもたまに雪が降る――白い肌に夜の闇を思わせる艶やかな黒髪。まだ十代前半だと思われる少女だ。
「いえいえ、拾いものでございますよ。戦争で親兄弟を亡くしましてな。引き取ったはいいものの私も余裕のある生活ではありませんでいささか困っておるんですわ」
店主の言葉に男は相好を崩す。
「それはお前も困っておるだろう。どれ、酒の礼だ。俺がもらってやる」
「まことでございますか! 何と親切な軍人様でしょう。お前も幸せ者だ。さ、行きな」
店主は少女を引っ張り上げて立たせるとドンと背を押す。少女はよろよろと数歩進んで男を見上げた。不思議な色の瞳をしたその少女はうまく口が利けないのか、うう、と低く呻く。
「またひいきにしてやる。さ、行くぞ」
男は少女についてこいと合図し意気揚々と歩き始めた。
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