明日晴れなくても(14)

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「それにしても、宝積寺さん家は凄かったわね~」  昼休み、いつものメンバーで昼食を取っている最中に舞依はそう言って突然恍惚の表情を浮かべた。 「もう、マイちゃんったら、いつまでその話するんだよぉ~。もう三日連続だよ~」  素子がシナモンクラップフェンをかじりながら照れくさそうに笑った。 「宝積寺さんの顔を見てるとつい思い出しちゃうのよね。だって本当に凄かったんだもん。私あんな豪邸に行ったの生まれて初めてよ」 「豪邸だなんて大袈裟だよ。私の部屋は普通に六畳しかないし」  確かに素子の部屋は六畳だが、それ以外の部屋はどれも間違いなくそれよりも広い。部屋数も多く、素子の家へ行く度に迷子になりかけた。 「トイレなんかさ、あんまり広すぎて落ち着かなかったわよ。外からノックされてもドアに手が届かないくらい離れてたわ」 「え~、大丈夫だよぉ」  素子が大丈夫と言っている理由は、宝積寺家では家族ごとにトイレがあるからだ。両親が使うトイレと素子が使うトイレがそれぞれ部屋の近くにあり、よほどのことがない限りトイレでバッティングするようなことはない。さらに使用人やSP達のトイレも別にあるという。 「最初に通された客間なんて、どこかの高級旅館のロビーみたいだったわ」  大抵私達は真っ直ぐ素子の部屋に通されるので、客間を使ったことがなかった。あまりに広すぎて落ち着かなかった舞依の気持ちは私にもよくわかる。私もそうだった。 「何と言っても、庭が広すぎよ。門をくぐってから家までどれだけ走れば着くんだろう、って思ったわよ」  通りから入って大きな門を抜けてもしばらく林道を走り小川を超えないと母屋には辿り着けない。その間目に入る周囲の林や道路と併走する小川はすべて宝積寺家の私有地だ。  小川は庭園の池まで繋がっていて、その池には時価総額数百万は下らないであろうたくさんの錦鯉が泳いでいるらしい。 「出てきたお茶とお菓子も最高においしかったわ~」  舞依の言葉に愛依もミエも紀子もうなずいた。きっと来客用に最高級の一品を常備しているのだろう。何でもおいしいと思えるバカ舌の私でも味の違いがわかるほどだから相当だ。 「あぁ、また宝積寺さん家に行きたいなぁ」 「それじゃあ、今度うちでお泊まり会しようよ!」 「賛成~!」  素子の提案に舞依がすかさず諸手を挙げた。  楽しそうな舞依と素子の横で黙ってニコニコしている紀子を見て、以前素子の家に泊まったときのことを思い出した。  その時は、我が校で起きた殺人事件を私達で解決しようと紀子が言い出し、捜査合宿という名目でお泊まり会を開いたことがあった。  結局真面目に事件を推理していたのは最初だけで、ほとんどはただのお泊まり会に終わってしまったのだが、それはそれでとても楽しい思い出だ。  今の紀子にはその時の記憶も残っていないのかと思うと、胸が痛くなった。  いや、ダメだ。そんな後ろ向きな考え方じゃダメだ。  またみんなでお泊まり会の思い出を作れば良いことだ。  目の前の紀子は笑ってる。だから私も笑わないと。  この笑顔をいつまでも長く続けられるようにしないと。  帰りのSHRが終わり、みんなが先を争うように教室を出て行く中、紀子から声をかけられた。 「ゆかり、私今日バイトだから先に帰るね」 「あ、今日からなんだ。頑張ってね」 「あれ~? 先に帰っちゃうの?」 「うん」  舞依の声にうなずいて、紀子の足は廊下の方へ向かっていた。  教室を出て行く紀子の背中を見ながら、少しずつ今までの日常に戻りつつあることに心の内側から滲み出るような喜びに浸っていた。そして、いつまたこの日常が壊れたりはしないだろうかというモヤモヤとした不安も同時に感じていた。  こないだのアキバの事件は連日ニュースで大きく報道されてクラスでも知らない者はいなかった。  私達は敢えて自らあの現場にいたのだと語ろうとはしなかったし、お互いにその事件に関する話題は一切口に出さなかった。  一歩間違えば大事件の被害者にもなりかねなかった私達は誰もそのことを自慢気に語る気にはなれなかった。むしろ記憶から消してしまいたいくらいだった。  舞依が素子の豪邸の話をするのは恐らく少しでも気を紛らせたい、なるべく思い出したくないという気持ちの表れなんだと思っている。  マンネリな日常を退屈だと嘆くこともあるがそれは贅沢な話で、退屈な日常は安寧という幸福を示しているのだということをしみじみ痛感した。  だからこそ余計にこのマンネリで退屈な日常がいつまでも続く事を祈らずにはいられなかった。  あれから玲良の夢を見ることはすっかりなくなった。  実在の玲良に会いたいという想いは初めて彼の夢を見たときからずっと持ち続けていたが、今となっては会わない方が良いのかもしれないと思うようになった。  彼が元気ならば夢での出来事を冗談半分で話すこともできるだろうが、もしも夢と同じようにベッドに横たわり目も開けず口も聞かぬ彼と対峙したときに私は冷静でいられる自信がない。  ましてや私が一方的に彼のことを知っているだけで彼は私のことなど全く知らないのだ。そんな相手に私は何と声をかければ良いのか。 「あなたとはよく夢で逢うんです」  これじゃ、まるで精神が病んでしまったストーカーじゃないか。  そんなことを考えて鬱々とするくらいなら彼に会えない方がいい。  そうして私は以前のように時々支離滅裂な夢を見ては目覚めた途端に忘れるということを繰り返していた。  しかし、その時見た夢は違っていた。  目覚めた後も後味の悪いバッドエンドな映画を観終えたときのようなムカムカとした気分が胸の奥で燻り、しかもその夢で見た光景が頭から離れないほどはっきりと覚えていた。  物語は突然始まった。  私は何やら薄暗くて埃っぽい部屋にいた。何かの倉庫みたいだった。  私はどうして、何のためにここにいるのかわからなかった。  しばらくすると近くで声がした。複数の声だった。みな男性だ。 「……ちゃん、大丈夫だよ。怖がらなくていいからね」  一人の男性が私の名を呼んだ。いや正確には呼んだかどうかはよくわからなかった。呼んだように聞こえただけだった。  その男性を私はどこかで見たことがあるような気がした。いつかテレビで見た歌のお兄さんによく似ていた。 「僕達はみんな……ちゃんのことが好きなんだから」  もう一人の男性も優しそうに声をかけた。声は優しそうなのに歌のお兄さんよりも髪が短くて身体もがっしりしていた。真剣にこちらを見つめる目がとても怖かった。  こちらに向かって微笑みかけている。二人とも二十代から三十代くらいで私には全く見覚えのない顔だった。  二人の顔がどんどん私に近付いてくる。私の足には根が生えてしまったかのように全く動くことができずにいた。  二人から少し離れたところにもう一人男性の姿があった。彼も私の知らない人物だ。その彼はメガネを掛けていて、黒っぽい機材を片手に持っていた。 「可愛いね」 「可愛いよ」  二人に可愛いと言い寄られても私は少しも喜べなかった。高いところから差し込む弱い光に浮かび上がる二人の顔は私に恐怖と不安しか与えなかった。 「やだ……怖い……」  思わず出た私の声に違和感を覚えた。まるで子供みたいな甲高い声だ。 「お洋服も可愛いね」  そう言って歌のお兄さんは私の肩に手を掛けた。 「可愛いお洋服が汚れたら大変だから、脱いじゃおうか」  目の前の薄気味悪い笑みを浮かべている二人の形相とその場の異様な雰囲気が、これから何をされるのかわからないという恐怖を何倍も増長させていた。 「やだ……やだ!」  私は服を脱がせる彼の手を払った。するとスポーツ刈りの男が私の腕をガッと掴んだ。 「おとなしくしてくれたら怖いことしないから。ね?」  穏やかな口調とは裏腹に腕を握る彼の手には優しさは感じられなかった。  私は一刻も早くここから逃げたかった。 「いや! いやよ!」  全く知らない場所で全く知らない大人に身体を掴まれた私は泣き出した。しかし恐怖のあまり声を出すことができず、ただポロポロと涙がこぼれるだけだった。  二人がぎこちない手つきで私の服を脱がし始めた。  私は泣きながらメガネの男を見た。彼は私の方ではなく手にしていた機械に見入っていた。その時初めてそれがビデオカメラだとわかった。  シャツとスカートを脱がされた。彼らが手にしていた服は明らかに子供服だった。  私は改めて自分の身体を見た。私の身体は小学生ほどの体型しかなかった。  彼らは半裸になった私の身体をあちこちまさぐるように触った。  私は抵抗したいのに腕と足を掴まれて全く身動きが取れず、ただ全身をガタガタと震わせていた。 「震えてるよ。可愛いね……大丈夫、優しくするからね」 「やめて……」  絞り出した声に気付かないのか、彼らは愛撫をやめようとはしなかった。  歌のお兄さんが顔を近づけて私の胸にキスをした。  私は全身に力を入れて、全力で彼らを振りほどこうとした。 「いやぁ!」  その時だった。  バーン!  突然の大音響に私は思わず身を縮め、目をつぶった。  大きな音がしたのはその一回だけだった。私は怖くて音が消えた後も目を開けることができなかった。  目を閉じながら、急に男達の気配がなくなったのを感じた。ひんやりとした空気の中で埃と鉄錆が入り混じった匂いがしただけで彼らの声も息遣いすらも聞き取ることはできなかった。  静寂から来る恐怖に耐えきれず、目を開けた。  ついさっきまでいたはずの彼らの姿はどこにもなかった。  数メートル先で薄明かりに反射する小さな光が見えた。それはさっきまでビデオカメラを持っていた男の眼鏡のフレームだった。その近くにはビデオカメラが無造作に転がっていた。  私は地面に落ちていた服を拾い上げて身に付けると、刻々と暗くなっていく中を手探りで歩いた。  一刻も早くここから逃げ出したかった。  暗闇の中で壁を伝ってようやく鉄製の扉のようなところまで来た。そこが出入り口だと直感した私は扉の出っ張りに手を掛け、力一杯引いてみた。しかし鉄製の大きな扉はとても重く、子供の私にはびくともしなかった。  しばらく押したり引いたりしてみたが、手が錆び臭くなるだけでどうにもならなかった。  扉を両手で何度も叩きながら大声で助けを呼んでみた。しかし私の声は倉庫内に反響しただけですぐに暗闇に吸い込まれていった。  真っ暗な倉庫の中はもう数メートル先も見えなくなっていた。私は足がすくんで、そこから一歩も動けなくなった。  急に心細くなってその場にうずくまった。このままだとまた泣きそうになるので、少しでも楽しいことを考えるようにした。  昼間お遊戯ルームで友達と遊んでいたときの、まだ新しい記憶が私の脳裏に浮かび上がった。。  みゆきちゃんがお気に入りのぬいぐるみを抱っこしながら絵本を読んでいる。  かずま君が慎重な手つきで自分の背丈まで積み木を積み上げている。  その向こうではひろき君とまさひろ君がビニールボールを蹴り合ってパスを繰り返している。  まさひろ君の蹴ったボールが逸れて積み木に直撃し、バラバラと音を立てて積み木が崩れる。  床の上に散らばった積み木を呆然とみているかずま君を見てまさひろ君がアハハと大きな声で笑う。  扉にもたれながら心細さと戦っているうちに疲労からか私は静かに目を閉じ、そして呟いた。 「舞依に会いたい……」  私の夢はそこで終わっていた。  目が覚めた後もしばらく私は布団から出ることができなかった。  今見た夢は一体何なのか。  なぜあんな不愉快な夢を見てしまったのか。  あの場所はどこなのか。  あの男達は誰なのか。  どうして私は子供だったのか。  お遊戯ルームにいた子供たちは私の友達なのか。  どうして私はあの子供たちの名前を知っていたのか。  なぜ私は最後にあんなことを呟いたのか。  この夢は舞依に関係する夢なのだろうか。  全くもって何一つ記憶にもない、想像すらしたこともない出来事だらけの夢を見て何度も溜息をつきながら学校へと向かった。  学校に行って紀子達に会えば少しは気分も晴れるかもしれないという一縷の望みも、校舎脇に止まっている乗用車を目撃した瞬間に萎えてしまった。  宇都宮が来ている。  と言うことは、また何か事件でも起きたということか。  急に動悸がして私の心はざわざわと揺れた。  落ち着かない気持ちを早く忘れさせるために、教室へと急いだ。  まだ朝のSHRが始まる時間ではないはずなのに、廊下には誰の姿もなく教室からざわめきだけが漏れ聞こえていた。  いつもと違う学校の空気に不安な気持ちはどんどん増幅していって、心臓が破裂しそうだった。  教室のドアを開けると、まず最初に紀子達の姿を探した。  こちらを振り向いた紀子と舞依の姿を見てようやくホッと安心した。  素子らの姿はなかった。恐らく自分達の教室に戻っているのだろう。 「おはよう」  席に座っている紀子に向かって挨拶すると、おはようと控えめな声が返ってきた。紀子の隣に立っている舞依もいつになく冴えない顔をしていた。  教室の空気も何となく重たい。 「何かあったの?」  私が尋ねると紀子は黙って小さくうなずいた。 「さっき、校内放送で『生徒は教室から出るな』って」  始業前なのに廊下に誰もいなかったのはそのせいなのか。  せっかくモヤモヤとしていた不快な感覚が収まってきたと思ったのに、またぶり返す胸騒ぎに眉をひそめた。 「何があったんだろうね」  舞依がボソッと呟いたのを見計らったかのように、教室のスピーカーから声が流れた。  校長の声だった。 「みなさんにお知らせします……」  そう言ってからしばらく間が開いた。教室内がしんと静まり返った。 「とても大事な話ですので、ちゃんと聞いて下さい……今日、我が校に脅迫文が届きました。差出人は不明です。そこには『城南高校の生徒を殺す』と書いてありました」  どよめきとともに私達三人を除くほぼ全ての生徒が一斉にスマホをいじりだした。隣の教室からもざわめき声が聞こえた。  校内放送はまだ続いていた。 「これから担任の先生が教室で出欠状況を確認しますのでそれが済み次第、生徒諸君は速やかに下校して下さい。そして決して寄り道などせずに真っ直ぐ家に帰ること。家に誰かいるのでしたらできるだけ迎えに来てもらうようにして、とにかく万全の心構えで自分の身を守るようにしてください。また不要不急の外出はなるべく避けて、どうしても出掛ける用事のある人はできる限り一人にならずに複数で行動してください。それから、明日から当分の間は私服での登校を許可します。これは制服から我が校の生徒である事が犯人には分からないようにするための応急措置です……繰り返します……」 「マジかよ!」 「やべーじゃん!」 「やだー、怖い!」 「どうする? 俺今日バイトだし」  教室はたちまち蜂の巣を突いたような騒ぎとなった。  収拾の付かない状態となった教室に素子が入ってきた。彼女は怖い顔でズンズンと大股で近付いてきた。 「紀子ちゃんちは家に誰もいないんでしょ? うちの車で良ければ送っていくよ!」 「でも、悪いわ」 「悪いなんてないよ! 送らなくて紀子ちゃんにもしものことがあったら、私悔やんでも悔やみきれないよ! もう車呼んであるからね!」  素子の剣幕に、紀子は仕方がないといった顔をした。 「舞依ちゃんとゆかりちゃん達もついでに送ってあげるからね!」  当然私達にも拒否権はないようだ。ま、紀子のついでだとしても高級車で家まで送ってもらえるのだから異存はない。  出欠確認を済ませた私達は素子の先導で教室を後にした。  昇降口を出たところでは先生方が真剣な表情で生徒達を見送っていた。それを見て最初の爆破予告の時のことがフラッシュバックした。  校舎から正門へ向かう途中で私は車の側に立つ宇都宮の姿を見つけた。 「おじさん!」  私は素子達の列から離れて彼に駆け寄った。 「また事件なの? 今度も愉快犯じゃないの?」  宇都宮はにこりともせずに私を見た。相変わらずノーネクタイでスーツも少しくたびれている。 「だと良いがな。現時点ではなんとも言えねぇ」  彼は表情を変えずに言った。 「誰か特定の人が狙われてるの?」 「いいから早く帰れ。フラフラ寄り道するんじゃねえぞ」 「早く犯人を捕まえてよね。これでも一応頼りにはしてるんだから」 「一応って何だよ」  宇都宮は口を歪めて笑った。しかし目は笑っていない。 「今日蓮田はおとなしいな。いつもならお前よりもやかましいのにな。具合でも悪いのか?」  足を止めて私達の方を見ている紀子に向かって顎を突き出した。彼が記憶喪失後の紀子と会うのは今日が初めてだった。 「うん。今日は朝から体調が良くないの」  そっか、と言って宇都宮は紀子に向かって声をかけた。 「お大事に」  紀子はハッとした顔で彼を見返し、ぎこちなく頭を下げた。 「何だ、あいつ妙に他人行儀だな。ま、ようやく改心したのか。良い心がけだ」  そう言って宇都宮はふん、と鼻を鳴らした。  私は彼の気を紀子から逸らすようにわざと大袈裟に手を振った。 「それじゃあ、おじさん」 「おう。気を付けて帰れよ」  彼が紀子の記憶喪失に気付いていないことを祈りながら早足で紀子のところへ向かった。  正門の前に止まる黒いリムジンと、それに乗り込む素子達の姿が見えた。  首を曲げずにちらっとこちらを横目で見ながら紀子が尋ねた。 「今の人、学校の先生じゃなかったみたいだけど」  紀子の方を見ずにうん、と返事をしながら本当のことを言うまいか迷っていた。彼が刑事と知ったら驚きはしないだろうか。でも紀子に嘘はつきたくはなかった。 「知り合いの刑事さんなんだ。前に私が痴漢に遭ったときに助けてくれたんだよ」 「いい人なんだね」  車に乗り込もうとして足を踏み入れた瞬間、ふわりとした感触に思わず足を引いてしまった。 「あ、車の中は土足で全然大丈夫だからね」  靴を脱ぎかけた私に素子が声をかけた。 「私達も靴のまんまだよ」  先に乗っていた舞依がすらりと伸びた脚を上げてみせた。  我が家のリビングにあるラグマットよりもずっとふかふかで高級感のあるカーペットを土足で踏みつける無礼に恐縮しつつ革張りの座席に腰を下ろした。まるでこのまま身体が潜ってしまうのではないかと思うくらい柔らかい座り心地は我が家のソファーとは比べものにならないくらい気持ち良かった。  座席はコの字型になっているが、全く窮屈さを感じさせない。天井も普通の車よりも間違いなくこぶし二、三個は高いように思えた。 「もともと商談とか来賓の送迎とかで使う車だからパーティー用のリムジンと違って装備が地味なんだけど、我慢してね」  いやいや、これ以上何も望まない。これで十分、いや十分すぎて逆にこちらが申し訳ないくらいだ。 「なんか飲む? と言っても当然アルコールはないからね」  そう言って素子は座席の脇に備え付けられた小さなドアを開けた。中には何本ものペットボトル飲料が並んでいた。みんなは一様に目を丸くして首を横に振った。 「飲みたくなったらいつでも言ってね」  車窓の景色が流れているのを見て、もうこの車が動き出しているのだと知った。いつ走り出したのか全く気付かなかいほど静かで滑らかな乗り心地はお母さんの運転する軽乗用車とは比べものにならない。当然と言えば当然だが、比べる対象が違いすぎる。 「もう大丈夫だよ。この車だったら、たとえ外から拳銃を撃たれてもへっちゃらだし、運転手さんも元コマンドーだから安心して」 「素子様」  運転席の男性が素子へルームミラー越しに話しかけた。 「コマンドーではありませんよ」 「あれ? そうでした? 何でしたっけ?」 「アメリカ合衆国シークレットサービスです。と言っても私は下っ端の下っ端でしたが」  知る人が聞けば驚愕に値する事実なのかもしれないが、その辺りの知識に乏しい私にはその凄さがイマイチ伝わらず、「ふうん」と曖昧にうなずく程度の薄っぺらい反応しかできなかった。  唯一ミエだけが、 「アメリカ大統領の護衛をしていたなんて、正真正銘のSPじゃない」  と言って目を丸くしていた。 「では、近い方から順にお送りするというのでよろしかったでしょうか」 「うん。お願いします」  偶然と言うべきか、たまたまと言うべきか、私達の家は学校を中心にしてそれぞれ東西南北に位置していた。ミエの家は学校の南方に位置し、紀子が東側、私の家が北側、西那須野姉妹が西方と、出来過ぎなくらい綺麗に点在していた。  まず最初にミエが送り届けられ、しばらくして紀子が車から降りた。  遠ざかる紀子に向かってスモークガラス越しに手を振ると、紀子も家の前でこちらに手を振り返していた。単なる偶然かも知れないが、何だか心が通じ合ったみたいで嬉しかった。  窓の外から車内に目線を移すと、ふと舞依と目が合った。彼女も何だか嬉しそうにこちらを見ていた。  それまで場を盛り上げていた素子も少し疲れたのか、人数の減った車内は会話もやや途切れがちになっていった。  位置関係からすると恐らく次は私の家に向かっているのだろうが、窓から外を見ても方向音痴の私には今どの辺を走っているのか全く方向感覚が掴めずにいた。  信号待ちで停止していると、交差点に立つサラリーマンが見えた。  そのサラリーマンが無防備に大きなあくびをしたのを見て、私もつられて大きくあくびをした。 「ゆかりちゃん、飲む?」  大口を開けた私に素子が冷蔵庫から取り出したお茶のペットボトルを差し出した。 「ん、ありがとう」  素直に受け取ると彼女はにっこりと笑って、続けざまに西那須野姉妹へもペットボトルを渡した。  ペットボトルに口を付けながら、ちらっと愛依の方を見た。彼女はペットボトルを開けようとはせず、膝の上に抱えたまま窓の外を眺めていた。  愛依の小さな背中を見ながら、あの夢に出てきた少女は愛依だったのではないかと何となく思った。  だとしたら、あの夢は愛依が見た夢だったのか。それとも愛依の記憶を私が夢として見ただけなのだろうか。  ひょっとしてこれも超能力によるものなのか? だとしたらどうやって? 何の理由で? 「ゆかり、どうした? ポケーッとして」  舞依から不意に声をかけられて、私はすぐに返事することができなかった。 「あ、うん……愛依ちゃん可愛いなって」  とっさに出た言葉に、愛依がポカンとした顔で振り返った。 「うん、わかるよ。愛依ってさ、お姉ちゃんなんだけどちっちゃくて可愛いんだよね」  苦し紛れの私の言葉に舞依が調子を合わせてくれて助かった。 「うんうん、わかるよ! 私もね授業中とかたまに愛依ちゃんのこと観察しちゃうときがあるんだ!」  素子も大きくうなずいた。 「こうやってね、消しゴムで字を消して、パッパッって消しゴムのカスを手で払ってる仕草なんか見てると、キュンキュンしちゃうんだよね~」  そう言いながら愛依の物真似をしてみせた。  目の付け所がマニアックだなと思っていると、 「あー、そんな感じかも」  と、舞依が笑いながら肯定した。愛依も小首を傾げながら「そうかなぁ」と言って微笑んだ。  車内が和んだ空気に包まれ、すっかり夢の話を切り出すきっかけを失った私はそれ以上夢のことは考えないことにした。  運転手が素子に声をかけた。素子は小さくうなずいてから私の方を見た。 「ゆかりちゃん、お家に着いたよ」  走っている間もそうだったが、振動も音も感じることなく、気が付けば車はマンションの前で止まっていた。  さっきまで運転席にいたと思っていたSPがいつの間にか後部座席のドアを開けて待っていた。 「お疲れ様でした」 「じゃあね、ゆかりちゃん」  素子が手を振ると、舞依と愛依も同じように手を振った。 「それじゃ、また明日」  三人に手を振って応えながら車を降りた。  快適で夢のようなラグジュアリー空間から築二十五年の中古マンションという現実世界へ引き戻された私はエントランス前で唖然としている管理人さんに声をかけられた。 「へぇー、すごいねぇ。あれ高級リムジンって奴だろ? 本物見るのは生まれて初めてだ」  管理人さんはホウキをはく手を止めて遠ざかるリムジンを見送った。 「お友達に送ってもらったんです」 「えらいお友達を持ってるんだねぇ。羨ましいや」  私は苦笑いと愛想笑いを足して二で割ったような顔をしながら、いそいそと階段を駆け上がった。 「ただいま」 「あら、おかえり。今日は早いのね」  リビングからお母さんの声がした。  学校から保護者宛に一斉メールで連絡されているはずだが、お母さんはまだ学校で何が起きたのかを把握していないようだ。ま、こののんびりした感じがいかにもお母さんらしい。  部屋に入って制服から私服に着替えると、ごろんとベッドの上に寝転がった。高級リムジンで送ってもらったおかげで疲労感がなかったせいなのか、普段とは違う出来事が学校で起きたせいで気が張っているからなのか、ちっとも眠くはなかった。  天井を見ながら、ここ最近自分の身に起きたいろんな出来事を思い出していた。  舞依と愛依が転校してきて、舞依とはすったもんだの末に仲直りして、学校への爆破予告があって、紀子が記憶喪失になって、舞依達の父親から二人の真実を聞かされ、紀子がまた私を友達として認めてくれて、アキバで事件に遭遇して、再び学校への犯行予告があって、そしてよくわからない夢を見て……。  そう言えばうちの学校が甲子園に行ったのも今年だった。もういろんなことがたくさんありすぎて大分前のことのようだ。  これらがわずか半年あまりの間に起きているのだから、あまりにも濃密だ。  もうお腹いっぱいだ。もうこれ以上事件は起きなくていい。いや、起きないで欲しい。  年の瀬までにはまだしばらくあると言うのにすでに今年一年の総括をしていると、部屋の外からお母さんの声がした。 「ねぇ、お昼ご飯外へ食べに行こうか?」  もうそんな時間か。私は机の上の時計を見ると、跳ねるように起き上がった。 「本当は残り物で済ませようかとも思ったんだけど、ゆかりの分も作るのかと思ったら急に面倒臭くなったわ」  と、お母さんは昼食を作らない言い訳に私をダシに使った。 「ついでに夕飯の買い物も済ませちゃおうかしらね。ゆかり、食べた分はしっかり働いてもらうわよ」  お母さんの言葉に私は一切反抗することなく、おとなしく助手席に座った。  ブォン、と勢いよく発進した車が突然急停車した。 「あら、ごめんなさい」  掃除用具を持った管理人さんが顔を引きつらせながらこちらを見ていた。 「しゃがんでたから気付かなかったわ」  もう少しで人身事故を引き起こすところだったお母さんは何事もなかったかのように平然と車を走らせた。  当然乗り心地はさっき乗った高級リムジンとは雲泥の差だが、いつもと変わらないという点ではこの軽乗用車の方が気楽に乗っていられる。 「何食べたい?」  ハンドルを握りながらお母さんが尋ねた。 「ファミレス? 回転寿司? 焼肉? ラーメン? ハンバーガー?」  まだそれほどお腹も空いていなかったので適当に返事をした。 「うーん。何でも良い」 「じゃあ、牛丼ね」 「えーっ」 「今何でもいいって言ったよね!?」  結局、決定権は私からお母さんに移り、私はお母さんが決めたお店に従わざるを得なくなった。  その日の夜、私は車の後部座席に座っていた。車はリムジンでも軽乗用車でもない、ごく普通の乗用車だった。  車は暗い夜道を走っていた。  時折ヘッドライトに照らされた路面とその両脇に生える雑草が見えた。遠くに街の灯りが小さく浮かび、対向車が来る様子はなかった。  こちらからは運転手の顔は見えなかった。が、後ろ姿にどことなく見覚えがあった。  車内は静かで、外の音も全く聞こえなかった。ただ足場が悪いらしく、車が不規則に揺れる度に私の身体も左右に揺すられた。  坂を下りているのか重心が前の方に移動して、私は思わず前の座席に手を掛けた。  運転席にいるのは男性のようだった。彼は黙ってハンドルを握り、私も自分から声をかけるようなことはしなかった。  坂を下りてからもしばらく走っていた車は突然スピードを緩めて停まった。  周囲は真っ暗で全く方向感覚がわからなかった。曇っているのか月も星も見えなかった。  ボソッと運転席の男が話しかけた。私は何と言っているのか聞き取れずに、思わず聞き返した。するとその男は運転席を降り、後部ドアを開けて私の横に座った。 「この写真を見て欲しい」  男の声には聞き覚えがなかった。  私は男がスマホで照らしてくれた明かりを頼りに写真に目を通した。  写真は三枚あった。三枚とも男の顔写真で、それぞれ違う人物だった。  白いLEDライトに浮かび上がった写真を見て、私は愕然とした。その人物は間違いなくあの倉庫で私を襲った三人だった。  歌のお兄さん、スポーツ刈り、メガネ。  その瞬間、あの倉庫での出来事が自身の空想や夢うつつなどではなく、確かな記憶の中に存在する事実であることを自覚した。  写真を持つ手がガクガクと震えた。と、同時にどうしてこの男が三人の写真を持っているのかという疑問が湧いた。 「どうして……」  そう言って顔を上げたときだった。  私の腹部に鋭い痛みが走った。あまりの痛みに私は顔を歪め、うめき声を上げた。とっさに腹部に手を当てた。そこには男の強張ったゴツゴツとした腕があった。  痛みに耐えながら男を手首を握りしめた。しかし引き離そうとすればすればするほど男の手には力が加わり、じわじわとナイフがお腹にめり込んでいった。  私は全ての力を自分の両手に込めた。すると男の腕からミシミシと音がした。  彼の口から小さく喘ぐ声が漏れ、ナイフを持つ手が弱まった。  私自身も手に力が入らず、握りしめているという感覚も希薄になってきた。  あまりの激痛に気が遠くなり、呼吸することも辛い。  起きていることもできず、座席の上に横になった。もう私には倒れた身体を起こすだけの力は残っていなかった。  びくん、と身体が大きく痙攣して目が覚めた。  真っ暗な部屋の中に自分がいることを確認して、今のが夢だとわかった。  枕元をまさぐり、リモコンを手にすると部屋の灯りを点けた。  身体を起こして自分の脇腹を確かめた。もちろん痛みもなければ傷口もなかった。  喉がカラカラに渇いて、舌が干物になってしまったかと思うほど乾燥していた。  よろよろとキッチンに向かい、冷蔵庫のミネラルウォーターをゴクゴクと飲んだ。  そしてまたベッドに戻り時計を見た。一時半を少し回った頃だった。  夜中に多少大きな地震があっても気付かず、翌日お母さんや美樹に馬鹿にされるほど、一度眠りに就いたら滅多には目を覚まさない私にとっては極めて稀なことだった。  もう一度寝ようと目を閉じてみるが、またあんな夢を見やしないかという恐怖心からなかなか寝付けなかった。  何も考えないようにと一生懸命頭の中を真っ白にして何とか睡魔を引き寄せることができたが、全く眠った気にはなれずにただ疲労感だけが蓄積しただけだった。  すっかり寝不足の私は頭の中にもやが立ちこめている状態で学校へ向かった。  学校からの指示とは言え、平日の朝から私服で学校に向かうのは抵抗があった。  何よりも私服に学生鞄という姿は明らかにミスマッチだった。ところが、紀子たちはトートバックやリュックサックに荷物を詰め替えてちゃんと服装に合わせたバッグで登校してきた。他のクラスメートも同様のようで、学生鞄で登校しているのはどうやら私だけのようだ。  私の辞書には臨機応変という言葉がなかったようだ。いや、単純にセンスがないだけなのか。 「そういえば、今日は舞依ちゃんも愛衣ちゃんもまだ来てないね」  私と違って寝坊や遅刻をするような二人ではないことは知っていた。昨日までの二人はとても元気だったから、体調を崩したとは考えにくかった。  朝のSHRの後、まだ来ない舞依へメールを送った。が、いつになっても彼女からの返信は来なかった。  ぞわぞわとした不快な胸騒ぎがした。  次の日も舞依と愛依は学校には姿を見せなかった。 「どうしたんだろうね?」  舞依の席を見ながら紀子がぽつんと呟いた。 「おっかなくって学校に来れないのかも。それともお父さんお母さんから『危ないから学校へ行っちゃダメ』とか言われたのかなぁ」  素子の推理にはあまり説得力を感じなかったが、むしろそうであって欲しいと願った。 「二人ともしっかりしているから大丈夫だと思うよ」  ミエの言葉通りに楽天的に考えたいのに、どこか悪い方に考えてしまう自分がそこにいた。その気持ちはいくら否定しても拭いきれなかった。  いくら学校に犯行予告があったと言っても、単に趣味の悪いいたずらに過ぎない可能性だってある。ちょっと神経質になりすぎているだけなのだと無理矢理自分に言い聞かせた。  頭の片隅で舞依から連絡がないことを気に掛けながら、普段と変わらない生活を送ることに専念することした。  夕飯とお風呂を済ませてから部屋に戻った私はスマホに着信履歴があることに気付いた。  私がお風呂に入っている間に舞依から電話が入っていた。急いで私は舞依に電話を掛けた。  呼び出し音が一回半くらい鳴ったところで舞依が出た。 「もしもし、ごめんね。お風呂入ってた」 「……」  電話の向こうにいるはずの舞依はなかなか話し出そうとはしなかった。 「? 舞依?」  明らかにいつもと様子が違う状況にまたぞわぞわとした不快な感覚がこみ上げてきた。 「……ゆ、かりぃ……」  舞依の声は明らかに涙声だった。心臓の鼓動がひときわ大きくなって息苦しさをおぼえた。 「舞依、大丈夫? どうしたの?」  ガタン、と耳障りな音がして、それっきり何も聞こえなくなった。どうやら彼女がスマホを落としたみたいだ。  舞依の嗚咽する声が遠くで聞こえていた。 「舞依? 舞依?」  私には彼女へ呼びかけることしかできなかった。私は狭い部屋の中をグルグルと歩きまわりながら、なかなか舞依と話せないもどかしい気持ちを落ち着かせようとしていた。 「舞依、ねぇ舞依」 「もしもし」  向こうから突然返事があった。同時に私の足もその瞬間ぴたっと止まった。  電話の声は彼女ではなかった。 「白岡さん。舞依の父です」 「あ、どうも」 「すいません。舞依が急に取り乱してしまって……」  西那須野氏は先日病院で会ったときのような饒舌な口調とは全く違い、ゆっくりと低い声だった。 「実は、昨日の夜から愛依がいなくなっていたのですが、今日、遺体で発見されました。今警察から戻ってきたところなんです」  今何と言った? 私は頭の中で彼の言葉を復唱してみた。 『今日、遺体で発見されました』 「誰の遺体だって?」  自分で自分に問いかけた。 『愛依の遺体が』  もう一人の自分が冷静に答えていた。  昨日から行方がわからなかった愛依が今日になって遺体で見つかった、ということなのか。  遺体ということは、もう死亡が確定していると言うことなのか。  言葉通りに解釈すればわかるようなことでも、その時の私にはそれをすぐには理解できなかった。  愛依が死んでいる? どうして? 「お腹をナイフのような物で刺された事による出血死でした」  私が見た夢と同じだ。 「犯人は、捕まったんですか?」 「まだです。今警察が捜索中です」 「どうして愛依ちゃんが殺されたんですか?」 「……わかりません……」  愛依が殺されるなんて、全く考えも付かないことだった。  一瞬、脳裏に学校への犯行予告のことがよぎった。  我が校の生徒を狙った犯行予告は愉快犯によるいたずらなんかではなく本当だったんだ。  愛依が殺されたショックと、自分達も襲われるかもしれないという恐怖に言葉が詰まった。 「ゆかり、ごめん……」  電話の声が舞依に代わった。 「ゆかりの声聞いたら、急に涙が出てきちゃって」  鼻声の舞依が電話の向こうで辛い思いを堪えて話しかけている姿が思い浮かんだ。 「大丈夫?」 「うん。もう大丈夫。ごめんね」  鼻をすすりながら舞依は気丈に振る舞おうとしていた。 「ううん」  こういう時、何と言って励ましてあげれば良いのだろうと、私は頭の中で言葉を探したが、これと言った言葉が浮かんでこなかった。 「私、悔しい……犯人見つけて殺したい」  彼女ははっきりとした声で言った。  私には舞依の言葉を正義ぶって否定したり、諭すようなことを言うような権利はなかったし、言いたくもなかった。 「うん」  舞依の思う悔しさに比べたら私のそれは何分の一、何百分の一にも満たないかもしれないが、私だって悔しい。犯人が憎い。 「私も殺してやりたい」  こみ上げる感情が言葉として口からこぼれた。  すると電話の向こうで舞依がふふっと笑った。 「ありがとう」  その後いくつか舞依と言葉を交わしてから電話を切った。  怒りと悲しみで一体自分が何と言っていたのか、舞依が何と言ったのかあまり憶えてはいなかった。  一体どうすれば犯人を見つけられるのか。本来警察がやるべき仕事ではあるが、ただ指をくわえて待っているだけなんて我慢できない。  こういう時こそ、超能力という〝道具〟を使うときなんじゃないか。  私はそれからずっと、超能力を使ってどうすれば犯人を捕まえられるのかを考えていた。  朝起きてから電車に乗っているときも、そして学校に着いてから臨時の全校集会で校長先生が痛ましい事件につい沈痛な面持ちで話しているときも、ホームルームで赤羽が、 「この状況で動揺するなと言う方が無理な話だ。この俺だってお前達と同じくらい動揺している。それでも敢えて俺は言う。  こんなことに負けるな。こんなことでお前達の人生が左右されてしまったら、俺は死んでも死に切れん。  俺は犯人が憎い。できることなら差し違えたって構わない。それでお前達の人生が狂わずに済むのなら、俺は喜んで悪に手を染めてやる」  と涙声で言っているときも、そしてその言葉にクラスのみんながむせび泣き、「犯行予告は本当だったんだ。次は俺達かも知れない」とある男子生徒が恐怖におののいているときも、ずっとずっと考えていた。  まず最初に思いついたのは、時間遡行で犯行前の状況から愛依を救い出すことだった。  あわよくば愛依が殺されずに済むかもしれない。しかし、その代わりに私や私以外の人間が身代わりに殺されてしまうかもしれない。  犯人を特定できたとしても、事件を起こす前の状態で犯人を捕まえることはできない。警察というところは何かが起きてからでないと動いてはくれない。  千里眼で見つけようにも顔も特徴も性別すらわからない犯人を捜し出すのはほとんど不可能に近いし、テレパシーで一人一人の心の中を覗き込んで確かめるなんて非現実的だ。  相変わらず道具を上手く使いこなせない自分を歯がゆく思いながら、どうやって真相を導き出して犯人に辿り着けるのか考えているうちに、サイコメトリーという能力があるのを思いだした。  サイコメトリーとは、物体に触れることでその持ち主の記憶を読み取るというものだが、私の身の回りには愛依に関する物がない。  舞依に頼めば手に入れることもできるかもしれないが、そもそも私にその能力があるのかどうか全くわからない。  やってみなければわからないと開き直れるだけの自信はない。だが、やらなければいつまでもできないままでしかない。それならばやるしかないんじゃないか。 「よしっ」  そう声に出して自分に活を入れた。 (つづく)
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