闇に溶けて。

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闇に溶けて。

「雲はない。月もない。潜むには良い夜だ」  今日も今日とて僕は、自宅である階段灯も点かないボロい安アパートを宵の口も覚めやった深夜に離れ、裏の林の奥へと姿を消していく。  子供の頃の楽しかった思い出ではないけれど、全身黒尽くめに変身するための秘密基地がある場所。  林の中央付近。  二本の自然に生えている事を高らかに主張している風情の(ニレ)の木の、枝も触れ合う狭間にあちこちから拾ってきた廃材やらダンボールやら古着やらを組み合わせ、僕が違う僕になるために、手製で産み出した出来損ないの基地(更衣室)。  例えるならここは、とあるヒーローが本来の超人の姿に変わるため、昨今あまり見掛けなくなった電話ボックスの住人に一時(いっとき)(なか)に引き篭もりお着替えして、世間様の前に改めて現れるように、僕も塗料を染み込ませた全身タイツを着込み、顔に同じ細工をした目出し帽を被り目玉だけをギョロつかせて、街灯や家々の灯りを避けつつ林の中を慎重に歩きときには走り身を潜め、外界に存在する他人に接触する機会を伺う。  それにしてもなんだって、夜中なのに世の中はこんなにも明るいのか。  もはや信号機の黄信号の点滅さえも眩しくてたまらない。  僕は昼間仕事をしている。帰宅するとすぐ夕食を摂り睡眠をする。  なので、昼の陽射しや室内灯には慣れている(はず)なのにナゼ、夜の(とばり)を点々と照らす光には耐性がないのか、わからない。  だから黒になって蠢くのは、より街の暗闇が深くなる丑三つ刻。よく世間様では“幽霊や妖怪や怪異の類が出てくると言われている時刻”だ。  でも実際に出現するのは魑魅魍魎の化け物ではなく、僕以外には光源に本能を刺激され誘われ寄り集まる虫ばかり。  僕は虫ではないから光には魅せられない。  僕にとっては、むしろ光は忌むべき存在。  だから光線の範囲に入らぬよう、捕まらないよう、逃げ出さなければならない存在。  なぜなら、光を吸い込み取り逃がさない黒の存在は、それ自体が照らし出され明るくされても黒のままで問題ないが、周囲の景色からは途端に浮いてしまい目立ってしまうからだ。  そう。小さな変身願望の結果としてこの世に生を受けた手作りの黒衣装は夜間仕様。  つまり、誰かに発見されれば即不審者として通報され逮捕される危険なアイテムなのだ。  確かに深夜帯は犯罪白書が示す統計を斜め読みするまでもなく、昼間より犯罪行為が格段に拡大する。  憧憬や劣情に身を焦がし、たとえそれが計画性を伴わない一時(いっとき)の下心や願望の情念に負けただけであっても、一度でも犯罪に手を染めてしまった者は出来得るなら、その行為が表沙汰にならないよう警察の厄介にならないよう乞い願い、被害者である人の精神や肉体、あった筈の未来を喪失する損害なんかよりも実際問題として、自分の身の上が将来の方が圧倒的に大事なのが人情だからだ。  かく言う僕だってそうだ。自分が可愛い。  そしてたとえば彼らもそうだろう。  一週間の期間に一日だけ。  不貞を働く若い男女も、僕と同じ一般的な考えの持ち主たちだろう。  この男女。男の給料が入るのが月末なのか、それとも二人揃って同じ給料日なのか、双方左の薬指に形違いのリングをはめた男女は月初めにはホテルに入り、お小遣いが尽きたらしい月の半ばくらいからは男か女の車を林脇の駐車場か林を跨ぐ高架橋の真下の空き地に停めしばらく話でもしているのか動きはないが、しばらくするとリズミカルに揺れはじめる。  本日は月末近くの金曜日。  当然のように高架橋の下に車を停め、そうして家族もなにもかも捨てて、自分たちがナニを為しているのかから目を逸らし、情欲を飽くことなく車内でぶちまけ始めた不倫カップルを覗くため、僕は静かに足音を立てず闇に紛れワンボックスカーに近づいていく。  実は女の方は別の中年の男と別の日に逢瀬を重ね。男は男で自分の後輩と思わしき今抱いている女性とは違う女の子とホテルに消えていくのを週に一度は見た。  お盛んですね。  そう耳元で囁いてやりたい。  さて、ではここで、その破廉恥な裏切りの光景を撮った写真をワンボックスカーの窓にベタベタ貼り付けたら、どうなるだろう?  その後のガチ修羅場。ちがうな茶番だな。  とても不毛で不遜な悲喜劇な演劇を、彼らの家族が観客として観覧席から家族会議での話し合いとして、見解の違う二人の言い分に沿った解釈の状況を観劇したら、後日譚としてどうなるのかも興味が湧くが、取り敢えず今は、この腰をぶつけ合う二人の態度がどう変化するか変容するかをなんとしても見学してみたくてたまらないのだ。  つまり僕の欲とは、普通の人間には、正常な精神の人間には到底出来はしない“質の悪いイヤガラセ”を行いたいという、とても恥ずかしい【欲念】なのだ。  
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