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穏やかな日常の終わりの始まり
何か夢を見ていた時のような曖昧な気だるさが残る。
目を覚ましたものの、体が重い。
打ち上げ解散したの何時だっけ。
異様に盛り上がって夜が明けてもしばらく続いてたのは覚えてる。
当然と言えば当然だから疑問はないけど。
あっという間だったような長い時間だったような。
……今何時だ。
時間は……時計を見ると、まだ十時台。
いつも通りの平坦な朝だった。
睡眠時間が三時間なのも平常運転。
前髪が垂れているのが気になって髪を掻き上げる。
ああ、硬いな。
セットしたままの髪型も、目を覚ましたてでも覚醒したまま休みない頭も、昨日と同じ格好をしてるのも、何もかもが変わらない。
それにしても昨日のライブは良かった。
一体感が半端ないし、魂が震えるっていうのはああいう歌声と音色だろ。
俺は応えるように心の奥底から絶叫して飛び跳ねてばかりだった。
客として来てただけの俺をボーカルのカリュウさんが誘う。
まさか本番中にセッションを求められるとは思わなかった。
当然事前の打ち合わせなんかもない。
他のメンバーもよく許してくれたもんだ。
もう俺は客に徹して長いのに。
そのことはカリュウさんたちも知ってるはずなのにな。
ある程度歌えたのは、日常的に散々聴いてたおかげかな。
無茶するよな、あの人は。
俺もかなりのコアなファンの部類に数えられてるらしいから、ファンも納得してくれたんだろうけど。
バンド解散してやめたとはいえ、出立ちが出立ちだから未だにメンバーに間違えられることはあるにはあるし。
“UZUZAKURA”との付き合いは長い。
よく俺がステージに引っ張り上げられて歌ってファンが怒らなかったよ。
盛り上がらなかったら俺泣くとこだぜ?
簡単に“UZUZAKURA”について説明がいるか。
“UZUZAKURA”は、
リーダーの俺様ボーカルのカリュウさんとギターと
コーラス担当の女装好きマリンさんとベースマニアのケンタロウさんと
ドラムスの“UZUZAKURA”の良心ジンさんの
四人で構成されているヘヴィメタルバンドだ。
次はヴィジュアル系バンドの“喫茶店COFFEE”と対バンだとかジンさんが言ってたな。
俺の知ってる対バンっていうのは対するバンドの略語で、二つ以上のバンドが共演することだ。
ロックフェスとかをイメージすると近いかもな。
ライブハウスで行われるから規模はもっと身近なものだが。
メインは“UZUZAKURA”で決定だろうな。
他のバンドは多分前座や賑やかしみたいな扱いになってしまうような気がする。
“喫茶店COFFEE”はヴィジュアルは確かに凄いと思うけど(本格女装メイドと執事のコスチューム)、肝心の演奏がピコピコうるさすぎる。
歌詞とかは結構好きだけど、“UZUZAKURA”の方がなんかリアルなんだよ。
たまに俺のこと盗聴か盗撮かその両方でもして書いたんじゃねーの? って思うようなのもあるし。
「ふぁぁ……」
電気もつけず、暗い部屋のベッドに寝転んだままあくびをひとつ。
よくよく見ると掛け布団の上にいる。
そんなに疲れてたのか、俺。
自室に戻って寝てただけましか。
酷い時なんて玄関で目を覚ますこともあるもんな。
踏まれて起きるとか目覚めが悪いにも程がある。
ベッドから抜け出て起き上がる。
灯りを点けないとな、カーテンも窓も開けることもなくスイッチを押すとそれなりに明るくはなる。
それで十分だろう。
それより今の俺はどんな状態なんだ。
身に覚えのない寝方をしてたことで気になった。
ヒビの入った鏡で自分の姿を確認することにする。
多少崩れてるもののアシンメトリーに流した髪型は健在。
右側の長さは胸元辺り、左側は顎の下ぐらいまで伸びている。
ブリーチを重ねた髪色は自分でも満足のプラチナブロンド。
黒色の右目と違って左目は今日もスカイブルーのまま。
何かの獣みたいな目をした鏡の中の俺が俺を見つめ返す。
外国人の女の顔がプリントされたモノクロTシャツは思ったよりよれてない。
片脚だけ長いパンツの短い方にはレッグウォーマーみたいな形の布を安全ピンでガーターベルトみたいに止めまくってるけど、外れてる箇所なし。
こうして着替えずに寝た時にたまにあるんだよなぁ。
ピンが外れて刺さった痛みで起きることもあるから今日は上出来。
履きっぱなしの編み上げロングブーツの紐は解けていた。
ベッドに座り結び直す。
少しきつめにしておくか。
適当に寝てしまうほどだったわりに、部屋のものを倒したりはしていないらしい。
俺らしいっちゃらしい。
性格から起因しているのか、散らかしたままにするのが苦手だ。
とりあえず棚やらに収納してしまう癖があるらしく、野郎の部屋にしてはわりとましな方だろうと思ってる。
黒と白しかない部屋だけど。
カーテンは黒。
壁は白。
絨毯白黒。
本棚やチェストとかの家具も似たような色。
寝具ですら黒だ。
あまり開かれることのない真っ黒な遮光カーテンで遮られた窓。
バイト代で買ったパイプベッド。
合わせて書い直した黒机。
書棚には趣味の本が並ぶ。
簡素な部屋を見回したところで何もない。
気だるさの原因が転がってるかとでも思ったけど、ないな。
寝ている間に誰かが原因をキレイに片付けていったのか。
赤色を見ると落ち着かなくなるから、この部屋に赤いものはほとんどない。
あってもマンガが何かの背表紙ぐらいじゃないか?
ふと考え、着替えようかと思ったけど、そのままの格好でいることにした。
外に出る予定はないし、と。
寝起きだからかやけに喉が渇いていた。
冷蔵庫に残ってた飲み物はなんだっけ。
牛乳があったなと思い出す。
記憶が繋がると冷えた牛乳が飲みたくなった。
ぬるくなったボトルの飲み物がいくつか猫足のテーブルの上にあるけど、牛乳を飲むことしか頭にない。
自分の部屋に冷蔵庫が欲しいと何度となく思うことを今日も考える。
2階の角にある部屋から出て、階段を降りていく。
ブーツの厚底が重い音を出す。
こんな時間に誰も居ないだろうからブーツの立てる音を気にすることはないだろう。
階段を下り切って右手にリビングがある。
そちらへ足を運ぶ。
そこまでは何ら変わりない通常運転の比較的穏やかな日常だった。
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