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そして、そこに書かれていた名を見て、んん? と顔をしかめた。
「佐伯正樹? いやいや、コマッつぁん、家庭教師の名前は『江田正樹』だぜ?」
「それでいーんだよ」
小松は机に寄りかかるようにして、口に煙草を咥える。
マッチで火をつけ、ふーっと天井に向かって煙を吐き出した。
「この部屋は禁煙なんですがね」
清貴は不愉快そうに言いながらも、灰皿になる陶器の小皿を机の上に置いた。
小松は、悪い、と笑って、灰を皿に落とす。
「彼は小説家だ。『江田正樹』っていうのは筆名で、本名が佐伯正樹なんだよ」
清貴は調査報告書を眺めながら、ふむ、と頷く。
「京大の学生というのは偽りのないことのようですね。芥川龍之介に憧れて作家を志し、雑誌の小説賞で佳作入賞。短編小説などを刊行している……」
「もっと読んでみろよ。驚くべき事実がある」
小松は横目で清貴を見て、ニッと笑った。
「ええ。義春さんが家に招いた家庭教師には、何かがあると思っていましたが、まさかこんなつながりがあったとは……」
清貴は机の上に書類を置いて、引き出しから謝礼が入った白い封筒を取り出した。
「小松さん、本当にありがとうございました」
「毎度」
小松はその封筒を懐に入れて煙草を咥えたまま、書斎を後にする。
さて、と清貴は立ち上がり、
「花屋敷家に戻り、家庭教師に詳しい事情を訊かなくてはなりませんね」
インバネス・コートを羽織り、そのまま歩き出す。
「あ、おい、ちょっと待ってくれよ。俺も行く」
秋人は紅茶を飲み干し、慌てて清貴の後を追った。
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