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「えっ、やめるって、そんな、どうしてですか?」
「そうだよ、円生。あれだけ描けるのにもったいない」
「本当です。あなたはようやく、目指すべき自分の道を見付けたのではないですか?」
詰め寄る私たちに、円生は声を荒らげた。
「うっさいわ、ほんま」
事務所内がシンと静まり返る。
円生は切なげに顔を歪ませて、そのまま事務所を出て行った。
私たちは困り切って顔を見合わせる。
小松さんが沈黙を破るかのように、あはは、と笑った。
「円生も虫の居所が悪かったんだろ。二人とも、せっかく来たんだから座ってくれよ」
「ありがとうございます」
私はホームズさんとともに、ソファーに腰を下ろした。
「ここに来てから、円生は絵を描いている様子でしたか?」
ホームズさんの問いに、小松さんは、うーん、と唸る。
「描いてるかどうかは……。あいつの部屋の中の様子までは分からないからなぁ。ただ、しょっちゅう出かけてるんだよ」
集中して絵を描く時間はないんじゃねぇかなぁ、と小松さんは洩らす。
「出かけているのは、昼ですか、夜ですか?」
「昼出て、帰ってくるのはきっと夜遅くだな。俺は夜九時くらいまで、ここでプログラミングの仕事してるけど、いる間には帰ってきてないし」
「それでは、きっと描いていないかもしれませんね」
ホームズさんは、少し寂しそうに言う。
「………」
出て行く前に見せた、円生の切なく苦しそうな顔が頭に浮かぶ。
それは、どこかで見た気がする表情だった。
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