序 章

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 一方、義春は、東京帝国大学の化学者だった。  頭脳明晰で、歌舞伎役者の女形のように容姿も端麗ではあったが、貧しかったため結婚もできず、僅かな金のすべてを研究につぎ込み、膨れ上がっていく借金に圧し潰されそうになっていたところに現われたのが、華子だった。  華子に『借金のすべてを肩代わりしてあげるから、あなたは好きなだけ研究を続けると良い』と結婚を迫られた。気の弱い義春は、断れるわけもなかったという。  彼らの結婚を世間は、『羨ましくない逆玉の輿』と嗤い、『いずれ、大人しく善良な婿養子は逃げ出すだろう』と噂していたのだ。  そうして時が経ち、義春と華子は老人になった。  義春が逃げ出したのは残りの人生、有意義に過ごしたかったからだろう、と世間は陰口を叩いていたのだが、まさか亡くなっているとは思いもしていなかった。  そのため大阪港で水死体が上がり、その服装から裕福な人間だと推測されても、それが、花屋敷義春だと結び付けた者は少なかっただろう。
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