5436人が本棚に入れています
本棚に追加
1
「俺は、実は役者になりたいんだよ。勉強は苦手だけど、役者の才能はあると思うんだ」
それから、約二か月。
花屋敷家の噂が、少し落ち着いた頃だ。
その日も清貴の書斎を訪れていた秋人は、自分の才能について力説していた。
「で、何が言いたいのですか?」
机で仕事をしている清貴は、秋人に一瞥もくれずに書類に目を向けたまま訊ねる。
「親父も兄貴も大反対なんだ。『どうせ、勉強が嫌で言ってるんだろう』って」
「そうでしょうね。僕もそう思います」
「いやいや、そう言わずに、お前からも親父と兄貴を説得してくれよ」
「芸事の世界は、あなたが想像するよりも厳しいものです。本気でなりたいなら親の反対を押し切って家を飛び出して、尊敬する役者の許に弟子入りすることですね。それができないのでしたら、その程度のものだということですよ」
さらりと言う清貴に、秋人は、ぐぐっ、と言葉を詰まらせる。
その時、ジリリン、と部屋に電話の音が響いた。
清貴は、サッとデスクの上のハンドセット型の電話機の受話器を取る。
「はい、家頭です」
交換手が相手とつないだ瞬間、清貴は、おや、という様子を見せた。
「――これは、冬樹さん、いつもお世話になっております。……ええ、分かりました。今から伺います。そうそう、ちょうど、秋人さんもここに。……えっ? 連れてこなくても良い? 分かりました。では、後ほど」
清貴が受話器を置くなり、秋人は前のめりになった。
「今の兄貴から?」
「ええ、そうです。ちょっと呼ばれたので、これから行ってきます」
「俺も行く!」
「いえ、『秋人は連れてこなくて良い』と」
清貴は立ち上がり、薄手の黒いインバネス・コートを羽織る。
「いや、絶対、俺も行くからな」
秋人はしっかりと、清貴のコートをつかんだ。
最初のコメントを投稿しよう!