第1話 パパにでれたいお年頃

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第1話 パパにでれたいお年頃

 六月十六日、やはり梅雨は嘘をつかない。  喫茶(きっさ)ママンからは、南不二(みなみふじ)(まち)の泣いた山々がよく分かる。  マスターをしている新井(あらい)家の主、佐祐(さすけ)殿が緑のエプロンでちらりと覗く。  私もおめかしをして、肩下ハーフアップのストレートにリバティ柄ワンピースでお迎えをした。 「ひかる、お誕生日おめでとう。もう十三歳だね」  やはり、いい香りがしていると思った。  ケーキを焼いてくれたようだ。  ああ、はにかんでしまうのを隠せない。  それなのに、カウンターの横に腰掛けて、ショートボブを撫でてくれる。  佐祐無双される、その一。  シュキン!  ケーキに撫で撫でなんて、たまりません。 「父君、ろうらくされそうじゃよ。この四角い空をご覧あれ。私の心はしとしと泣いておるのじゃ」 「ママの命日だからかい。三回忌だね」  私は、佐祐殿の胸元に顔を埋めた。  コツンと当たったロケットペンダントを開くと、朱理(あかり)殿の満面の笑みが咲く。 「この写真は、病院でひかるを産むときのだよ」 「二つ結びに黄色い病衣を着ているのじゃ」  実は中を開いたのは初めてだ。 「ひかるが産まれたら、桃色の病衣になったよ」  佐祐無双される、その二。  シュキキン!  二人で母君を語るなんて、たまりません。 「ひかる、花がしおれたみたいだよ。ワンピースの花柄みたいににこっにこってしている方が似合うよ」  六月十六日だけなのに。  それから、佐祐殿は店のライトを落とし、ロウソクに火を灯した。 「ひかるはね、六月なのに病室に光がよく射して、産まれたら光るように微笑んでいる気がしたんだ」  山の天気は変わりやすい。  窓が滝のようだったが、さあっと雲も太陽に道を譲った。  これが、(ひかり)だ。  明るい光なんだ。 「それで、ひかるになったのじゃな」  佐祐無双される、その三。  シュキキンキン!  私の誕生話なんて、たまりません。 「はい、ふーして」 「ケーキは、ケーキは必殺技じゃ。大好きなイチゴのふわふわクリームだけで、めろめろじゃもの」  うわーん。  甘やかして。   やはり、佐祐無双だ。  うちの父君は最高だ! 「ハッピーバースデイ、ひかる」  私は、一気に吹き消した。 「十三歳、中一でよくがんばりました!」 「お返しができぬのじゃ」  私は、佐祐無双に困っていた。  とろとろにでれてしまうので。  そこへ、佐祐殿はアールヌーボーでも有名なエミール・ガレ風のライトを持って来た。  トンボが描かれているガラス細工だ。  これは、朱理殿が南野(みなみの)大学(だいがく)芸術(げいじゅつ)学部(がくぶ)の卒業制作で作ったものだと聞いた。 「ひかるはママ譲りの感性がいいからね。また、美術部の絵をパパに見せて欲しいよ」 「褒め過ぎなのじゃ」  佐祐無双マックスに昇り詰めて、私は心臓からハートが飛び出そうになる。  胸を押さえても通り抜けそうだ。 「はあ、はあ……」 「具合が悪いのかな」  おでこにおでこをくっつけないよね。  もう、お年頃の娘にそんなことしないよね。 「無自覚は卑怯なりよ」  もう、頬が紅潮していたが、恥ずかしいのでガレのせいにした。  ムード溢れるライトが、焦がしたのだと。 「無自覚? 新しい言葉が南野(みなみの)(だい)附属(ふぞく)(ちゅう)で流行っているんだね」 「まるでキッスをしているかのような近距離じゃのう」  私は、はふーんと佐祐殿の吐息を肺胞にいたるまで味わった。 「ひかる。また、パパ熱が出たかな?」 「おほほ。いえ、何でもごじゃらん」  キャン! 「シーナ、来てくれたのじゃな」  ミニチュアダックスフンドにまでお祝いされたら、たまらない。  ロングヘアーのレッド、くりっとした目とまだ短い鼻が可愛い。  膝の上に抱いて、大好きなイチゴをあげたけれども、彼女は遠慮したようだ。  お行儀がいい。 「パパもいただいていいかな」 「OK、OKじゃよ」  この日はお誕生日と朱理殿のお話に花が咲いたが、本当は父君の話をあれこれと聞きたかった。  シーナが眠くなったようで、私もお風呂に入って眠った。 「佐祐殿、もう無双はいかんじゃろう……」  ――ふにゃ、ふにゃふう。  自室のわんこベッドで寝ていたシーナがこの寝言を聞いたかは、知る由もない。  キュウーン。 「無双は……」
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