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2>>>>>  闇の中でも、水面が揺れる感覚がなんとなくわかる気がした。  絶え間なく聞こえてくる波の音が、暗闇の中の話声を覆い隠してくれるのをいいことに、おれと美苑はああだこうだと色々な話をした。  昼間の自由行動のとき見に行った場所の話、前日のそれぞれの部屋におけるヒソヒソ話のこと、ただの噂話。夜空に浮かぶ星の瞬きと同じように、あちらこちらに話題が飛んだ。  はー、と呼吸を整えるように息を吐いたあと、美苑が言った。 「考えたら、こんなとこ見られたらマジでヤバいよね」 「まあ、いまさら外出禁止もクソもないけどな。どうせ日付的には今日帰るんだし」 「そっちじゃなくてさ。他のクラスメイトとかに見られたら……てこと」 「あー。考えもしなかったな、それ」  おれとしては、正直本当にどうでもよかった。  振り返って、電気の消えているホテルの窓を順に目で追ってみる。おれや美苑の同室のやつと同様、大半の人間が、今は泥のように眠っているはずだ。細波(さざなみ)だけが夜の番兵のように、眠らないまま鳴いている。  月のない、暗い真夜中。少し遠い場所にある街灯の光が、ほんのわずかに届いていた。  さわ、と海風が頬を撫でたとき。「なんかさ、思い出した」と、美苑が口を開いた。 「なにを?」 「去年の、総合学習のときのこと」 「あー……正直すまんかった」 「あの時の健斗、めっちゃ面白かったなー。発表の時は"威風堂々"って顔してたのに、終わったあとは完全に"戦々恐々"に変わってたもん」 *  おれは発表が終わった日の帰りがけ、美苑を呼び止め、ひたすらに平謝りした。  よくよく考えたら高校生などという生き物は血気盛んで、手と手が触れ合っただけでも熱に浮かされ、恋煩いか殴り合いか、そのどちらかしか選べない存在なのだ。おれが発表の時にした例え話は、周囲に勘違いをさせてもまったくおかしくないものだったし、逆ならまだしも、なぜ美苑がおれのことを好きだという仮定にしたのか、今でもよくわからない。  そんなこと気にしてたの?  渋澤くんも可愛いとこあるねえ。  話し合いの間は眺められた美苑の表情を、その時はなぜか正面から見つめることができなかった。そんなおれのことを、美苑はたいそう面白そうにケラケラと笑っていた。 * 「ま、いつもツンとしてるきみがしょげてる姿が見られたから、プライスレスだったねえ」  美苑がにやけているのは、暗い中でもなんとなくわかった。  けれども、さっきまでと比べて微かに違和感を覚えたのは、そこで美苑が身体を少しばかり、おれの方に寄せてきたことだ。  少し間をあけて、美苑はまた唇を動かしはじめる。 「でもさ、あの時にあのテーマを選んだことで、もっといいこともあったんだ」 「いいこと?」 「結構いろんな資料を読んだでしょ。なんで恋をするのか……っていうのもそうだけど、友人関係と恋愛関係の違いとか、うまく相手の気持ちを動かすにはどうすればいいか……とか」 「読んだね」 「そういう話、どれくらい覚えてる?」  覚えてるかどうかと問われれば、知識としてはほぼ覚えていない。おれはあの発表の時に起きたことしか、記憶に引っ掛けていなかった。 「正直、大半はになったかもな」 「ほーん。それはまた」  ん? 「それはまた、なんだよ」 「ん。好都合だなあって」 「なにが」 「だって、覚えてないんだよね?」  波の音が消えた。少しだけ時間をおいて、またこちらに寄せてくる気配がする。時の流れが止まらない限り、海に吹き付ける風も、止むことはない。  もう一度、ざざぁ、と波音が聞こえてきたところで、美苑が言った。 「それなら今、あたしが告白してオッケーしてくれたら、あのとき調べたことは間違ってなかった……って立証になるよね」 「へ?」 「あたし、いま頭の中でアレとかソレが出てるの自覚できてるんだ。それでもちゃんと解るんだよ。間違いなく、あたしはきみに恋をしてるんだ……って」  さて。  おれがあの時調べたことの中で、ここでまたひとつ、思い出した言葉がある。  吊り橋効果。  緊張感を味わったときに、そのドキドキ感を、そのとき一緒にいる異性への恋愛感情だと脳が錯覚する現象のことだ。  あの発表の日、おれと美苑は、等しく同じ緊張感を共有した。  そして今も、消灯後に無断でホテルの外に出て暗い海を眺める……などという状況に、二人で身を置いている。  だとすれば、いまの美苑は―――。 「なあ、それ……」 「そういう錯覚現象があるんだ……ってわかってても、しょうがないじゃん。それでもあたしはずっと”健斗のことが好き”って思ってるもん。いま始まった話でもないし、他に説明つけられないんだもん。そんなん仕方ないよ」 「仕方ないのか」 「うん。だから潔く諦めて、あたしと一緒に、吊り橋を渡りきってくんない?」  あー、はいはい。  それがおまえの実験なのね。    口だけが「あー」の形になったまま、おれは何も言葉を継げなかった。  きっかけがあの時の発表でも、その後もおれたちはずっとやりとりをしていたから、そのことも大いに関係しているはずだった。  対象と何度も接することで、好意的な感情を抱く現象を、単純接触効果という。いま思い出したけど、これもあの時に調べたことのひとつだ。  それに、おれも実際のところ、ずっと前から美苑のことを意識していた。美苑からメッセージが来れば嬉しかったし、来なければ何かが足りないような感覚をずっと、胸の中に転がしていたのだ。  おれは、この気持ちに答えを出さなければならないと理解している。もっとも、答えはとっくの昔に出ていた。  そうでなければ、わざわざこのような危ない橋を、好んで渡るはずもない。  おれは訊いた。 「渡り切ったあとはどうするつもりだよ」 「そりゃあもう、次の考察に移るよ」 「どんな?」 「あたしの中の恋愛感情が枯れるのが、本当に長くても3年後なのかどうか」 「縁起でもない話をしやがる。……望むところだ。やるなら徹底的にやるからな」 「あはは」  ポケットからスマホを取り出す。画面の中に「02:04」の表示が躍っていた。  飽きもせず、波は寄せて返し……を繰り返している。  さすがに戻るか、と立ち上がった。うん、とわずかに返事をして、美苑もそれに続こうとする。  内心ではおそるおそる差し出した手が、あっけないほど簡単に握り返される。そこにあったのは錯覚でもなんでもなくて、確かにぬくもりが宿った、自分以外の存在の手だった。  暗い海のほとりから、光あふれるエントランスのドアをくぐるまでの間。  揺れる吊り橋を渡るような緊張感と、その言葉だけで表現できなさそうな、激しい胸の鼓動を感じた。  そして最終的にエレベーターを降りるまで、おれと美苑が、互いの手を離すことはなかった。 <!---end--->
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