灰色の海に揺蕩う

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 人口一万人とちょっと。  そこそこの規模を誇る北海道の田舎町。海もあるし、山もある。港もあれば、畑もある。見下ろせば、背の低い建物が、おもちゃのブロックのように整然と並べられて町を作っているのが見えるのだろう。空だけはやたらに広いそんな町だ。 「『不死子さん』ね」  流行ってんな、と低体温な声で玲が呟く。  久我玲という少年は全体的に体温が低い。常に眠そうな、黒目の大きな瞳。つまらなそうに唇を尖らせているのが常で、怒っているようにも、拗ねているようにも見えるが、その実なにも考えていないだけということを澄華は知っている。 「『フジコ』さん? ルパンの? あ、違う?」  誰それ、と不思議そうな顔をしたのは三隅亮だった。  こちらは玲とは対照的に表情が豊かで、体温が高い。夏にはありがたくない存在だ。パチパチと音がしそうなほどに瞬きを繰り返す瞳は、きょとんとしていてあどけなく、未だに小学生のような雰囲気を醸し出している。  そんな学ラン姿の二人を眺めながら、澄華は手元の漫画週刊誌をめくった。  目当ての漫画が連載終了のお知らせをしているのに舌打ちをして、他のページを行きつ戻りつしながら、澄華はぶっきらぼうに亮の質問に答える。 「なんか流行ってる――怪談?」 「そう、都市伝説的な」 「へ?」  澄華と玲の言葉に、亮が間の抜けた声を上げた。  ――フジコさん。  それは、いつの間にか澄華たちの通う学校で語られ始めた幽霊のことだった。  不死の子と書いて、フジコ。  名前からして女性だろう。何があって彼女が生徒たちの間で市民権を得るようになったのかは判然としない。少なくとも去年の今頃、そんな話は影も形も無かった。だというのに、澄華が気付いた時には、誰もが当たり前のように『フジコさん』の存在を口にするようになっていた。  その姿を見た者は誰もいない。  なぜなら彼女が出現するのは、インターネットや通信アプリといった仮想空間の中ばかりだからだ。  例えば。  突然、見知らぬメールアドレスから届くフジコさんからのメッセージ。  知らない電話番号――フジコさんからの着信。  複数人と会話を交わすアプリの中に現れる『フジコ』という名前。  怖い怖いと口先で騒ぎながら、携帯電話やスマートフォンを所持している生徒たちの大半が、彼女が自分たちの手元に出現することを心待ちにしている。 「それって、やばいウィルスとかじゃねぇの? 大丈夫? 個人情報」  話を聞き終えた亮が、首を傾げて呟いた。  一見、アホっぽく見えるのに至って常識的な台詞だ。  ――コイツって、見た目で損してる。  思いながら澄華は雑誌を放り出して、投げやりに言う。 「知らない。あたし、見たことないし」 「でも、噂の始まりって3組の女子じゃん?」  玲が言うのに、澄華は瞬きをした。 「そーなの?」 「そのはずだけど。ほら、タカサキとかクラミチとかが騒いでたって」  口にされた名前に、澄華は眉を寄せた。 「あー…、キラキラ女子の代表ね。話したことないから、知らない」  茶髪の猫っ毛をかき回しながら、澄華はぞんざいに答えた。それに玲が何とも言えない視線を向けてくる。 「なに」  険のある声で澄華が言うと、呆れたように玲が言った。 「まだボッチしてんの、お前」 「別に、ボッチじゃないし。玲ちゃんと、亮がいるし」 「俺たち、クラス違うじゃん。オトコだし」 「幼なじみの間で、オトコとかオンナとか言うのやめてや。キモい」  吐き捨てて、部屋の隅のシングルベッドに倒れ込む。  そんな澄華を見て、玲は肩を竦めた。  亮がハラハラとした顔で、話題を変えるべく強引に声を張り上げる。 「ねぇ、そんで、その『フジコさん』って、なにすんの?」  ――やっぱり、コイツ見た目で損してる。  亮に対して、かなり失礼な感想を抱きながら澄華はゴロリと寝返りを打って答えた。 「別に」 「へ?」 「別に、なんにもしない。出るだけ」 「そんだけ?」  拍子抜けした声を出す亮に、玲が頷く。 「らしいよ」 「なんで、そんなのが流行るの?」  訳が分からないという顔で質問を続ける亮に、玲が相変わらず温度を感じさせない口調で言った。 「『それだけ』だから流行るんじゃない?」  長谷川澄華。  久我玲。  三隅亮。  女一人に、男が二人。  やや不均衡な三人組がつるむようになったのは、なんとなくお互いの家庭環境が似ていたからだ。  取り立てて不幸ぶるわけでも無いが、三人とも『親』という存在に恵まれていない。  澄華の母親はシングルマザーで、澄華を妊娠中に夫が――つまり澄華の父親が――別の女に走って、それが原因で離婚をした。  実家のあるこの町へ澄華の母親が帰って来たのは、澄華が生まれて間もない頃だったらしい。とにかく男に懲りるということを知らない澄華の母親は、常に『彼氏』を取っ替え引っ替えしながら落ち着きのない恋愛を、この狭い町で繰り返している。時には妻子のある男性とも関係を持つ彼女の有り様は、同じ学校に通う保護者から不興を買っており、その子どもたちも自然と澄華への距離を取るようになったのは言うまでも無い。  玲の両親は一緒に暮らしているものの、夫婦としての関係は完全に破綻している。離婚をしないのは子どもがいるからだ、と言う態度を崩さずに、玲の目の前であろうと構わずその言葉を口にする。父親は地元の事務用品を取り扱う会社の営業マンで、母親は町役場に勤めており、外面は仲の良い夫婦を取り繕っているようだが、玲にして見れば茶番も良いところで、家内で顔を会わせれば痛烈な皮肉と罵り合いの嵐らしい。俺のためを思うなら、早く離婚して欲しい。というのが、玲の偽らざる本音だと言う。澄華が思うに、玲の体温の低さは家庭環境に大きく影響されている。 「なぁ、二人とも今日の晩飯は?」  玲が言うのに、澄華はポケットから五百円玉を取り出した。  亮も同じく、しわくちゃの千円札を掲げている。 「彼氏とデートだってさ」  鼻で笑って母親の動向を報告する澄華と違い、困ったような顔をしながら亮が言う。 「今日は――誕生日だから」  玲が怪訝な顔で言う。 「誰の?」 「沙樹の」 「ああ……そうなんだ」  呟くような玲の声に、被せるように澄華は舌打ちをした。  亮の母親は、亮の父親を交通事故で亡くして、実家のあるこの町へと帰って来た。亮が赤ん坊の頃の話だ。  澄華の母親と違うのは、亮の母親のシングルマザー時代は長く続かなかったということ。彼女は間もなく高校時代の同級生と再婚して、しばらくした後に女の子を一人産んだ。今日は、亮と半分だけ血の繋がった妹の誕生日――らしい。 「あんたンち、相変わらずクソだね」  澄華の感想に、亮がへらりと取り繕うように笑う。  亮の存在は、三隅家の中で時折抹消される。  クリスマス、正月、誕生日――お祝いごとの席に妹の存在は欠かせないが、亮のことは当然のように家族の席から外される。『家族』が連れ立って外食に出掛ける中、亮は家に取り残されてコンビニ弁当で食事を済ませることも珍しく無い。  そんな扱いをするぐらいならば、いっそ完全に亮のことなど手放してしまえば良いのに、それをすることもしない。大人の方が、子どもなんかより、よっぽどタチが悪い。大人も所詮、年を重ねただけの子どもだということが思い知らされる。  澄華の苦々しい顔を眺めながら、玲が平然と財布を取り出した。  澄華は玲が手料理にありついているところを見たことが無い。亮もそれは同じだろう。  玲が淡々とした声で言う。 「コンビニ、どこにする? セブン? セコマ? ローソン?」 「セコマ。ホットシェフ食べたい」 「チキン南蛮、美味いよね」 「俺、豚丼」 「カツ丼が良い」 「――誰が買いに行く?」  一通り食べたい物を言い合った後、玲が発した問いかけに三人の視線が交差する。  掛け声を上げることなく、拳を突き出して無言で振った。  最初はグー、ジャンケン――。  この日、悪態を吐きながら自転車を漕ぐハメになったのは澄華だった。
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