灰色の海に揺蕩う

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 教室は海に似ている。  青いのに透明な水だとか、白い砂浜だとか、ああいう陽気な南の海では無い。  澄華が思い浮かべるのは北の海だ。それこそ、自転車をトバせば三十分もしない内にたどり着く灰色の砂浜。  流れ着いたプラスチックの生活ゴミや釣り具が散乱して、濃い磯の臭いがする。そんな群青色の海だ。  ――気が滅入る。  突っ伏していた机から顔を上げると、群れを成した女の子たちの笑い声が漣のように、長方形の空間に広がっていく。  身だしなみと称して化粧をし、色の付いたリップクリームを塗りたくる、同じような顔をした女の子たち。一人だとビックリするぐらいオドオドと自信なさげなのに、複数になるとどこまでも増長する。他人より変わったコトをしたがるクセに、他人が自分と違う考えや意見を持つことを過剰に嫌がり、攻撃することをさえ辞さない。そんな矛盾を何の疑問も無く抱えて過ごせる不思議な生き物。教室の階級は、そういう『女の子』の集団が上位を占めている。  学級委員長タイプの真面目な子。おっとりとした女の子。部活に没頭するような快活なスポーツ少女は、そこから一歩引いた位置で健全に暮らしている。それと混じり合って続くのが、いわゆるオタクと呼ばれる子たち。  士農工商なんて目じゃないぐらい、中学校の教室は階級社会だ。  ついでに、それらの階級のどこにも所属していない澄華は、完全にクラスから浮いている。江戸時代で言うなら、無宿人の河原者。存在しているのに『いない』ことになっている奇妙な立場。群れを成す彼女たちが熱帯魚ならば、澄華はさしずめクラゲだろう。  朝の教室のいつもの喧噪に、まぎれるでもなく、ただフワフワと浮かんで存在している。ただ、それだけ。  予鈴が鳴るまで後五分。チャイムが鳴れば、引き潮のようにこの騒がしさも静まっていく。  もう一眠りしようと、再び腕を組んで机に突っ伏した澄華の耳に飛び込んできたのは、不穏な響きを持つ――あの名前だった。 「フジコサン」  キャーッと笑い声のような悲鳴が上がる。  ちらりと顔を上げれば、教室内では使用禁止になっているはずのスマートフォンを持ち寄って、熱心に囁き合う『女の子』たちの姿が嫌でも目に入る。  教室中の視線が、その群れに引き寄せられている。  意味深に言葉を交わしながら、少女たちがチラチラと辺りの様子を伺っているのが分かる。自分たちの言葉が、どれだけ教室内で影響力を発揮しているのかを推し量る顔。その顔は『女の子』というより、完全に『女』のそれで、澄華は彼女たちの存在にいっそう気が滅入る。組み替えた腕を枕にして、澄華は目を閉じた。 「フジコサンが出たって!」  キャーッと再び上がる歓声のような悲鳴。  はっきりとした宣言に、ざわめきが波紋のように広がっていく。  ――アホらし。なんだよ、フジコサンって。  澄華の冷めた感想とは反対に、教室の空気は妙な熱気と共に膨れ上がっていくようだ。磯の臭いが濃くなったような気がする。腐ったような、人のいきれ。各自がてんでばらばらに『フジコサン』について語る興奮したざわめきは、潮騒のように教室の中を満たし続けた。それに交わることなく、澄華は浮かび上がったまま始業の鐘が鳴るまで、机の上に突っ伏していた。
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