暗盤

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やぁ、久しぶりだな。覚えているかい? 俺の事を。少しばかりトシを食って顔つきが変わったかも知れんけどな。 しかしまぁ、お前も随分と頭が白くなっちまいやがって。仕方ねぇか。何しろ30年振りといったところだし。それとも、もっと正確に30年と125日振りと言おうか。数字はちゃんと表すというのが、お前のポリシーだっただろう? 何しに来たって? そんな不審な顔をする必要なんてない。別に悪意はないさ。ただ旧友の家を訪ねてきたというだけの話しさ。だから、中へ入れて貰えるかい? え? 『部屋がみっともないからイヤだ』って? 何を言ってんだ、お前。大学時代、俺とお前で同居していた時なんざ、もっとみすぼらしいアパート住まいだったじゃねぇか。それに比べれば随分とグレードアップしてるよ。 『客を入れるには狭い』って? かまわんだろう。人間なんざ所詮は『立って半畳、寝て一畳』だ。それ以上が必須だとは思わねえさ。 部屋に上げてくれてありがとう。ああ……懐かしいな。あの頃の匂いを思いだすよ。 ん? 『嫌味か』って? いや、そんなつもりはない。わざわざ嫌味を言うために、ここに来た訳じゃないからな。 ああ、そうだな。確かにお前の言う通りだ。大学を出て袂を分かったあと……お前は不遇だった。言ったろう? 『この世界は尖り過ぎると生きにくい』って。 ……けど、それもまた『お前』なんだろうな。妥協しておべんちゃらを言う人生は、お前には似合わない。目的のために自分を捨てる事を厭わなかった俺はある意味卑怯者だと自覚してるよ。 で、何をしに来たんだってか。 ……決まってんだろ。忘れたのかよ。んな訳はねぇよな? お前に限って『忘却(それ)』は無い。 ああそうだ。『決着』だよ、『決着』。見ろ、ちゃんと思い出したじゃぁねぇか。  あの頃、俺達ぁ何しろ金が無かった。  必死でバイトしても学費と家賃に食費、光熱費でスッカラカンの有様だった。何処かに遊びに行くとか酒を飲みに行くなんてぇ余裕はなかった。  そんな中、それでも何か遊べる物は無いか……そう考えた結果、見つけたのが『将棋』だった。  それもただの将棋じゃぁねぇ。並外れた記憶力を持つ俺とお前ならではの将棋……そう『暗盤(あんばん)』だよ。  将棋盤も駒も使わねぇ。いや、それどころか紙すら用意はしない。二人の頭の中だけで駒の配置を記憶して戦うんだ。それなら、何時でも何処でも真っ暗闇の中でも対戦が出来るって寸法だ。  何も娯楽の無い生活……僅かでも暇があれば、暗盤に興じたものだよ。覚えているか? 対戦成績を。いや、忘れているはずがねぇよな。何しろ俺もお前も1225勝1225敗……つまり、全くの5分だったからよ。  俺がお前と暮らしたアパートを出た日、『これが最後だ』と言ってバスの時間ギリギリまで戦ったよな? ……あの決着を、付けに来たんだ。
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