暗盤

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 おい、何を下向いてやがる。さっさとあの日の『続き』を始めるぞ。  ……まさか『棋譜を覚えていない』なんてフザけた事ぁ言わねぇよな? そんな嘘が俺に通用すると思うなよ。  黙ってるって事は『覚えている』ってこったろ? じゃぁ行くぞ。後手の俺から始める手番だったからよ。  まずは『5四金』だ。……? さぁ、次はお前の番だ。  そうか、『8六歩』か。だろうな、と思っていたよ。お前もきっと同じ結論だったんじゃないのか?   そう、あの中途半端な対局の後、俺は考え続けたんだ。『お前ならどう打つか』『最善手は何なのか』と。  何しろお前は奇抜な手とかは使わないヤツなんだ。まるで精密な機械が決められた順序で進むが如く、明確な一本道で突き進む棋風なんだよ。  さぁ、盤を進めていくからな。『7五馬』だ。ここに至って考える必要もねぇ。何しろこの30年間、暇さえあれば考え続けてきたんだから。  1年考えて『これしかない』と思っていた一手でも、3年経ったら別の『最善手』が見つかる事もある。そんな『最善手』とて、10年経つと陳腐になって『別の最善手』が浮かび上がる……。  俺は考え続けてきた。『もっといい手があるんじゃないか?』『もっといい手が』って。  それは俺だけの進化じゃぁねぇ。想像の中にしかいないお前の進化でもあったんだ。俺の頭の中でお前はどんどん強くなっていった。『お前ならこうするだろうか』『もっと先を目指しているんじゃないか』……てな。  ああ……嬉しいじゃないか。こうして思っていた通りに指し手が進む事がさ。分かるかい? 俺のこの震えるような嬉しさが。何年も考え続けた手が何の淀みもなく進むという事は、同じ事をお前も考え続けていたという事だから。  所詮お前と俺は赤の他人よ。意見が食い違う事だってある。価値観が合わないのも当然と言えば当然だろう。袂を分かったのも必然だったのかも知れねぇ。  でもこうして今、当然のように棋譜が進むという事は、それでも俺がお前を、お前が俺を『決着をつけるべき相手』だと認識し続けていた証拠なんだ。こんな嬉しい事ぁないよ。  ああそうだ、そこは『4一銀』だ。間違いねぇ……そこは3年考えたよ。最初は『5四角』で攻めるしかないと思っていたが、58手先で『詰み』になるんだ。だからそれはない……。  なので、俺は『6八金』だ。お前の事だ、それもちゃんと分かってるんだろ? この局面はそれしかないからな。  さぁ迷う事ぁねぇ。どんどん打ち進んで行こうじゃないか。  ……よぉ、どうして手ぇ止めてんだよ。
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