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世界は、平和を取り戻した。
悪魔と呼ばれた少年の遺体は、見せしめにされて世界中を引き回された後、大昔の魔女裁判のごとく火にくべられて燃やされた。少年の身内だった者達は、彼なぞ自分達の家族ではないというように糾弾し、罵倒し、死んだ彼を庇う人間は一人もいなかった。その名前は晒され、邪神に魂を売った悪魔として長らく語り継がれることになるのだろう。彼が何故悪魔になったのかなんて物語は、都合よく語られることさえせずに。
「もう悪魔はいないのに」
今日も今日とて、家の裏で素振りをするフェリクスに、アンナは呆れたように言う。
「何でまだ訓練してるのよ?憲兵になりたいわけでもないんでしょ、フェリクスは」
「そうだな」
「じゃあなんで?」
「決まってる」
あれから、一年。フェリクスは唇を噛み締め、見えない痛みを堪えるように剣を振り続けているのだ。理由は、ただ一つ。
「悪魔は、いなくなってなんかいないからだよ」
「なにそれー?」
意味がわからない。そうやって笑うアンナの方を、フェリクスは見なかった。見たくもなかった。たとえ、彼女の顔があの悪魔と呼ばれた少年より遥かに綺麗で、良くできた絵画のように美しいものであったとしてもだ。
皆で仲良く石を投げた相手がいなくなった世界は、目に見える光と引き換えに、大切なものを失った。結託していたはずのいくつもの街は、再びいがみ合うようになった。一部の地域では治安が悪化し、暴動どころか紛争さえも起きるようになっていた。共通の敵を失った世界は、手を取りあうことより自分達の欲望と願望ばかりを優先するようになっていったのだ。
そして、高校に進学した、アンナはといえば。
「アンナー、おはよう!」
「あら、おはようみんな。……じゃあフェリクス、私は学校に行くわね。また明日」
「……ああ」
ひらひらと手を振って、友人達に呼ばれるまま塀の向こうへ消えていくアンナ。エルゼとケーテは笑いながら手を振り、黒髪のレオノーラは――俯いて少し離れたところに立っている。何故か、三人分の鞄を重たそうに持ちながら。
フェリクスは彼女らに駆け寄ったアンナが、自分の鞄もレオノーラに押し付けるのを見た。歩みが露骨に遅くなった彼女の髪を、笑いながら引っ張る様も。
『お前もいずれ、思い知るよ』
あの日の、彼の言葉。
まさにあの予言の通りの世界になった。
『その時、お前の耳元でこっそり囁いてやる。……悪魔は誰だ?ってな』
フェリクスは唇を噛み締め、泣きたい気持ちを堪えながら剣を振る。
悪魔は誰か?
その見え透いた答えに、見て見ぬ振りをするように。
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