2人が本棚に入れています
本棚に追加
紫のカーネーション3
俺は、たしかに今まで人に対して憎らしいとか、嫌悪感とか、気分を損なう感情を持ったことはある。だが、とっさに殺意までわくようなことはなかった。妻が出て行った時も、男と死ねばいいなんて思わなかった。結果的にはそうなってしまったが…。
俺の中には、人に対する関心が悪い感情であれ、未だ存在していることに驚いた。自分自身のことは、意外とわからないものだ。
自分の中に湧いてきた「殺意」を反芻していたが、ふと我に返りまたソファーの方に目を向けた。その瞬間、この女を本当に殺してやろうと、感情の高ぶりが抑えきれなくなった。
女は、カーネーションでソファーを汚しただけでなく、いつの間にか一糸まとわぬ姿で横たわっていたのだ。
「何をやってる!すぐ、どけ!!」
「こっちへ来てよ」女は俺の怒りにはなんら気づかぬ感じで、流し目を向けてくる。女の裸を見ても欲情など持つはずがない。勝手に知らぬ女がずけずけと家にあがり、お気に入りのソファー、俺の大切な空間を汚しにかかった奴に何故、欲情を持つのか。ありえないだろう。そこで欲情が湧いてくるのはチープなエロビデオの類だ。現実は、ありえない。
「お前、どかないと殺すぞ」
「まあ。怖いのね」
「何を。さあ、どけ。どいて、服を着てさっさと失せろ」
「いやよ」
「じゃあ、力尽くでやるしかないな」俺は、女を退かそうと、いやいやながら近づいた。その時、女はものすごい力で俺に抱き着いてきた。
「離せ、離せよ」
「いやよ。もう逃れられないわ」
俺は、女に絡みつかれ、どうしようもなくなっていた。身体から離そうともがけばもがくほど、ほどけない糸のようにぎゅっと縛られる感覚だった。だんだんと息まで苦しくなってきた。
「は、はなしてく、くれ。お願いだ」
「今度は、お願いするのね」
「あ、ああ。そうだ。た。たのむ、身体から離してくれ」
「思い出した?」
「と、突然何を…」
「わたしのことよ」
「し、知らない人だ。な、なぜ俺がこんな目に合うか、わ、わからない」
「駄目ね」女は、さらに力強く絡みだした。女の力なんていつでも組み解かすことができるだろうなんて、甘い夢でしかない。女の力はまるで、コンプレッサーのようにだんだんと俺の身体に圧を加え、ぺしゃんこにできるほどの力があった。なんとか声を出すのが精いっぱいだった。
『俺のほうが殺されるかもしれない』
立場が逆転してしまった。
「ほんとうに私を知らないの?」
「知りません。お前、いやあなたは亡くなった母の若いころに似ているとは思いましたが…」
「そう、それよ。わたしはあなたのお母さん」
「えっ」
そんな馬鹿なことがあるはずがない。狂っている。女は狂っている。俺も狂いだしたか。なんてことだ。そういえば、今日は母の日だったな…。
最初のコメントを投稿しよう!