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 心の中で濃霧のように漠然と漂う切なさを、キャンバスの白に写し出せたならどれだけ幸せだろうか。  ステンレスの窓枠から差し込む赤に塗りつぶされていくまっさらなキャンバスを見つめながら、中学生の私は普遍的に過ぎていく時間の流れに飲み込まれていた。  何も描けずに過ぎていく一日。何も生み出せずに過ぎていく一日。描きたい衝動と描けない恐怖が絵の具のように混ざり合い、心に憂鬱な混沌を生み出していく。  イーゼルの上に溜まっていく埃、削られていく誇り。身体から止めどなく溢れ出る感情を垂れ流しにしているのは、ダムに蓄積された水を発電に使わず放流し続けているようなもの。憂鬱の混沌は真っ黒な色になり、ひび割れた心の隙間から濁流のように流れ続けている。  傷がついて初めて、自分にもプライドなんてものがあったのだと知った。生み出せない画家にあるプライドなど陳腐で滑稽なものだというのに。  あの頃、何も描けなくなってしまったのは、祖母の死を予見していたからかも知れない。病床に伏せた祖母が徐々に弱っていく様を、妹や父と一緒に毎日見ていたから。
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