【2020/05 葬列】

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《第4週 土曜日 朝》 「…ってことがあってさ。長谷はかわいいし、いい子だとは思うし、セックスもよかったんだけど、でも、おつきあいするのはおれじゃダメな気がするんだけど…ねえ、なんぼなんでも失礼じゃない?」 思わず翌朝、おれは小林さんに溢したら、それ以降小林さんはずっと顔を手で覆い、事情を知らず傍から見たら泣いてるのかと思うであろうくらいずっと笑って食事が進まなくなってしまっていた。 「だって、それこそ長谷さんに失礼ですよ、そこまでしておつきあいしてるわけじゃないって言ったらかわいそうじゃないですか…」 笑いすぎて眼鏡を外して涙を拭っている。ひどい。おれ真剣なのに。 おれなんかと本気で付き合ったらきっとまたハルくんみたいにボロボロになるまで振り回した末に捨ててしまうに決まってる。そのほうがよっぽど可哀想だ。 「そんな事言われても、おれ、本当にわかんないんだよ…ハルくんのときも、ハルくんのことは好きだし、セックスの相性だって悪くないし、一緒に居て安心感あったけど、なんか…」 うまく言えないけど、ハルくんが好きなのに、ハルくんがおれのことすごく思ってくれているのわかっているのに、なんとなくおれはそれを信じきれなかった。 人を好きになる気持ちにも、誰かが自分を思う気持ちを受け入れることにも、自分の中で見えない理不尽な抑止力が働いてしまっている気がする。 自分が一方的に甘えたりわがままを言ったりすることは躊躇しないくせに。自分勝手だしめちゃくちゃだ。自分でもそう思ってる。 「今までもいっぱいチャットとかでもプライベートな話してきてますけど、いつも藤川くんを好きになる人みんなかわいそうじゃないですか」 「いや、おれだってそう思ってるよ…でも、多分、ダメなんだよ…誰かを真剣に好きになることも、なられること自体も脳がブロックしてるんだと思う。おれ、初めて好きになった人が自分の父親で、生まれる前から失恋が確定してる状態で、親が愛し合ってるのも見て、それでもしつこく縋って、その末フラれて多分めちゃくちゃ傷ついて…って状態だったのは記録に残ってたし」 おれは昨日の仕事での消耗が激しくて、納豆と卵と葱と味海苔を混ぜたものをごはんにかけて朝から啜っていた。当然もう身嗜みなんかもおざなりで、小林さんにヘアゴムを分けてもらってトップの髪は上で括ってしまっていた。 会う人会う人に額の傷が剥き出しになっているのを見てぎょっとされるが、構っていられない。ボサボサのままよりは失礼じゃないだろうし、どうせ慌ただしい中で態々訊いて来る人もいない。 茶碗によそったごはんが無くなって、残った納豆入りの卵をズルズル啜っているのを、ようやく笑いがおさまった小林さんがじっと見て言う。 「でも、記憶にはないんですよね?」 「そう、今のおれ自身は、その時のこと憶えてないし、思い出せてない。他のことは少しずつ断片的にでも思い出せてるのに、母親の顔と父親を好きだったことは思い出せない。思い出したくないんだと思う。事件のことそのもの以上に」 小林さんもおれを真似て持ってきた卵を割り入れて解きほぐし、納豆と葱を入れて出汁醤油を注いでかき混ぜる。 「そういえば、藤川くんの実のお父さんって、遺留品もお骨も見つかってないって前に」 「そう、だから、お母さんが死んだことは遺体を見ているし実感としてあるけど、お父さんの死って、なんか曖昧なままなんだよね…でももう今更何も出てこないだろうし、このままなんだろうな」 それ以上食べる気になれなくて、おれは先に部屋に戻ると言って食堂を後にした。 コインランドリーから洗っておいた服を回収して部屋に戻って着替え、冷蔵庫に入れていたゼリーのパウチを咥えながらベッドの上に置いたままだったスマートフォンを手にとった。
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