【2020/05 葬列】

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《第4週 日曜日 午後》 わたしは、一応の取り調べに応じたのち、取り急ぎ民間の火葬場の空きを探し、ゆかを伴って彼の遺体を荼毘に付して骨を骨壷に収めて持ち帰った。その置き場所としてシンプルな小さい仏壇を買い、花を供えて骨壷を置いた。 葬儀はしなかった。彼には他に家族もなく、特に帰依するような宗教もなかったからだ。でも、しても良かったのかもしれない、と仏壇の前に座るたびに感じていた。わたしは受け入れきれずにいる。 間食や食事の時間にはわたしたちが口にするものと同じものを供え、生前にしていたのと同じようにその日あったことを仏壇の前で話し、お茶を淹れる日々。しおらしくこんなことしているのを見たらあの人はきっと笑ったはず。 「由美子さん、クヨクヨしない。なんとかなる。お仕事してるあなたが一番いい。もっとリラックス、楽しんで。新しいことしよう」 日陰者ばかりの世界で真っ当な商売を立ち上げてコツコツと発展させて、誰になんと言われようと前向きに頑張る姿や、目下の者にときに発破をかけつつも温かい声がけを忘れない姿勢は、幼いわたしに勇気をくれた。そして、若い頃からずっと支えられてきたのだ。 身元確認のために病院に呼ばれ、警察や病院関係者に囲まれた状態で彼の亡骸に対面したとき、血の気がなくなってやけに乾燥した状態になった肌を見たとき、わたしは彼が息絶えたという事実に耐えきれず、声を上げて泣いた。 仕事を最低限に絞って家にこもりがちになっているわたしのもとに、或る日携帯電話に直接ではなく固定電話に連絡が入った。 「奥様、藤川さくらさんという方からお電話です。おそらく、玲さんのお母様ではないでしょうか」 ゆかから受話器を受け取って声をかけると、彼女は弔意を示し一度お伺いして手を合わせたいと申し出た。 状況が状況で、母子ともに関わりがあると思われてはお困りになるのでは、安全を担保できないのでやめられたほうが良いのではと断ろうとしたけれど、彼女の意思は堅く、揺るがない。已む無く訪問を申し受けた。 「ゆかちゃん、ご馳走はできた?」 キッチンを覗くと、出来上がった品々が並んでいる。 「今回はお好みもわからないので和に寄せました。玲さんが召し上がれるようなものでしたら大丈夫かと思いましたので」 ゆかの郷里で弔事に作られるという塩味の黒豆のおこわ「黒飯」に、茶碗蒸し、お煮染め、刺身の盛り合わせ、大葉を挟んだ蒲鉾とチーズちくわ、水菜と大根ととび子のサラダ、豆腐のお吸い物。 「ああ、確かに玲さんが食べそうなものばかりだわ。ねえ、そういえば玲さんいつだったか煮しめの手綱こんにゃく作るの手伝ってくれたことなかった?」 「ありますね、食べられるものの仕込み玲さんに手伝わせると作りながら食べちゃうんです。本当はお腹空いてるんですよあの人」 思わず顔を見合わせて笑うと、そこに来訪を告げるチャイムが鳴った。インターホンの画面にはショートカットの白髪に鮮やかな赤いカラーチタンのフレームの眼鏡を掛けているお年を召した女性が立っている。 応答ボタンを押して「はい」と言うと、カメラを見つめて「藤川です」と答えた。エントランスのロックを解除して階と部屋番号を告げると、会釈してカメラの視界から消えた。玄関に向かい、到着を待つ。 普段は蓋をしてあるドアスコープから蓋をずらして外を覗くと、やがて先程の婦人が現れた。彼女がドアホンに手を伸ばす前にドアの施錠をすべて解除して扉を開くと、当たり前だが驚いていた。 「あらら、すみません直々にお出迎えいただいて」 「いえ、その、お待ちしておりました」 已む無く承った訪問なのに、わたしは何故か高揚していた。 知りたかったのだ、あの玲さんを育てた人がどういう人なのかを。
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