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「あーも~ハイハイごめんねえ~おれが関わりたくなくたって仕事で呼ばれたらしょうがないんですぅ~」
更に煽るように言うと、その人は舌打ちして「てめえ、取調終わったらボコボコにしてぶち犯すぞ」と凄む。しかし先生はまるで引かない。
「んふふ、いいよぉ別にィ~。でも、うちに来ちゃダメだよ、もう今うち新しい彼氏いるから。ね~長谷~」
「ハイィ!?」
まさかの、この流れで話振られると思ってなかったので心臓が跳ね上がって、裏ずり声が出た。
「何、お前そうなの」
飯野さんも突っ込んでくる。折を見て話そうと思ってたのに…頭の中がごちゃごちゃになる。
「いいから!今は職務に集中させてください!」
思わずでかい声を出すと、先生が振り返った。
「あ、なんか、ごめん…もうすぐ搬出に大学の救急車両が来るから、運び出し手伝って。ついでに一緒に大学までついてきてほしい。早く検死結果出して渡したいから。事件性はないから此処の鑑識作業は後でいいと思う」
戻ってきて、スライダーがブレないように引き手を持つ。
おれは遺体の衣服を掴んで納体袋に滑らせて、おさめて袋のジッパーを閉じる。先生はその間にスライダーを折りたたんで片付け、自分の持参した道具を淡々と片付けた。部屋の外がにわかに騒がしい。
「飯野さん、迎え来たみたいなんで、現状の保存と本店への引き継ぎお願いしますね」
「おう。しっかし、ただの病死だって何遍言ってもあの騒ぎの後だけに本店がうるさくてなあ。一課も四課も詰めろ詰めろってうるせんだよなあ。まあ、状況が状況だけにしゃーないから一旦署に連れてくけどさ」
「こないだまで湾岸署で絞られてたと思うんで、何も逃げも隠しもしないと思いますよ、あんまいじめないでやってください」
「わかってるよそんなん、コイツそもそもうちのエスだし」
おれが知り得ない裏社会のあれこれがあることは垣間見えるけど、背景はよくわからない。けど会話を聞く限り、飯野さんもその背後の人も、先生とは付き合いがそれなりに深い、或いは長いのだろう。
おれは先生と関わるようになってまだ一ヶ月経ったか経たないか程度だ。そんな短期間でも、先生の子供時代の事件のこと、先生と小曽川家のつながり、発砲事件、抗争があって先生のパトロンが殺されたこと、それに絡んで報復があったこと、先生が災害支援に飛ばされたことと毎日が目まぐるしくて、正直頭がついてこれていない。
本当に先生は底がしれない。この人と一緒になって、本当にいいんだろうか。今日帰ってから色々訊きたいけど、訊いてもいいんだろうか。
会話に聞き耳を立てながら待っていると、大学から来たのは小曽川さんだった。
「あ、先生…と長谷くん」
「南、ここのエレベーターだと多分入んないから長谷と階段で運んで」
小曽川さんは速やかに納体袋の脚側をもちあげ、おれがそれに従って頭側を支えながら持ち上げて搬出した。降りると救急車両は後部のハッチバックを上げた状態で停めてあり、そのすぐ下にストレッチャーが用意してあった。
ゆっくりそこに納体袋を下ろし、ベルトでストレッチャーに固定してから、車両に載せる。ストレッチャーの脚がレールに乗ると折りたたまれその車輪が転がって衝撃や抵抗もなく車内に滑り込む。
「これって、こんなふうになってたんですね」
「あぁ~初めて見ました?」
そうこうしているうちに仕事道具の入ったバッグを手に先生が下りてきて、車に乗り込んでストレッチャーの脇の簡易な座席に座った。先生はおれの荷物も一緒に持ってきてくれていた。
「ほら、長谷はおっきいから助手席座んな。お客さんだし」
「え、そんな冷たいこと言わないでください…」
おれが思わずこぼすと、先生は察してちょっと困った顔で「ごめんね」と微笑んだ。
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